プロローグ ~モテる生徒は、湿気ている~
依然UPしたシリーズ第一部の改稿版です。
前作よりも描写や内容をさらに濃くした、作者的により面白くできた内容になっているかと思います。
シリーズと若干の矛盾がある場合もあるかと思いますが、順次修正して行ければと思いますので、本作は本作でお楽しみいただけたら嬉しいです。
ドンっ。
当時中学2年だった菅谷 爽は、突然の衝撃にバランスを崩した。
場所は夕日が差し込む体育館倉庫。
人気のないこの場所に呼び出された爽は、「えっ」と短い驚きの声を漏らすと、足元にあった薄汚れたマットに身体を打ちつけた。
「しっ、誰か来ちゃうでしょっ」
小声で咎めるように言う年上の女子生徒は、目を爛々とさせながら爽の元に近づいてくる。
身長は平均よりも少し高い、爽と同じ演劇の先輩。
中学生らしく制服を乱れなく着こなしていながら、ふわっとアイロンをかけた明るい髪に、人懐っこそうな少し童顔が印象的な可愛い女子生徒だ。
いわゆるユルフワ系という印象が似合う彼女は、いつもの雰囲気には似つかわしくない、懇願と焦りが入り混じった、歪な表情で爽に迫っていた。
「ねぇ、いい加減返事してよ」
「いや、僕はちゃんと断っ―――」
爽は身体を恐怖に震わせながら、掠れた声を必死に振り絞るように言いかける。
だがその刹那、突如倉庫内に「パンッ!」と乾いた音が響いた。
同時に感じた頬の衝撃と熱を帯びるような痛みに、爽は引っ叩かれたことを遅れて理解した。
「違うでしょ? あれは私が欲しい答えじゃない」
何処か威圧的に迫る先輩は、ジリジリと爽に歩み寄る。
「いい加減、私の欲しい返事、返してくれないかな? 君は私の物で、私は君のでしょ?」
真っ直ぐと向けられた先輩の表情は、整ったその顔立ちに似合わない悲痛と懇願が入り混じっていた。
彼を射止めるように向けられた瞳の奥には光がなく、普段の先輩からは感じられない薄暗い影に、爽は背筋を凍らせる。
同時に、何か大切なものを失った喪失感が胸を締めつけた。
初めての文化祭の舞台で爽がミスをしても、優しく励ましてくれた先輩。
そして、直々に初めての演技を手取り足取り教えてくれた、いつも笑顔で明るい師匠。
つい数日前の告白までは、仲がいい先輩だったはずなのに――そこにあったのは、爽の知っている先輩の姿ではなかった。
「ぼ、僕はっ――」
爽は怯えの混じった目を向けながら、だけどはっきりとした口調で反抗しようとするも、
「反抗する気? それ、無駄っ」
バンっ、と、爽の整った顔のすぐ横に細い腕が行く手を阻む。
「ゼッタイに、キミだけは逃がさないからっ」
目を爛々とさせながら、先輩は顔を爽の怯えた口元に近づけていく。
「や、やめッ――」
爽が身をよじり、最後の足掻きを試みたその瞬間、
――ガラガラガラッ、バンッ!
固く閉ざされていたはずの扉が勢いよく開け放たれた。
誰かの声が鼓膜を強く刺激すると、それまであったはずの重圧から一気に解放される。
それから起きた記憶は、爽もあいまいで覚えていない。
ただ今も爽の中には、誰かに引き離されながら叫ぶ先輩の姿だけが、断片的に残っていた。
「やだッ!!私には爽くんがッ、爽くんは私が居ないとだめなのッ!!離してッ!離せぇーッ!!」
まるで呪いの言葉を吐き散らすように、光の向こうへと姿を消していく先輩の影。
それから爽は、部活はおろか学校内で、先輩の姿を見かけることは二度となかった。
いや、周囲が意図的に、そうしてくれていたのかもしれない。
先輩のその後については、憶測を含めて色んな噂が囁かれていたようだが、最終的に爽が、その事実を知ることは決してなかった。
結局、爽の内心の葛藤を置き去りにしながら、季節は巡っていった。
高校受験で一時期は気を紛らわせながらも、クラスメイトの女子から名前を呼ばれる度に、身体が反射的に固まるようになっていた。
(なんで僕は……、何も……)
中学校を卒業して、第一志望の高校に進学する。
そして爽は何一つ答えを得ないまま、真新しいブレザーに身を包み、私立悠久高校の校門の前に立った。
こうして冷めきった記憶を抱えたまま、爽は新しい日常に足を踏み入れるのだった。




