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八重椿(転生忍者奮闘記外伝・壱)  作者: らる鳥


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1/13


 くちゃくちゃと、何かが肉を食む音に、俺は失っていた意識を取り戻す。

 濃い血の匂いが辺りに満ちてる。

 場所は、……家の、光陰流の道場だ。

 身体は動かない。

 まるで糸が切れた人形のように、俺の身体は力を失ったままだった。


 ただそれでも、俺の目覚めは肉を食む何かに伝わったのだろう。

「おぉ、もう気付いたのか。不完全にでもアレを防ぎ、生き残るとは中々の才覚だな。しかし残念ながら、今宵の肉はもう十分だ。どうせ動けはしまい。じっとしておれ。無理に動かなければ死にはせん」

 その何かは、俺に向かってそういった。

 まるで俺を気遣うような声色で。


 木窓からは、空に輝く二つの月の光が入ってきて、道場内の惨状を照らしてる。

 そして俺は、その言葉と光景に、一体何があったのか、今、この道場で何が起きているのかを思い出す。

 肉を食み、俺に語り掛けてきた何かの正体も、一緒に。



 今日は夕暮れ前に、父が仕留めた熊を持ち帰った。

 ここ数日は、秋の終わりが近いこの季節に、里近くで大きな熊の姿が見られた為、父が門弟を連れて熊狩りに出かけていたのだ。

 秋の熊は冬眠に備えて多くの餌を食い溜めするから、行動範囲が広くて狂暴性が増している。

 人里近くで餌を得て、それを成功体験としてしまえば、この先何度も人里に近付いて、やがては人を襲うようになるだろう。

 その前に、またはその行動が他の熊にも伝播する前に、熊を仕留めて人の恐ろしさを山に知らしめる必要があったから、里の人々は武芸者である父を頼り、父も快くその頼みを引き受けたのだ。


 残念ながら、俺は熊狩りには同行させて貰えなかった。

 父が留守にする道場を守るのが、跡取りである俺の役目だと言って。 

 道場主である父にそう言われてしまえば、俺も納得するより他にない。

 これが妖怪退治であるなら、是が非でも同行させてくれと頼みこんだが、熊を相手にして武名を誇るは武芸者のする事ではなかったし。


 そう、只の人ならば深刻な脅威である熊も、武芸を磨いて気の力を身に付けた武芸者ならば、難なく仕留められて当たり前なのだ。

 熊を持ち帰った父も、仕留めるよりも探す方が大変だったと笑って言うくらいに。

 仕留めた熊は道場と里で分けられて、今日の夕餉はちょっとした宴のように豪勢だった。


 けれどもその後の事である。

 皆が食休みをしてる中、すっかり日が暮れた闇の中からそれがやって来たのは。


 一見すれば、それは単なる浮浪者にしか見えなかった。

 ボロボロの布切れを纏い、薄汚れた姿。

 但しよく見れば、その顔立ちは異常な程に整っていて、男か女か、一見しただけでは見分けがつかない。


 だけどそれを、よく観察する事は不可能だ。

 何故なら、気を扱える武芸者だったら、それが発するあまりに濃い陰気に目を奪われてしまうから。

 そう、それは妖怪だった。

 化けているのか、それとも元々人に近い姿をしているのかはわからないが、妖怪である事は間違いない。


 まるで一般的な道場破りのように……、いや、道場破りも十分に一般的ではないんだけれど、まるでそのように立ち合いを求める妖怪に対して、父は頷いて道場にそれを招き入れる。

 その場で屠ろうとしなかったのは、夕餉が終わった後の食休みの場で、父も門弟達も十分な武装をしてなかった事と、戦えぬ者、母や使用人がその場にいたから、戦いに巻き込まぬ為だった。

 武装する時間を稼ぎ、戦えぬ者を遠ざける為に、父はその妖怪をまるでただの道場破りであるかのように扱ったのだ。


 だがもちろんそれも準備が整うまでの話。

 妖怪を相手に尋常な立ち合いをする筈もない。

 一体、この妖怪が何を考えて光陰流の道場を訪れたのかはわからないが、退治される危険を承知で動いている以上、相当な力と格のある妖怪なのだろう。

 

 武芸者には、練り上げた技と気の力があるとはいえ、いざ尋常に、なんて舐めた対応は取れなかった。

 妖怪の力と格とは、即ちその身が有する陰気の濃さと量。

 

 場合によっては、父の気だけではその妖怪の陰気の濃さと量を切り裂けない可能性がある。

 けれども複数人が、門弟達も含めてその気を一斉にぶつけて陰気を削れば、相当な妖怪が相手でも父の刃が打ち滅ぼしてくれるだろう。

 父も門弟達も、もちろん俺だって、そんな風に考えていた。

 光陰流の技で気を打ち込めば、滅ぼせない妖怪なんていないと。


 けれども、想像もしていなかったのだ。

 まさか、野で獣のように生きる妖怪が技を使い、しかもその技が、光陰流の当主である父をも上回っていたなんて。


 道場の中で、武器を手に妖怪を取り囲んだ父と俺、それから門弟達は、一斉に妖怪に襲い掛かる。

 最初に妖怪に届く攻撃は、小鳥遊という名の高弟が突き出した槍の一撃。

 光陰流では刀以外にも槍に弓、投擲術から組み打ちまで技を練っていて、小鳥遊の槍の腕は父にも迫る程だ。


 ……しかしその槍が、妖怪の身体を貫く寸前でパァンと音を立てて粉々に砕け散る。

 そしてそれを成したのが、妖怪の不可思議な能力ではなく、卓越した技だった。

 妖怪が迫る槍の柄に、拳の甲をそっと当てていて、次の刹那に槍が砕け散る程の衝撃、振動を柄から注ぎ込んだのだ。

 俄かには信じられぬ程の圧倒的な武技。


 獲物を失い、呆けてしまった小鳥遊の懐に妖怪が潜り込み、次の瞬間、小鳥遊は目と耳と鼻から血を噴出して意識を失う。

 恐らく、槍を砕いたのと同じ衝撃、振動を、小鳥遊は身体にも注がれたのだ。


 更に気を失った小鳥遊の身体を盾にされ、俺も門弟達も、攻撃を躊躇い止まってしまった。

 だが父だけは、盾にされた小鳥遊の身体を避けて妖怪に一撃を打ち込んでいて、噴き出した黒い血が辺りに舞う。

 妖怪は、苦痛ではなく笑みに口元を歪めると、いつの間にか握っていた刀を振って、父と激しく切り結ぶ。


 その斬り合いがあまりに高度で、俺も門弟達も、二人の間合いに入る事ができなくなる。

 或いは、誰もがそこで見せられる技に魅入られて、動けなくなってしまった。


 でもそれも僅かな時間だ。

 見てる俺にとっては徐々に、けれども実際の時間としては恐らくあっという間に、妖怪が父を追い詰めてしまう。


 跳び退って、

「掛かれ!」

 の声を発した父の意図は、起死回生の一撃を放つ為の時間を稼げというもの。

 見せられた武技に魅入られてはいても、門弟達も俺も、毎日の修練で父の声には即座に反応するように刷り込まれていたから、再び一斉に妖怪に目掛けて飛び掛かる。


 多分、その頃にはもう、門弟達も自分の武技では妖怪に届かない事はわかってた。

 ただ、自分達が稼いだ一瞬で、父の技が妖怪に届く可能性に賭けるしかなかったのだ。

 父だけが、あの妖怪に一撃を入れていたから、ならばそれがあと一歩、急所にまで届けばと、そう思って。


 妖怪は、恐らくそれを阻む事はできたんだろうけれど、やはりニヤリと笑ってそれを受けて立ち、襲い掛かった門弟達を次々と拳の一撃で沈めていく。

 俺は、自分の視界から妖怪の姿が消えた瞬間、剣を振る腕の、肘を咄嗟に下げて、するとそこに強い衝撃を受ける。

 魅入られるように妖怪の動きを見てたから、そこに打撃が来る事は、何となくだが察してた。

 だから肘で防ぐと同時に、気を全力で開放し、残る片手で相打ちの一撃を叩きこもうとしてたのだけれど……、受けた衝撃のあまりの強さに、吹き飛ばされて相打ちどころではなくなってしまう。


 だが張り巡らせた気のお陰か、幸いにも俺の身体が内側から振動に張り裂けてしまう事はなくて、俺は地に転がって身動きがとれぬまま、門弟達が次々に打ち倒されて、最後に父が全霊の一撃、光陰流の奥義を放った姿を目に焼き付けて、意識を失った。



「人を喰うなら、やはり武芸者だな。坊主は脂っけが足りんし、お高く留まった陰陽師なんぞ美味くもない。一般人なんて以ての外だが、武芸者はいい。特に己の腕に自信のある武芸者が、その武芸が通じん時の絶望は、最高に肉を美味くする」

 くちゃくちゃと、妖怪は肉を食みながら、上機嫌で俺に語り掛け続ける。

 こちらは舌も碌に動かぬから、何の返答もできぬのに。

 細く、必死に呼吸をしながら、俺は妖怪を睨む。


「小僧、ここの道場主は中々に強かったぞ。この身に傷を負わせたものは、それこそ軽く百年ぶりだ。たった数十年の修練でその高みに行きつくとは、人間とは恐ろしい生き物よな。……まぁ、それでも数百、いや、千の時をかけて我が磨いた武には届かぬが」

 でも妖怪は、そんな視線を気にした風もなく、肉を食んで語り続けた。


 そして、強引に保たせていた俺の意識に、再び霞が掛かり出す。

 するとそれを察したのか、

「我が一撃を耐え凌いで生き残った小僧よ。貴様も類まれな才がある。是非ともそれを磨き、美味い肉となってくれ。そうすれば我は、この不忍の鬼は貴様を喰いに現れようぞ」

 妖怪は意識の途切れゆく俺に向かって、自らを鬼だと名乗った。




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