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炭谷の国に三日間滞在した後、俺は手入れの終わった刀を、八重は俗楽の花からの新たな指示を受け取って、南を目指して旅を再開する。
次の目的地は、大きく南に下ったところにある、海沿いの国らしい。
例によって大体の事は教えてくれる八重曰く、西国の南方の海では渦潮の里が強い勢力を誇っていたが、近年ではそこに舶来衆が喰い込んできて、両者は海を舞台に激しく争っているそうだ。
その争いの状況は俗楽の花も注視していて、彼女に下された指示は、海沿いの国で調査員から争いの情報を纏めた報告を受け取る事だという。
六山の国でもそうだったけれど、どうやら八重の任務は調査よりも、その調査結果の中継が主となる様子。
しかし、羯磨の国の寒村で彼女が見せた忍術、人百足の巨体を半ばまで凍らせた白い吐息は、非常に強力な技だった。
あんな力を持ってる八重を、ただの連絡係にするなんて、些か勿体なくはないんだろうか。
俺は思わず、そんな風に言ってしまう。
もっと彼女が力を振るえる場は、他にもある筈なのにと。
すると八重は少しだけ照れたように、はにかむような笑みを浮かべながら、
「四木様にそう仰っていただけるのはとても光栄でありますが、これでいいのでございます」
首を横に振ってそう言った。
「周囲に疑いを持たれずに調査を行うには、その地に長い年月をかけて根付かなければなりません。大まかな事なら、旅人であっても調べられますが、その地に長くいるからこそ知れる、気付ける情報というのも多くございます」
あぁ、それは、そうかもしれない。
地元に住む民ならともかく、余所者が何かを調べ回ればどうしても目立つ。
また八重のような実力者を長く同じ場所に留めおくというのも、それは確かに無駄というか、勿体ない話だろう。
「そして得た情報も、それが正しく伝わらなければ意味がありません。こうして、連絡係をする、里に情報を持ち帰り伝えるというのも、とても重要な事なのです」
続く言葉も、理屈の上では正しいと思えた。
ただそれでも、漠然とではあるが、どうしても完全には納得しきれないのは、俺の見識が浅いからか、或いは武芸者だからかもしれない。
武芸者は、どうしても力を重視し、力を振るえる場を求める生き物だ。
故に実力者には、その力を存分に振るえる役割を与えるべきだと考えてしまう。
けれども俗楽の花は情報の取り扱いに長けた忍び衆だという話だったから、俺のような武芸者とは根本から考え方も異なるのだろう。
あぁ、いずれにしても、八重が任務に納得してるなら、俺に言える事は、それ以上は何もなかった。
思えば、俺も随分と八重には気を許してしまっているのだろう。
出会ったばかりの頃なら、こんな風に彼女の任務に口を挟むなんて真似は、決してしなかった筈なのだけれど……。
「何より私は、このお役目が好きございます。色々な場所を見れますし、それに、四木様ともこうして旅ができておりますから」
更にそんな事を言われてしまえば、俺はもう何も言葉を返せない。
何か気の利いた言葉の一つも思い付けばよかったのだろうけれど、俺は口ごもり、ただ頷くしかできなかった。
それから暫く、南への旅を続けていると、ふと妙な匂いが鼻を突く。
不思議に思って足を止め、周囲を警戒しながら八重にそれを告げてみると、
「この距離で気付くのですか。四木様は鼻も優れてらっしゃいますね。それは潮と、それから磯の香りでしょう」
八重は平然として、けれども一応は、周囲の様子を探ってから、俺にそう返してくる。
……潮と、それから磯?
彼女の言ってる事がよくわからず、俺が首を傾げていると、
「簡単に言えば、海の匂いでございます。ただ、磯の香りは浜では強く匂いがしますが、船で沖に出るとあまりしなくなるそうですよ」
少しばかり補足が付け加えられた。
なるほど?
これが海の匂いなのか。
実のところ、俺は海を見た事がない。
海が池や泉や湖とは比べ物にならぬ程に多くの水を湛えた場所であり、神武八州はその海に囲まれた地であるというのは知っているが、それは知識としての話で、実際にどのようなものなのかは、想像も付いていなかった。
だがこのような匂いがするとなると、海辺に住む民は大変だなぁと思う。
我慢できない程ではないが、かなり独特の匂いがする。
それとも常に嗅いでいれば、鼻もそれに慣れるのだろうか。
以前にも少し述べたけれど、神武八州は東国と西国を合わせた本州と、それを取り巻く七つの辺境州で構成される。
ただ今回の調査対象の片割れである舶来衆は、その七つの辺境州の更に向こう側、外なる国からやって来た者達が率いている組織らしい。
そして舶来衆は、海での権益を争い合う渦潮の里だけでなく、俗楽の花も含む、西国の忍び衆の殆どと敵対関係にあるそうだ。
例外は、彼らと結んだ三猿忍軍のみだという。
一体、何の目的で彼らがこの神武八州にやってきたのか。
どうして、まるで狙い撃つように神武八州の忍びと敵対する行動を取ったのか。
俗楽の花は、それを知りたがっているという。
相も変わらず、俺が聞いて良いのか悪いのか、良くわからない話が出てきてしまったけれど。
俺にわかる事はただ一つ。
この匂いがする以上、海はもう、そんなに遠くないのだろう。




