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八重椿(転生忍者奮闘記外伝・壱)  作者: らる鳥


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5/15


 俺は里長の頼みを引き受けて、熊が度々目撃されるという里山に猟師達の案内で足を踏み入れる。

 里山とは、長くその地に住まう人々が食料や木材の調達に利用してきた場所であり、深山、奥山の生き物である熊はあまり近付いてこない。

 けれども何らかの事情で深山を出てしまった熊が里山に住み着き、更には人里近くまで出て来てしまう事があった。

 人を脅威と見做さなくなった熊は、やがては人を襲うだろう。

 特に里山で冬を越す為の巣穴を見つけられず、冬眠に失敗した熊となると、狂暴性は段違いに跳ね上がる。


 頻繁にある事ではないんだけれど、四年前もその恐れがあったから父が秋のうちに熊狩りを行った。

 ……もしかすると、今回の熊は、四年前に父が仕留めた熊の子供だったりするのかもしれない。


 本来ならこれを処理するのは、今俺を案内してくれている猟師達の役目ではあるけれど、気の力を使えぬ猟師では、複数人で掛かっても大きな熊を相手にすると、大怪我や死の危険が付き纏う。

 もちろんそれで猟師が大怪我をしたり、或いは死んでしまっても、怪我人や、残された家族の世話は里全体が行う筈だ。

 だからこそ、猟師だって命懸けの大仕事に挑めるのだから。


 とはいえそんな怪我や死は、できれば避けたいのが人情である。

 怪我人や、働き手を失った家族の面倒を見るのは、里としても負担が大きい。

 故に里長は、偶然にも折よく里を訪れた縁のある武芸者、つまりは俺に、熊退治を頼もうと思ったのだ。

 気の力を扱える武芸者であるならば、熊を退治する事など訳もないだろうからと。


 まぁ、実はこれは誤解があって、大きな熊が相手となると、武芸者であっても簡単に処理できる腕を持つ者は一握りの上澄みだ。

 以前の俺は最も間近な武芸者である父がその上澄みの実力者であった為、武芸者は多くがその域にあるのだと、里長と同じように誤解してたんだけれど、都で風神流や他の流派の門弟達を見て、その考えは改めた。

 気の力の一部を扱えるようになっただけで、自分も武芸者の端くれだと思い込む者はとても多い。

 或いは四年前の俺も、父から見ればそうした武芸者の端くれと達と大して違わなかったんだと思う。


 ……さて、俺が過去に刺されてる間に、運が良かったのか、それとも猟師の案内が良かったのか、里山に入ってすぐに熊の姿が認められた。

 いや、こんなに早く遭遇するというのは、熊が里に近付きすぎてるって意味だから、あまりいい事ではないんだけれども。


 熊はこちらの姿を認めると、警戒する素振りもあまり見せずに近付いてくる。

 まるで人に懐いているかのようにも思えてしまうが、これは多分、良くない。

 無造作を装って、獲物を逃がさないように仕留めに来てるのだ。

 そう、つまり熊は、既に人を餌だと認識し始めていた。


 結構、大きな熊だ。

 二本足で立てば、身の丈は俺と変わらぬか、或いは越えているだろう。

 だが身の丈は変わらずとも、重さは倍どころの違いじゃないかもしれない。

 膂力の差はそれ以上。

 あれだけ大きければ爪の一撃は簡単に人を引き裂くし、体当たりや噛み付きだって一度受ければ致命傷だった。


 すぐに弓を構える猟師達を、俺は手で制してから前に出る。

 仕留められるならそれでもいいが、矢を放ち、怒りで狙いがそちらに向かえば、庇えるかどうかは少し不安だった。


 程良い緊張感が身を包む。

 自然と、自分の中の気が高まるのを感じる。

 武芸者が扱う気は、命ある者の身体が発する陽の力だ。

 戦いという命の危機を前に、身体がその気を高めているのだろう。

 これは生命が持つ本能のようなものだった。


 ちなみに他に、精神が発する陽の力である法力、精神が発する陰の力である呪力、それから気とは逆の、命ある者の身体が発する陰の力である陰気が存在する。

 このうち陰気だけは人には扱えず、陰気を高めれば人の身体は壊れてしまう。

 そしてこの陰気が集まれば、妖怪が誕生するそうだ。


 俺は高まった気を体中に巡らせて、増幅させてより大きく育てる。

 法力、呪力は高僧や陰陽師が扱えば、雷を落としたり、炎を発生させたりと、摩訶不思議な術を扱えるが、残念ながら気の力はもう少しばかり単純だった。

 基本的な使い方としては、やはり身体能力の強化だろうか。

 身体より生じる気は、それが高まれば身体の機能も同時に高まる。


 ただ単に筋力が上がって強い力が出せるだけじゃなくて、目も、耳も、鼻も、感覚が鋭くなって集中力が増し、毒や病に対する抵抗力も増す。

 こう並べるといい事だらけのようだけれど、急に身体能力、感覚が引き上げられると、普段の自分との違いに技が狂う武芸者も少なくない。

 もちろんそれは気の扱いが未熟な、武芸者の端くれの話で、気の扱いに慣れてくれば身体能力、感覚が引き上げられても普段の自分と同じように動けるし、感覚を変えずに筋力だけを大幅に高めるなんて真似もできるようになっていく。


 そして更に気の扱いに長ければ、気の力は自分以外にも及ぶ。

 例えば衣服に気を通わせて鎧のように硬くしたり、刃に気を通わせて鉄をも切り裂く鋭さを持たせたり。

 或いは他者の発する気を察知し、隠れ潜む相手を見付けたり、相対した敵の次の動きを予測するのも、武芸者の気の扱いの一端だ。

 なんでも真の達人は、他人の気に自分の気を合わせる事で、手も触れずに相手を投げ飛ばす技も可能だという。


 ……俺は流石にそこまでの達人ではないけれど、それでも刃に気を通わせたり、熊の次の動きを予測できるくらいには、この四年で気の扱いを磨いてた。

 故に、熊が一気に距離を詰めて噛み付こうとしたその刹那、待ち構えていたように振り下ろした刀は、硬い頭蓋骨を抵抗もなく切り裂いて、熊の頭を縦に断つ。


 心の臓と脳。

 この二つは多くの生き物に共通する弱点だ。

 幾ら大きな熊であっても、脳を壊されれば生きてはいられない。

 槍なら心臓を狙い易いが、愛用していた槍は持ち運ぶには大きな荷物となり過ぎるから、風神流の道場に置いてきた。

 組み打ちの技には幾らかの自信があるが、流石に熊を相手にするなら武器は使いたい。

 すると相手が四足の時に刀で兜割をするのが、今の俺が最も確実に熊を仕留めれる手段だろう。


 刀を一振りしてから、俺は鞘にそれを納める。

 血も脂も、刀には少しも残っていない。

 強く纏わせた気によって、刀身が強化、保護されていたからだ。


 熊の身体は地に崩れ、背後で猟師達の歓声が上がった。

 生きている間は脅威となる熊も、死んでしまえばその身体は貴重な資源である。

 毛皮は人が冬を越す為に大いに役立つし、肉は貴重な栄養となり、内臓、特に胆は高価な薬にもなるそうだ。

 大きな熊を里にまで運ぶのは大変だが、そこはまぁ、猟師達と一緒に、もうひと頑張りするとしよう。



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