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随分と風化が進んでしまった道場の床に座し、俺はその時を待つ。
今日も二つの偽りの月の光が、窓から中に入り込む。
この十年で俺は随分と強くなった。
単に自分がそう思うだけじゃなく、客観的に見ても、それは間違いのない事実の筈だ。
一ヵ月前に行われた都の天覧試合でも、特に苦戦らしい苦戦はしなかったのだから。
あぁ、いや、準決勝で今の風神流の当主、尊殿との試合に関しては、色々と心苦しくはあったか。
何しろ恩義のある風神流の看板に、敗北の汚名をこの手で着せる事になってしまった。
とはいえ、実力的には決勝で戦った一塵流とやらの剣士の方が上だったので、仮に勝ちを譲ったとしても、風神流が天覧試合を制する事はなかっただろうけれども。
まぁ、いずれにしても、たらればの話だ。
実際には俺にも目的があったから、勝ちを譲るような真似はせずに俺が天覧試合を制してる。
この十年、色々な事があった。
例えば、都が開戸の国の征伐に乗り出して、舶来衆は神武八州から姿を消した。
いや、開戸の国にいた舶来衆の幹部、舶来の妖怪達が逃げ出したという意味ではなく、彼らは皆、戦いの中で討ち取られたのだが、どうやら神武八州に来ていた幹部は、舶来衆の中でも一部に過ぎなかったらしい。
開戸の国が行っていた海洋貿易の取引相手の国や、そのほか多くの外つ国に、舶来衆は根を張っているそうだ。
まぁ、舶来衆というのは神武八州での彼らの名だから、外つ国ではまた別の名前の組織なんだろうけれども。
どうしてこれを知ってるのかといえば、俺も開戸の国の征伐には加わって、相対した舶来衆の幹部からそれを直接聞かされたから。
なんでも舶来衆の目的は、月の封印を解く事だったらしく、その為に、封印の解き方を知っていそうな大妖、忍び衆が守り神として祀る、仙人が使役した妖怪を探していたらしい。
故に、迷い館の要請で、俺も開戸の国の征伐に加わった。
良い修練にはなったと思う。
それ以降も、幾つか大きな争いがあって、一時は天覧試合の開催も危ぶまれたのだけれど、幸いにも、俺は迷い館の見た未来の通りに、今、ここに辿り着いてる。
……さて、来たか。
俺は過去を振り返る事をやめ、立ち上がった。
「ほう、我が気配に気付くか」
声と共に、鬼が現れる。
窓からはいる月明かりに照らされたのは、俺が十二の時に見たのと何も変わらぬ姿。
こちらは背も伸び、髭も生え、随分と変わってしまったというのに、鬼はまるであの時のままだ。
「随分と待たせてしまったか?」
まるで旧知の友に対するような親しさで、鬼はそう声を掛けてきた。
だから俺も思わず笑みを浮かべて、首を横に振る。
「いや、たかが十四年か十五年だ。お前が生きてきた時に比べれば、大した長さじゃない」
そう、振り返れば、大した時間は待たされちゃいない。
最初の四年は長かった。
あの日見た武の背中は遥か遠く、再び鬼と相見えるかどうかもわからなかったから。
けれども八重と旅をしてからの十年は、待つのも苦痛でなくなった。
歩みを楽しむ事さえできた。
「その口調、その目、さては我を知ったか。一体どの大妖に聞いた? 何故、我を知ってここに立つ? いずれの大妖であっても、その庇護下にあれば我も手は出し難かっただろうに」
心底不思議そうに、鬼が問う。
あぁ、まぁ確かに、そういう道もあっただろう。
俺が望めば、八重と子と一緒に、俗楽の花の里に匿って貰うという事は簡単だった筈だ。
「それではつまらないからな」
ただ、それはどうにも俺の性には合わない。
別に父の敵討ちに躍起になってる訳じゃないし、以前のように鬼の技に魅入られたままという訳でもないけれど、それでもやはり、俺は鬼との決着を望む。
そうじゃなきゃ、俺の人生がつまらなくなってしまうから。
俺は腰の刃鉄を抜く。
数年かけて、刃鉄はしっかりと躾けてある。
少なくともこの鬼との戦いを邪魔するような真似はしないだろう。
「まぁ、いい。俺を知っても前に立つなら、望み通りに死をくれてやろう」
そう言って、鬼はにたりと笑い、両手を広げた。
……望むなら、か。
以前の、鬼の技に魅入られた俺だったら、立ち会えたのなら死も厭わなかっただろう。
けれども今となっては、全く以って死にたくはなかった。
何しろ俺が死ぬと八重が泣く。
あまり動じぬ女だし、今日も全てを飲み込んで送り出してくれた風に見えたが、それでもやっぱり、彼女は俺が死ねば泣いてくれるだろう。
二人の幼い子らは、別に何がなくとも良く泣くが、それでも俺が死ねばやはり泣く筈だ。
自分を思って泣いてくれるのは嬉しいが、しかし泣かせたい訳じゃないので、そう、やはり俺は生きねばならない。
逃げず、戦い、勝って、生きる。
それが俺の選んだ道で、その道を歩む為に、この十年は準備をしてきた。
今では、あの頃の俺が死を許容するかのような考えを持っていた事こそ、未熟さの証明だと思ってる。
その考えこそが、自分の成長に蓋をしていたのだとも。
けれども、今の俺は、もうあの頃の俺じゃない。
あの旅が、八重との出会いが少しずつ俺を変えてくれたから。
この時を目標として生きてきた事は変わらない。
ただ、迎える結末は、十年前の俺と今の俺じゃ、大きく違うだろう。
「では、いざ尋常に」
言葉と共に俺は刃鉄を構え、
「応とも。勝負だ」
鬼が応じると同時に、踏み込んだ。
勝利をこの手に掴む為に、迫る死線を潜り抜けて刃を振るう。




