残業ばかりの、教師たち
由奈に大量の仕事を押し付けられた宏太は、重い足取りで給湯室のコーヒーマシンにマグカップをセットした。
スタートボタンを押すと、コーヒー豆を砕くミルの音が部屋中に響き、次第に引き立てのいい香りがあたりを包み込む。
すっかり慣れた給湯室の空気に、ようやく人心地つくと、
「よっ、コウくん!」
「はぁ……」
ゲンナリした声で、宏太は扉の方へと視線を向けた。
そこにはパツパツの赤色のジャージに身を包んだ、ゴリラのような見た目のイカつい角刈り頭の姿があった。
見た目は軍人、性格は拍子抜けするほど人当たりがいい、同じ一学年の別クラスを受け持つその教師の名は――粟島 悟だ。
「コウ君はやめてください、ハマ先生」
半分冗談めかした口調で、宏太は言いながら再びマグカップに視線を落とす。
ちなみに宏太は“ハマ先生”と濁したが、実際には、生徒からは強靭な馬力を持つオフロード車の名になぞらえて、“ハマー”だなんてあだ名をつけられている。とはいえ粟島は特に気しないタチらしく、節度と場合さえわきまえれば、むしろ喜んでその名を呼ばれているほどだ。
そんな粟島は、宏太の疲れ切った様子など気にした様子もなく、
「なんだよ、冷てぇなぁ~」
「逆になんで、アンタはそんなに元気なんすか……」
「おっと、元気の秘訣、聞きてぇのか?」
「いや、興味ないっす」
ちょうど抽出が完了したコーヒーメーカーから、宏太はカップを取り出しながらそっけなく答える。
「おいっ! 今のは絶対“聞きたいです!”って返す流れだろっ!?」
「はぁ……。言いたければ言えばいいじゃないっすか。耳だけは開けておくんで」
粟島先生の無駄にハイテンションなノリに、宏太は口では言いながらも新しいフィルターを機械にセットしながら聞き流した。
「んだよ……。もうちょい後輩らしく、可愛げがあってもいいじゃねーかよ……」
肩をすくめ少しいじけながらも、今度は粟島先生がコーヒーメーカーにコップをセットすると、コーヒーの抽出を始めた。
「可愛げが無い後輩で、悪うござんしたね」
宏太は再び熱いコーヒーが入ったカップを手に持つと、
「そんじゃ、先戻りますよ」
「ちょい待った」
給湯室を出ようとした宏太を、粟島先生が呼び止める。
「ん? 何すか?」
「宏太お前、“引継調書”にちゃんと目通したか?」
「いや、これからっすけど……。てか、今日由奈の奴から渡されたばかりだし……」
つい数分前に置き去りにされたファイルたちを思い出し、宏太はゲンナリした声で答える。
「マジかよ、俺なんて一週間前には副担から預かってたぞ?」
「いや、逆になんでそっちはそんな早いんすか……」
「普通だよ。指導日報にまとめなきゃだし。っていうか、もしかしてこれから“アレ”やるのか?期限は明日までだろ……」
「しゃーないじゃないっすか。マジでさっき貰ったばかりなんすから」
「うわぁ……、二人でやっても、アレはなかなかだぞ……」
「二人じゃねーっすよ」
宏太の一言に、粟島は一瞬きょとんとした顔を浮かべ、
「はっ? 由奈っちはどうしたん?」
「アイツ、見捨てやがりました」
「マジか……、由奈っち、意外とドSだなぁ……」
苦笑いを浮かべながら、ポリポリと頭をゴリラのように掻く粟島。
「でもまぁ、アレは担任教師の仕事だからな……」
一拍置くと、粟島はニッと笑いながら、
「頑張れっ、コウ君っ!」
「口で言うくらいなら、手伝ってくださいよ」
「すまん、可愛い後輩の頼みは受けたいのも山々なんだが、今日はちょっち予定があってよっ……」
「どーせ、これからジムでしょ?」
「いつもはそうだが、今日は違うんだなぁ」
コーヒーカップに口を付けながら、宏太は小首をかしげた。
「俺のクラスに一人、不安な生徒がいるんだよ」
「不安な子?」
「あぁ……、表向きは全然違和感ないんだけどなぁ」
珍しく歯切れが悪い粟島先生の物言いに、宏太はつい反射的に聞いてしまう。
「なんすか、その不安な奴って?」
粟島先生は一瞬躊躇った様子を見せるも、案外さらっと口にしてきた。
「中学時代に家出経験がある生徒でよ……、家庭環境が当時から今もあまり変わりないらしい」
「へぇ……」
「ってなわけで、これから当時の担任とアポとって、詳細聞いてくるってな訳ですよ」
言い終えるや否や、抽出が完了したことを告げる電子音が再び鳴った。
マグカップを横に置いて、新しいフィルターをセットしなおす粟島先生の背中に、
「もしかしてこの学校って、問題児ばかりなんすか?」
「いや、何処の学校もこんなもんだろ。ってか、何も起こさない生徒ばかりってのも、逆に不気味だと思うけどな」
余裕の表情で淡々と言いながら、粟島先生はマグカップに口をつける。
「どういうことっすか?」
「生徒だって、もう一端の人間だろ? 考え方は大人とほとんど変わらない奴もいるし、なんなら俺らよりもよっぽど物事見てる子もいる。俺に言わせてみれば、高校生ってのは、“中途半端な大人”だな。そんな多感なあの子たちが、問題の一つや二つ、抱えてるのはあたりまえだろ?」
「な、なるほど……」
「ついでに言えば、生徒たちが抱えてる問題ってのは、教師が把握できる範囲にあるだけマシだと思った方がいいぞ。一番怖いのは、上手く隠し通されて、どうしようもないところまで行き着く奴だな。そうなれば大抵の場合、いくら担任の教師とはいっても、どうしようもできなくなることが多い」
「粟島先生は、経験あるんすか?」
「あるよ。そりゃ、宏太がランドセル背負い始めた頃から、ここで教師やってんだ。それなりの後悔もしてきた」
再びコップに口をつけると、粟島先生は過去の苦い記憶に顔をしかめる。
「まぁ、それもこれも、結果的には俺自身の学びにもなったのは事実! 宏太も一人、いい感じに修羅場ってるイケメンがいんだろ? 妥協しないで、宏太なりに向き合ってやればいいさ」
粟島先生の言葉を、真剣な表情で受け止める宏太。
その様子に粟島先生は、
「さて、俺はそろそろ行くよ。可愛い生徒の未来に保険をかけてくるわ。お前もなんか困ったことあれば、遠慮なく言えよ。できることありゃ、力になるから」
「粟島先生」
言いながら出て行こうとする彼を、宏太は迷いのない口調で呼び止めた。
「ん?」
「なら早速、クラス交換してください」
半分本音で言う宏太の戯言を、
「そりゃできねぇ相談だな!」
がはは、と豪快に切り捨てた。
「相談乗ってくれるって、言ってたじゃないすか。嘘つき」
「そりゃ相談じゃなくて、ただの押し付けだろ。例のアレは、宏太の力で乗り越えろ」
「冗談に決まってるじゃないっすか。マジレスしないでくださいよ」
「どうだかな。今のお前、目がマジだったぞっ?」
「ちぇ……」
「それじゃあ、ホントに行くからな。残業、がんばれよー」
言いながらようやく、粟島先生は給湯室から姿を消していく。
宏太が手にもつコーヒーは、まだ半分近く液体が残っているにもかかわらず、既にぬるくなり始めていた。
「はぁ……、淹れなおすか」
もったいないとは感じつつも、中途半端な温度が残る液体を流しに捨てて、再びコーヒーマシンにカップを置く。
再び豆を激しく砕くミルの音が響く室内で、宏太は初めて受け持つ“クラス担任”という肩書の重さを、粟島が残した言葉の数々を反芻しながら噛みしめるのだった。




