オーバーフロー
「だ、だいじょうぶなのかな……」
粟島が教務室を出て行ってから数十分後。
教諭朝礼を簡単に終えた由奈は、内心の不安をどうにか紛らわせながら、粟島が受け持つ一年三組の教室に向かう。
元々一限目は、由奈が受け持つ英語の授業ということもあって、ついでにホームルームを任されること自体は苦ではない。
とはいえ状況が状況故に、もし生徒から粟島の不在についてツッコミを受けた時の反応にどう返せばいいのか、まったくと言っていいほど整理がついていないのだ。
「とりあえず、無難にやり過ごすしかないよね……」
独り言を溢すと同時に、始業のチャイムが鳴り響く。
由奈は覚悟を決めて、粟島が受け持つ一年三組の教室の戸を開いた。
「みんなー、席に着いてください」
担任とは違う声が響く教室に、案の定生徒たちは一様に驚きと怪訝な表情を浮かべた。
内心で(無理もないよね……)と由奈は思いつつ、教卓にタブレットを一台置いて正面を向く。
それまで賑やかだった教室内は、由奈の号令を境に落ち着き始める。
生徒がそれぞれ自席につくと、ソワソワとした場の空気の中で、一人の男子生徒が徐に声を上げた。
「由奈ちゃん、ハマ先生はどしたん?」
「こーらっ、一応私、先生なんだからね? 長瀬先生、って呼ぶようにっ」
「じゃあ由奈せんせー、ハマちゃんは今日どうしたの?」
今度は女子生徒の一人が口を開くと、由奈は微妙な笑みを浮かべながら答える。
「ハ――、粟島先生は、急な用事で外出中です。放課後までには戻ってくると思うけど、それまでは副担任の黒崎先生が粟島先生の代わりになると思います。とりあえず、一時間目は私の授業だから、朝のホームルームだけは、私が担当するね」
言いながら由奈は、学年主任から手渡されたタブレットを開く。
「それじゃあ早速だけど、出欠を取っていくね。今日の出欠コードは……」
由奈はチョークを手に持つと、教師向けのタブレットに表示された四桁の数字を黒板に書いていく。
この学校の出欠管理は、主に生徒側のスマホやパソコンと教師のタブレットで管理されている。
生徒たちが出欠報告用のアプリで、その日担任から言い渡される認証番号を入力すると、リアルタイムで担任側のタブレットに出欠情報が反映される仕組みだ。
現に由奈が手に持つタブレットには、生徒が出席している事を意味する緑色の表示が徐々に増えていく。
ある程度入力が落ち着く頃合いになると、由奈は未入力の生徒の名前だけを読み上げて、最終確認を始めた。
とはいえ呼ばれる名前は、たった一人分。
「柿崎 奈々さーん?」
由奈が声を呼びかけるも、返事は帰ってこない。
念のため座席表と照らし合わせてみると、そこは確かに空席になっていた。
(柿崎さん……、事前の欠席連絡は……、ない?)
整合性が取れない状況に、由奈は眉を顰める。
早速嫌な予感に緊張を覚える中、別の女子生徒が声を上げた。
「由奈先生、奈々はまたお休みなんですか?」
空席の一つ前の席で声を上げたポニーテールの女子生徒は、何処か不安そうな表情を浮かべている。
「え、えっと……」
由奈は慎重に言葉を選びながら、一番無難と思われる事実だけを口にした。
「いつもは事前連絡あるんだけど、今日はその……、まだ連絡が来てないみたいだね……」
言いながらこの時、教務室で粟島が口にしていた名前をふと思い出した。
――はっ!? 柿崎さんがっ!?
状況をふと思い出し、由奈は(しまった……)と内心で焦る。
柿崎 奈々の連絡がないのは、今朝の一件を思い返せば無理もない。
(わ、私のばかぁ……)
根本的なミスをしてしまったことを察するや否や、由奈は内心で弱々しくも自分を責めた。
同時にこれ以上、この話題を広げるのは危険だと察した由奈は、さっさと連絡事項の伝達をしようとした――その時。
「えっ!」
また別の生徒――今度は由奈の目の前に座る女子生徒の一人が、突然声を上げた。
「ど、どうしたのかな?」
「これ……、柿崎さん家の近くじゃ……」
スマホの画面を由奈に差し出しながら、恐る恐るという女子生徒。
彼女が差しだす画面に映し出されたネットニュースの記事に、由奈は思わず目を奪われた。
『【速報】新保地区で女子高生が車に跳ねられ、意識不明の重症』
ニュースの詳細を確認しなくても、一気に血の気が引くタイトルと現場の画像。
スーパーや大型書店が並ぶ対面車線――その中央に位置する横断歩道には、数台のパトカーや救急車が雑然と停車している様子が物々しく映っている。
被害者の様子は画像に収められてはいないが、ブルーシートや大きく破損している自動車までも写されている辺り、かなり大きな事故になっているようだった。
そんなあまりにも由奈の様子が衝撃的に見えたのか、「え?」と「どれどれ?」と、クラスの生徒がみんな前方に集まってくる。
スマホを下にスワイプさせると、事故の概要が簡単にまとまれている記事とともに、所々別のアングルで撮られた現場の画像が表示されていった。
「ほ、ほらっ、みんな! 席に戻ってっ!」
由奈はふと我に返ると、生徒たちにそう促す。
だが生徒たちは皆、記事の詳細に夢中で誰一人動こうとする様子はない。
生徒たちの中でコソコソと広まるばかりの確証もない憶測に、由奈は少し表情を険しくさせて、再び声を上げようとした――その時だった、
「おいっ! これやっぱ、柿崎さんじゃね!?」
教室の後ろの方で、制服を着崩した男子生徒が大きな声で叫んだ。
「ほらっ!」と、自身のスマホを周りに見せるように掲げるその画面に、生徒の意識は彼の手元に集中する。
画面に表示されている画像に、クラス中の空気の温度が一気に下がった。
そこに映っていたのは、この学校の制服を着た、一人の女子生徒の画像。
人懐っこそうな童顔に、証明写真でも伝わるほど柔らかい雰囲気。
そして何よりも特徴的な二つのお団子ヘアは、このクラスに所属する生徒なら皆知っているシルエットだった。
「ほ、ほんとだ……」
「これ、ほんとに奈々ちゃん……、だよね……?」
教室の困惑の声が広まっていく。
これ以上、生徒に場を持たせるのは不味いと悟った由奈は、
「み、みんなっ! 早く席につ――」
内心の動揺を隠しながら、場を制止しようと声を張る。
だが、由奈が最後まで言い切る前に、
「う、うそ……」
一人の女子生徒の一言で、教室内は一気に静寂を帯びた。
生徒たちの視線を一気に集めたのは、奈々の一つ前の席に座っていた少女――ポニーテールが特徴的な女子生徒だった。
そんな彼女の表情は何処か虚ろで、光を失った目元には涙が浮かんでいる。
由奈は慌てた様子で、座席表からその少女の名前を確認すると、
「い、糸川さん? 大丈夫……?」
「や、やだっ……」
次の瞬間、ポニーテールの少女の身体が力なく床に崩れ落ちた。
教室内は完全に混乱を極め、周りの生徒たちが一斉に倒れた女子生徒に押し寄せる。
「い、糸川さんっ!?」
「美鈴ちゃんっ!! 大丈夫っ!?」
「バカっ! あまり頭動かすな! 由奈ちゃん! 早く保健室!!」
気絶した生徒の元に駆け寄るクラスメイト達。
由奈は男子生徒からの声で、ようやく呆然とした思考から現実に戻ると、すぐさまポニーテールの少女の元へと駆け寄った。
「とりあえず、みんなは席に戻って! 一時間目は自習にします!」
簡潔にその後の指示を済ませると、由奈は慌てた様子で倒れた女子生徒を抱きかかえる。
そしてすぐさま三組の教室を後にすると、ほとんど身長差のないポニーテールの女子生徒――美鈴を保健室へと運ぶのだった。




