お気楽親父は、能天気?
「ただいまぁ」
爽たちがくだらないスカート談議で盛り上がっていた頃。
由奈はいつもよりも少し早めに帰宅すると、リビングに続く扉からは温かい光が漏れ出ていた。
「おっ、由奈。おかえり」
暖房が程よく効いた室内。
その中心に位置するソファーでロックグラス片手にウィスキーを嗜んでいるのは、長瀬 貞夫――由奈の父にして、悠久高校の学校長その人だった。
テーブルの上にはお気に入りのスコッチウィスキー――ティーチャーズが一本置かれており、その脇には気持ちばかりのナッツが豆皿に盛られている。
「お父さん、今日は早かったんだね」
由奈はカバンをソファーに置くと、貞夫の反対側の位置に腰を下ろす。
「まぁね。病院空いてたし、特別な事なんて何もなかったからね」
「結局、大丈夫だったの?」
「大丈夫みたいだよ。とりあえず、健康的な生活を心がけろって言われたくらいさ」
「言われたこと、ちゃんと理解してないじゃない……」
「んっ? 何のこと?」
「手に持ってるそれ、どう見ても健康的な生活からちょっと外れてない?」
ロックグラスを片手に持つ貞夫に、由奈は呆れた表情で咎める。
一方の貞夫は、特に気にするどころか軽く笑うと、
「なぁーに。酒は百薬の何たらっていうじゃないか」
「普段そんな飲まないくせに、お医者さんから言われてこれじゃ、お母さんも呆れるよ……」
由奈は視線を少し脇に逸らす。
そこには気持ち程度に収められた、小さな仏壇。
中央に置かれた遺影の中には、由奈に似た柔らかい雰囲気の女性の笑顔がこちらを向いていた。
貞夫も由奈の視線を追うと、
「そんなことないさ。むしろたまには良いんじゃない?って言ってくれると思うよ」
少し寂しげな笑みを浮かべながら、いつも通りの軽い調子で答える。
そしてふと、いつもと少し違う娘の様子に目を留めると、
「それよりも由奈、僕よりもずっと、由奈の方が疲れていそうじゃないか」
「ううん、別にそんなことないよ」
「そうか」
貞夫はグラスを一口仰ぐ。
酒精混じりに一息つくと、
「なら、宏太君と何かあったのかい?」
ほぼ断定的な口調で言った。
由奈は反射的に身体を震わせながら、目を見開くと、
「な、なんで分かったのっ?」
「そりゃ、由奈の父親だからね」
「理由になってないじゃない……」
「いや、立派な理由さ」
再び鼻から穀物の甘い香りを吐き出し、グラスをテーブルの上にそっと置いた。
「それで、彼と何かあったのかい?」
「別に、大したことじゃないと思うけど――」
由奈は放課後にあった出来事を、簡潔に説明する。
あまりにもドライな宏太の教育論に、貞夫は表情一つ崩さずに、時折相槌を打ちながら娘の言葉を吟味していた。
「だからコウ君は、ちょっと放任すぎると思うんだよね……」
一通り話を聞き終えると、貞夫は一拍置いてから、再びグラスを手にとる。
「なるほどなぁ」
言いながら、透き通った琥珀色の液体を舌先で舐めると、
「彼にも彼なりの考えがあるんだろうけど、それは確かに心配かなぁ」
「やっぱりお父さんも、そう思う?」
含みを残した物言いに、由奈も確かめるように同意を求めた。
「当然さ。これでも一応は、学園の責任者だし、教育者をまとめてる立場だからね」
んー、としばし何かを考えるそぶりを見せる貞夫。
一方の由奈は、ダイニングキッチンの前に立って、手を洗い始めた。
すると不意に、
「そうだ」
貞夫は急に何か閃いた表情を浮かべる。
「いい事、思いついた」
「えっ?」
由奈が水栓を下げて水を止めると、貞夫はいつもの穏やかな笑顔のまま口にする。
「由奈、そのモテモテな生徒君と宏太君を、明日の放課後、学校の裏山に連れてきてほしい」
「……なに、いきなり急に……」
警戒の色を露わにしながら、由奈はタオルで手を拭く。
「なぁに、面倒なことはしないさ。むしろ由奈たちにとっても、いいガス抜きが出来るはずだよ」
「なに、企んでるの?」
「それはその時までのお楽しみかな。いわゆる、サプライズってやつだよ」
何処か浮きだった様子でグラスに口をつける貞夫。
その様子に由奈は、
「はぁ……、またお父さんの思い付き?」
と、何処か呆れた表情で言うも、貞夫からの返事はない。
結局、由奈の疑問が解消されることはないまま、二人はいつもの夜を迎えた。
風呂場から自室に向かおうとする道すがら、由奈はふと庭が見える窓の前で足を止めると、
「ほんと、何考えてるのやら……」
寝巻きを着た貞夫が、暗い屋外の物置の中で何かを探している様子を見かける。
「お父さん……、ホント、子供っぽい」
言いながら由奈は、ふと優しげな笑みを浮かべる。
自然とあくびをした由奈は、窓越しながら、「おやすみ」と言って、そのままカーテンを閉めた。
一方の貞夫は、娘から向けられていた視線に終始気づくことなく、物置の中を漁り続ける。
空気がよく澄んだこの日の夜空は、月明かりを遮る影すら何処にもない。
そんな青白の優しい光は、貞夫が手に持った銀色のポットを輝かせていた。




