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「そうか。ソウジ君、残念だ。いや君が旅立たなければならないのは、私の力不足でもあるね。申し訳ない」
俺の暇乞いの言葉を聞いた柳才師は、一つ溜息を吐いてから、そう言って頭を下げる。
この人は、一つの流派の当主として武芸者の集団を率いてるとは思えない程に、物腰が柔らかで穏やかだ。
但しその態度に舐めてかかった相手は、必ず足元を掬われて容赦なく叩き潰されるだろう。
穏やかに振舞い、冷静に広く周囲を見回し、そして必要ならば暴力の行使に一切の躊躇いがない。
それが、風神流の当主である伯・柳才師だった。
ある意味で、あの鬼よりもずっと怖い人である。
「ただ一つだけ聞かせて欲しい。君はこの四年、剣術よりも槍術よりも、組み打ちの技を練る事に熱心だったように思う。それは鬼を追う為かい?」
俺は柳才師のその問い掛けに、黙って頷く。
見抜かれていたなら、誤魔化しは通用しないだろう。
確かに俺がこの四年で最も力を注いで習得したのは体術だった。
だがそれは、自主練習の時間を多くそれに当てただけで、あまり人前ではそうした素振りは見せなかったんだけれど……、それでも柳才師の目には俺の心が見えていたらしい。
以前、俺が鬼の一撃を受けた際、命を拾えたのは不完全であっても防御が間に合ったからだ。
鬼の技を何度も見ていて、その技に魅入られていて、恐らく鬼は俺の事なんて全く問題視をしていなかったから、同じように技を放った。
だからこそ不完全であっても防御が間に合ったんだろうけれども……、仮に、もしあの時、完全に技を防げていたらどうだっただろうか。
或いは、俺は倒れる事なく、もう一撃を引き出せたかもしれない。
その結果、次は俺を確実に仕留める技を鬼は放つかもしれないが、それであの夜の結末が変わった可能性だってある。
要するにその未練と、そして鬼の技への対策として、俺は組み打ちの技、体術を練る事に力を注いだ。
もし、その分の時間と熱意を風神流でより重視される剣術に注いでいたら、或いは目録よりも先に進めたかもしれないが、それはそれで他の門弟達の反感はより強くなったかもしれないし、これでよかったと思ってる。
「なるほど、だったら君の心は、四年前から決まっていたんだね。私は、君ほどの才が険しい野道を行かねばならん事を、実に残念に思うよ。カナもきっと同じ気持ちだろうね」
柳才師の言葉に、俺は深く頭を下げた。
どうやら、他の門弟達の反感は、勘ぐりは、あながち間違いじゃなかったらしい。
息子のタケルがいる以上、風神流の後継って話にはならないと思うが、それでも俺にカナを娶らせた上で、何らかの席は用意する気だったのか。
今の言葉は、それを示唆するものだった。
それを柳才師が口にしなかったのは、俺の心が鬼を追う事に向いていると、勘付いていたからなんだろう。
カナは、柳才師の意志を知っていたのだろうか。
もしカナがそれを知っていて、受け入れる心算だったのなら、俺の選択は彼女を傷付けてしまうのかもしれない。
「いや、責めている訳じゃない。君の道は君が選べばいい。君の父親も、そんな男だったからね。一度決めた事を曲げないのはわかってるよ」
そう言って柳才師は柔らかく、懐かしそうに、それからどこか寂しそうに笑う。
父と柳才師の関係がどんなものだったのか、俺はそれを詳しくは知らない。
同門の兄弟弟子だって話は聞いたけれど、柳才師が父を語る時は、何かそれ以上の物を感じさせる。
「……さて、不忍の鬼だったか。残念ながら不忍という言葉に心当たりはないね。それが地名なのか、名前なのか、それとも言葉の通りに逃げ隠れしないって意味なのか、忍びに関係する鬼なのか」
一つ咳払いをして、柳才師が次に口にしたのはあの、不忍の鬼に関してだった。
そう、僕があの鬼を追うにしても、あれが一体どういう存在なのかがわからなければ、闇雲に探し回る羽目になる。
もちろん今すぐにあの鬼に出くわしても、俺が死ぬだけの結果に終わるから、各地を巡って経験を積みながらにはなるんだけれど、それでもやはり捜索のアテくらいは欲しい。
あぁ、でも確かに、忍びに関係する妖怪である可能性も、あるのか。
あの鬼は、人と話す事に慣れている風にも見えた。
ならば忍びと関りがあるかもという話は、なるほど、かなり頷ける。
忍びとは、簡単に言えば金次第で何でも請け負う、人の世の影に生きる者達だ。
暗殺から城壁の破壊工作や情報収集から、武芸者と同じように街道を行く商人の護衛や、ときには妖怪退治までこなす。
無論、妖怪を退治できるのが只人である筈もなく、彼らは高僧の使う法力や、陰陽の使う呪力や、武芸者の使う気とも、また別の違った力を使って術を行使するという。
あまりに得体のしれない存在であるから、時には人と妖怪の合いの子が忍びだなんて風に言われる事すらあった。
「いずれにしても、捜索はとても困難だろう。……武芸者が妖怪に殺されるというのは、決して珍しい話じゃないからね。もちろん向こうからやって来て道場が丸ごとなんてのは滅多にない大事件だけれども」
柳才師の言葉に、俺も頷く。
あの鬼の手がかりは全くない。
俺は、あの鬼との間に何らかの縁が結ばれているとは感じているけれど、どうすればそれを手繰れるのかは、今は全くわからなかった。
「なので、そうだね。闇雲に探すよりも、まずは各地にいる私の知人を訪ねて歩きなさい。彼らならば何かを知ってるかもしれないし、紹介状は私が書くから、ソウジ君を泊めたり、仕事の斡旋もしてくれるだろう」
だけど柳才師は、俺は風神流の道場を出て行く身なのに、それでも親身になってどうするべきかを考えて、助言と手助けを申し出てくれる。
武芸者として高名な柳才師の紹介とあれば、その紹介状は大いに俺の身元の証明となってくれるだろう。




