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忍びという存在がどのようなものなのか、正直に言えば今でも俺は正しく把握をしていない。
以前は、自分とは遠い世界の存在だし、自分と敵対する事さえなければ関わる機会もないだろうと思ってた。
今は、八重と関わり、一緒に旅をしてるお陰で、彼女を通して忍びという存在を色々と知れたり興味も湧いたが、それでも俺が知るのは忍びの一面に過ぎないだろう。
そんな俺が、今は八重の後ろに付いて、建物の屋根の上を走ったり、気配を消して夜の闇に隠れ潜んで、忍びの真似事をしてるというのが、どうにも可笑しくてたまらない。
忍びの技の心得なんてまるでない俺だけれど、そこは武芸者として鍛えた身のこなしで、どうにかこうにか代用してる。
もちろん目の前を行く八重程には上手くできていないけれど。
あぁ、なるほど。
これが八重の、忍びとしての姿か。
六山の国で山道を駆け下りたり、寒村で妖怪と戦った際にも少しは目にしたが、背に付いてじっくりと眺めるのは今回が初めてで、俺はその姿に感心する。
動きがとても柔らかで、それから静かだ。
恐らく重心の制御と、膝の使い方が上手いんだろう。
それをそのまま真似る事は、とてもじゃないができそうになかった。
女と男は身体の作りが異なっていて、骨の形、肉のつき方も微妙に、部位によっては大きく違うから、あれは八重の身体に最適化された動きであって、そのまま俺には当てはまらない。
ただそれでも参考にはなるし、美しい動きというのは見ているだけでも楽しいので、戦いの予感も相俟って、冷たい夜風を浴びても冷めぬくらいに、俺の気分は高揚してる。
夜道を駆けて、再び港町に辿り着いた俺と八重は、目視した舶来衆の商館を前に足を止めた。
目的地の商館に、強い気配を感じたからだ。
以前、昼間に見た時には感じなかったそれは、あぁ、間違いなく妖怪の放つ陰気である。
どうやら相手はすっかり臨戦態勢で待ち構えてるらしい。
俺と八重の動きが気取られたとは思わないから……、つまりこの気配の主、恐らくリッターは毎夜こうして、まるで戦場の真ん中にいるかのような圧を放ちながら、舶来衆の本拠である商館を守っているんだろう。
これは、まぁ、どうしようもないな。
圧の強さは問題じゃない。
一時なら、俺にだってこれに匹敵する圧を発する事は可能だ。
けれども毎夜、来るか来ないかもわからぬ、いや、ほぼ来る筈のない敵を待ちながら、この気配を放ち続けるのは尋常な精神じゃない。
流石は妖怪と言うべきだろうか。
こんな風に、欠片の油断もなく、敵の襲来を想定して待ち受けられていると、やり過ごす事は難しい。
ちらりと八重に視線をやると、彼女は一つ頷いたので、商館から発せられる圧に対抗するように、俺も強く圧を放つ。
これからそこに攻め込むと、相手にわざと報せるように。
そして俺の気配で、八重の気配を掻き消してしまえるようにだ。
圧を放ちながら、堂々と歩いて商館に向かう。
俺は正面から商館に乗り込み、舶来衆の幹部、リッターとやらと戦う心算だった。
そう、戦いが避けられないなら、下手に逃げ隠れせず、正面から攻め込む方が心も決まる。
但し、戦うのは俺一人。
八重は俺の戦いを隠れ蓑にリッターの観察を済ませ、人百足の時と同様に奇襲を狙うか、……それが難しいなら五花の救出に向かう。
五花の救出でリッターの気が少しでも逸れれば、それはそれで俺にとっては十分な援護だ。
リッターの他にも商館には舶来衆の兵士が詰めているだろうが、只の兵士が忍びである八重を止められよう筈もない。
「何者だ? 止まれ」
商館の入り口には歩哨が二人。
けれども誰何の声と同時に一気に踏み込んだ俺の掌打が一人目の、更に踏み込んでからの投げ技が二人目の意識を奪う。
気による身体強化を前提とした光陰流の歩法、踏み込みは、飛来する矢よりもずっと速い。
しかし、今の歩哨は何だか変だった。
先に掌打で意識を奪った、声を発した側の兵士は普通だったが、後から投げて意識を奪った方は、先の兵士が倒れた後、急にぼんやりとしたように感じる。
まるで寝起きか、或いは魂でも抜かれたみたいに。
ただ、ほぼ間を置かずに二人を制圧したから、あまり詳しく観察できたわけじゃないけれども。
……まぁ、いいか。
引っ掛かりは覚えたが、問題になるような事じゃない。
それに今は、それを気にしてる余裕もなかった。
先程までは張り詰めるように全方位に向けて放たれていた圧が、今は指向性を持って全てが俺に向けられている。
周りの空気が、身体にまとわりつくように重い。
泥中にいるのかと思う程に。
いや、これは気のせいなんかじゃないな。
実際に、空気の粘度が増している。
恐らくはリッターの放つ圧に、強く陰気が混ざるせいだ。
陰気は、気とは真逆の性質を持つ。
気の性質が強化や保護だとすれば、陰気の性質は弱化や劣化、腐敗だ。
刀に気の力を通せば、切れ味は強化され、刀身は保護される。
だが刀に陰気を通せば、切れ味は鈍り、刀身は錆びて朽ちるという。
尤もこの陰気の性質も、そこから生まれた妖怪には関係がない。
例えば妖怪と化した刀、妖刀は、纏う陰気が濃くなる程に切れ味を増し、怪しく輝くそうだ。
まぁ、流石に妖刀の下りは余談だが、要するに今、俺が感じる身の重さは決して錯覚ではなく、陰気によって空気の性質が変わり、粘度が高く、重たくなってる。
加えて俺の心身を弱らせる効果も、この陰気にはあるのだろう。
既に、戦いは始まっていた。
バチリと、火花が散る。
強く纏い直した俺の気が、押し寄せる陰気を弾いたのだ。
同時に、変質した空気も俺の気に押し退けられて、新たな空気が入り込み、風が吹く。
俺はその風を背に受けて、商館の中に足を踏み入れた。




