神様はいつも、裏切り者
「はぁ……」
台所で洗い物をしながら、制服にエプロン姿の美鈴は、今日何度目かの溜息を溢した。
独り言のように芸人が声を上げるテレビをつけっぱなしにしながら、黙々と一人分の食器を洗い続ける。
洗剤を丁寧に洗い流して、横の食器かごに置いた洗い物の数は大した量ではない。
最後の小皿をかごの中に立てかけると、美鈴はタオルで自分の濡れた手を軽くぬぐった。
「なんか……、私だけ損してるみたいじゃん……」
悪態を吐くように、美鈴は昨日の放課後の、あの短いやり取りを思い出しながら、キッチンの明かりを消す。
何となく向いた足は、リビング中央のL字のソファーだった。
「はぁーっ……」
一人で使うにしては、少し広すぎる空間――そこにお気に入りのイルカのぬいぐるみを抱きしめながら、美鈴は上体をソファーに倒した。
視線の先では、スキンヘッドの芸人の頭を司会者がハリセンで叩く様子が映っていて、画面の向こうで一斉に笑い声が上がった。
「ははっ……」
つられて渇いた笑いを漏らす美鈴。
ボケーっと時間を過ごしているうちに、時刻は9時を回っていた。
「いい加減、着替えないと……」
制服姿で横たわったまま、美鈴は壁にかかった時計を眺めて独り言を溢す。
するとその時、ローテーブルの上にあった美鈴のスマホが突然震えた。
「ん……?」
怪訝に思いながら、美鈴はスマホを手に取って画面を確認する。
するとそこには、奈々からの着信を知らせる応答画面が表示されていた。
「奈々っ?」
普段あまり通話しない相手からの着信に、美鈴は驚きながらも応答ボタンを押した。
「も、もしもし?」
『美鈴ちゃーんっ。いきなりごめんね? 今大丈夫だった?』
「へーきだよ。制服着たままダラダラしてただけだし」
『えっ? まだ制服着てるの? もしかして、帰ってきたばっかり?』
「ううん。なんかめんどくさくなっちゃって……」
『だめだよぉ。早くハンガーにかけて、休ませてあげないとぉ』
「えへへ、そうだね」
そう返しながら、美鈴は再びソファーに身体を預ける。
イルカのぬいぐるみを両足で挟みながら、美鈴は今日一日ずっと気になっていたことを口にした。
「でも奈々こそ、今日はどうしたの? 体調でも悪かった?」
爽に再度アプローチをかける決意をした翌日――つまり今日一日、奈々はなぜか欠席していたのだ。
心配していたことを単刀直入に切り出した美鈴の声に、
『い、いやぁ……』
奈々は妙に歯切れの悪い反応を返しながら続ける。
『体調はなんだけど、昨日からちょっと“勉強”に集中しすぎちゃいましてー……』
「ふーんっ」
美鈴はどこか言い訳がましい奈々の答えに、据わった目をしながら確信を持った声で、
「要するに、まぁーた夜遅くまでゲームしすぎて、起きられなかったんだっ」
『でへへぇ……、バレちゃった……?』
「当たり前でしょー? 何年一緒に居ると思ってるのっ?」
『えへへぇー、それもそうだったねぇー。以後、気を付けまーすっ』
何度か交わした覚えのあるやり取りに、美鈴は自然と表情が和らぐ。
奈々との中身がある様でない会話は、美鈴にとって素直に、現実のしがらみから一度離れることが出来る時間だった。
だがこの時は珍しく、奈々の方からその空気を打ち破るような話題を切り出してくる。
『そういえばさー? 美鈴ちゃん、昨日はあれからどうだった?』
思いもよらない話題の跳ね方に、美鈴はキュッと両足に力が入った。
「っ……」
思わず言葉を詰まらせていると、奈々はなんてことがない調子で、
『あぁー……、振られちゃったんだぁ』
「ふ、振られたわけじゃないしっ!」
美鈴は慌てて声を上げる。
『じゃあ、ゆっくり話せたの?』
「そ、それは……」
『ふーんっ……』
またも声を詰まらせる美鈴の反応に、電話越しの奈々は茶化すような口調で、
『美鈴ちゃん、かーわいいっ!』
「なっ!!」
美鈴はポッと顔を真っ赤に染めると、
「奈々っ! おちょくらないでよっ!」
必死な口調で奈々に抗議する。
『おちょっくてないよぉ。今の美鈴ちゃん、とっても美鈴ちゃんらしくて、すっごく可愛かったっ』
「むぅ……。なんか、解せぬ……」
言いながらイルカを抱く片腕の力を強めると、美鈴は自然と表情を緩めた。
一方、電話越しの奈々は、彼女らしい控えめな笑い声をあげている。
そんな電話越しの幼馴染に、
「奈々、ありがとね」
美鈴は素直に礼を述べた。
「んっ? なにがっ?」
「私が落ち込んでることを察して、電話くれたんでしょ?」
直接口にはしなくても、奈々は昨日の時点でおおよそ結末を察していたのだろう。
だからあえて、こんな間の置き方をしてまで美鈴を気にかけてくれている。
そんな奈々の内心を想像しながら、美鈴はソファーから上体を起こした。
『美鈴がそう思ってたなら、そういうことのしておくがいいぞよ? 私はただ、一日美鈴ちゃんと話せなかったから、声聞きたかっただけだしっ』
「そっかっ」
奈々らしい照れ隠しに気づきつつ、美鈴は瞳に光を取り戻しながら、
「それでも、ありがとね」
『そんなに感謝しきれない様子なら、明日はトッポを献上するがよーい』
「それ、ただ奈々が食べたいだけじゃんっ」
『ムフゥーン、楽しみにしてるねっ』
奈々の満足そうな声に、
「はいはいっ、それじゃあそろそろお風呂入るから切るね」
『うんっ、また学校でねー』
「うん、また明日っ」
こうして美鈴はようやく、スマホを耳から離した。
通話時間は十分くらいと短めだったが、美鈴は十分すぎるくらいの元気を奈々から受け取ったように感じる。
「よしっ、お風呂入ろっ」
爽との距離がなかなか近づけなくても、親がほとんどいなくても――そばにはいつも、奈々が居てくれる。
今の美鈴にとって、唯一の支えと言ってもいい彼女の存在――それを神様は無慈悲にも、ただの気まぐれで美鈴から引き離そうと企んでいることなど、この時の美鈴は全く知る由もなかった。




