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初めて目にした海は、どこまでも続く広大な水域だった。
本当に、何も遮るものがないその場所に、俺は感動すら覚えてしまう。
だってこれまで目にしてきた都よりも、山よりも、この海はずっとずっと大きい。
しかしそんな大きな海ですら、人は区切って縄張り争いを行っている。
そしてこの海をひときわ大きく区切って占領しているのが、渦潮の里という忍び衆だ。
渦潮の里は忍びでありながら海賊衆としての顔も持つそうで、他の忍び衆のように世間の目から隠れ潜む事をあまり重視していなかった。
それどころか海を行く商船から通行料を接収したり、大きな軍船を幾隻も保有していて、時にはそれらを使って国同士の戦争に加勢したりもする。
まさにやりたい放題なのだが、それでも不思議と、海沿いに住む民からはあまり悪い風には思われていない様子。
八重曰く、渦潮の里が強い勢力を誇る為、他の海賊が暴れ辛く、海の治安の維持に一役買ってる側面があるからなんだとか。
商船を襲うといっても拿捕して通行料を接収するだけで、沈めてしまう事はあまりなく、また漁船の類は襲わない。
海沿いに住む民の多くは漁業に関りが深いから、商人が被る損害にはあまり興味がないのだろう。
さて、俺が辿り着いた汐網も、そんな渦潮の里の影響を強く受ける国の一つである。
その名の由来は夕方に海から引き上げる網から来ているらしく、漁業の盛んな小国だ。
先程も述べた通り、渦潮の里は漁船の類は襲わず、また以前、汐網が他国から攻め込まれた際には、援軍として駆け付けてこれを撃退している為、この国では渦潮の里の人気が高かった。
もちろんその援軍は、汐網の国が少なくない対価を渦潮の里に支払ったからこそ派遣されたものなのだろうけれど、一般の民衆にはそんな事情は関係ない。
いや、実際にはその出所は民衆から集められた税なのだけれど、そこまで考えが回る者は少ないのだ。
でもそれはあくまで民衆の話で、汐網の国主や家臣となると話はまた別だろう。
彼らは援軍が対価あってのものだと理解しており、それを過剰に恩に感じていたりはしない。
金で買える援軍の伝手は貴重だけれども、それは必ずしも替えの利かないものではないのだから。
八重が六山の時と同じく祈祷を行った際に社から回収した報告書には、汐網の家臣の一部に渦潮の里から舶来衆に、手を組む相手を乗り換えようとする動きがあると記されていた。
ここより西の開戸は、舶来衆を受け入れてから急速に富み栄え、周辺国を侵略、合併して、今では大国の一つになっている。
故に、汐網も舶来衆と手を組み、受け入れれば同じように大きくなれるんじゃないだろうかと、その家臣達は考えているらしい。
但しこの考えを持つ家臣はあくまで少数派で、汐網の国主を始め、多数派の意見は現状維持だという。
……俺には国を治めるという政はわからぬから、どちらの意見が正しいとも判断はつかない。
舶来衆が何を考えているのかも不明だし、舶来との貿易も無限に富の湧き出る泉ではないだろう。
一国を富み、栄えさせる事ができたからといって、他国にまでそれがいきわたるとは限らない。
また乗り換えられた渦潮の里がどんな行動にでるかもわからず、そもそも国を大きくしたところで、それを治める人手が汐網にあるのかどうかも問題だ。
国を治める為には、読み書き計算に長け、政を深く理解している文官と、兵を纏め上げて、軍を率いる武官の両方が必要になる。
そしてその必要な数は国の規模が大きくなればなるほど多くなるから、汐網の国にそれだけの人材がいるとはとてもじゃないが思えなかった。
ちなみに俺は、以前にも述べたように道場の跡取りとして、それから柳才師のところでも、それなりの教育は受けさせて貰ったけれど、それでも文官になるには知識が足りず、武官のように人を纏め上げる能力もないだろう。
個人的な武力ならばどんな武官にも負けぬ自信はあるけれど、それでも個人が幾ら強くとも、一人で軍の代わりはできやしない。
結局のところ、腕っぷしだけでは国を治める為の人材にはなり得ないのだ。
……話は逸れたが、俺には汐網がどうすべきなのかはわからなかったが、その報告書を読んだ八重の表情は浮かないものだった。
あぁ、そういえば、舶来衆は殆どの忍び衆と敵対関係にあると言ってたか。
つまりは舶来衆は俗楽の花にとっても敵であり、小国とはいえ、一つの国がその敵に与しようかという動きがあるのなら、憂慮するのも当然だろう。
それに舶来衆に与しようという動きが、汐網の国だけのものとも限らない。
もし仮に、海沿いの国が一気に舶来衆の支持に回ればどうなるか。
渦潮の里が幾ら海上で強くとも、人は所詮は陸に生きる生き物で、ずっと海の上にはいられなかった。
食料や布、鉄等、人が生きて戦うには多くの物資が必要で、陸からそれを得られなくなれば、やがては渦潮の里も干上がるかもしれない。
そうなると、俗楽の花は舶来衆に対しての味方を一つ失ってしまう。
もちろんそれは単なる可能性に過ぎないけれど、八重はその心配をしてるんじゃないだろうかと、俺には感じられた。
或いは、俗楽の花や他の忍び衆も、状況が舶来衆に傾く事を良しとはしないだろうから、その可能性を潰す為に何らかの動き、……例えば舶来衆に与すべきと主張する家臣の暗殺等が、起きても不思議はない。
それに八重が、当然ながら彼女の護衛である俺も、関わる可能性は皆無じゃないだろう。
何が起きてもいいように、気持ちは備えておく必要がある。
俺の腕っぷしは国を治める事には使えぬが、それでも八重を守る為には、十分に役立つ筈だから。




