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翌日、俺は芳信和尚の指示で、相田屋という白景の町の商家に向かう。
相田屋は白景の国に本拠を構える大きな商家で、西国でも北部に広く販路を持ち、北の辺境州とも取引があるらしい。
正直、商人でない俺にはそれがどのくらい凄いのかはさっぱりわからないんだけれど、訪れた相田屋の店構えはとても立派だ。
だがそれよりも俺にとって重要なのは、相田屋は俗楽の花という忍び衆に、深い縁を持っているという事だった。
いや、もっと言えば、相田屋は俗楽の花が活動する為に用意した、表の顔の一つなんだろう。
先日の芳信和尚との話で、忍び衆の信用を得て、彼らが守り神と崇める大妖への目通りを仲介して貰うという方針を決めたのだけれども、そうなると次は、一体どの忍び衆に接触してその信用を得るかも決めねばならない。
何しろ西国だけでも、浮雲の里、渦潮の里、三猿忍軍、雪狼の里、俗楽の花、転生衆、舶来衆と、複数の忍び衆が存在するという。
ただこのうち、転生衆と舶来衆は成り立ちが他とは違う忍び衆で、恐らく大妖とは無関係だろうという事で除外される。
残る浮雲の里、渦潮の里、三猿忍軍、雪狼の里、俗楽の花の五つは、芳信和尚曰く、どれも大妖と関わりのある忍び衆だそうで、本来ならば西国の忍び衆でも最も規模の大きな浮雲の里が関りを持つならお勧めだったらしいのだけれど……、残念ながら、浮雲の里は今、三猿忍軍と忍び衆同士で争ってる真っ最中なんだとか。
大きな争いの最中ともなれば、当然ながら余所者への警戒心は高いだろう。
そんな状況で、里の守り神たる大妖に会わせてくれなんて要求が通ろう筈もない。
更に、渦潮の里と雪狼の里も、その争いに浮雲の里の味方として関わっており、舶来衆が三猿忍軍に味方して、忍びの争いは大規模に拡大してるというのだから、残る選択肢は一つしかなかった。
忍びとの戦いも、それはそれでいい経験になるのかもと考えたが、里同士の争いに下手に関与してしまえば、敵対した忍び衆に、この先ずっと命を狙われかねないと、芳信和尚に諭されたのだ。
何しろ彼らは、相手の命を狙う手段を問わない。
寝る時も、食う時も、厠を使う時も、女と過ごす時も、常に命を狙われているかもしれないと疑いながら生きるのは、流石に俺もごめんである。
もちろんその気配を察する感覚を磨く事も、武芸者にとっては必要であろうけれども、警戒に抑圧された生活は自らの気を弱らせてしまう。
……さて、相田屋を訪れた俺は、対応に来た手代だろう男に芳信和尚からの紹介状を渡し、主人に繋いでくれと告げた。
柳才師の紹介で芳信和尚に会い、芳信和尚の紹介で相田屋の店の主に会う。
更にこの後も相田屋の主の紹介で俗楽の花と関わりのある仕事をして、信が得られれば俗楽の花の紹介で大妖に会うのだ。
紹介の紹介の紹介の紹介で、目的の一つに辿り着く。
これが最短距離なのか、それとも遠回りをしてるのかはわからないけれど、この世界は伝手と信頼が絡み合って成り立っているという事を、俺は強く実感する。
尤も大妖に会えたとして、本当の目的であるあの鬼の行方を知っているのかどうかは、まだわからないんだけれども。
待つ事暫し、俺は店の奥にある部屋へと通されて、
「ほぅ、如何にもといった風情ですなぁ。お若いのに大したもんだ」
待っていた相田屋の主人の評価を受けた。
風情か。
意味はよくわからないけれど、恐らくそれなりの評価なんだろう。
或いは、訪れる武芸者には取り合えずそう言って、持ち上げてるだけなのかもしれないけれど。
「芳信和尚から、ここで仕事を請けるようにと」
座し、軽く頭を下げてから、俺は単刀直入に用件を切り出す。
話は、恐らく芳信和尚から通っている筈だ。
そうなれば俺が多弁である必要はない。
昔、父から商人を相手に多くの言葉を口にするなと教えられた事があった。
武芸者が武を磨いて生きるように、商人は取引をして生きている。
取引とは、人と人とのやり取りだ。
つまり商人とは、人と言葉を交わす専門家だった。
武芸者が気を察知して相手の次の動きを読むように、商人は言葉から多くの情報を引き出す。
故に商人を相手に多弁である事は無警戒にも程があるし、彼らはその無警戒さに呆れ、こちらを信用しなくなる。
……と、大雑把に言えばこんな風に父は言っていた。
別に商人を相手に、言葉のやり取りで勝つ必要はない。
それは武芸者のやる事ではないし、お互いに得意な分野が違うのだから、尊重し合って住み分ければいいのだ。
もしも商人が言葉を使ってこちらをやり込めよう、絡めとろうとしてきたら、武芸者は黙って己が得意とする、武力に頼ればそれで済む。
「えぇ、存じております。ただ、これまで貴方様のような望みを持ってここを訪れた方はおりませんので、必ずそれが叶うとは申し上げられません。もちろん、正しく仕事をこなしてくれていれば、こうした者が居るとお伝えはしますが……」
相田屋の主人の言葉に俺は少し考えてから、頷く。
それで問題はなかった。
こちらとしても、大妖と会わせてくれというのが無茶な頼みだという自覚はある。
俗楽の花を相手にそれが叶わなければ、他の忍び衆を相手にそれを願ったり、或いはまた別の方法を考えるだけだ。
すると相田屋の主人は人の好さそうな笑みを浮かべ、パンパンと両の手を打ち鳴らし、部屋のふすまが開けられて、一人の女が中へと入ってきた。
背は低めで、一見すれば童女のようにも思うけれど、纏う雰囲気、漂わせる色香がそれを否定する。
またよく見れば、その顔は驚く程に整っていて、何やら怪しげな、あるいは逆に神秘的なものすら感じさせた。
彼女が纏う装束は、旅芸人とも神職ともつかないもので、俺は初めて目にするが、どうやら歩き巫女と呼ばれる者のようだった。
「この娘、八重を護衛して、西国を旅していただきたい。一応の身を護る術は身に付けておりますが、今の西国は、女が一人で旅をするには危険過ぎます。しかし武芸者の方が護衛をしてくだされば、余計な危険は遠ざかりましょう」
相田屋の主人は、まるで女の一人旅が危険でない時期があるかのような物言いをしたが、それは恐らく言葉の綾で、今の西国は普段よりも危険になってるって言いたいんだろう。
それにしても、一応の身を護る術は身に付けている……か。
ならばこの娘は、女の忍びか。
所作や気の動きから見ても、只の娘でない事はわかるが、武芸者として、その武に興味を惹かれる程じゃない。
ただ忍びであるのなら、単純に武のみでその実力は測れないだろうけれども……。
いや、あまり詮索はしない方が良さそうだ。
この娘、八重がどんな実力の持ち主であろうと、俺を護衛をつけるというのは、それを発揮させない事が求められてるのだから。
他者をまず、斬れるか斬れないか、それで判断しようとするのは武芸者の本能のようなものだけれど、今回ばかりは俺もその本能に蓋をして、黙って彼らの言葉の続きを待った。




