和菓子の季節に
またお目にかかれて嬉しいです!
第9話をお届けします。
日曜のお昼前。
「ポピー、お散歩に行こうか」
鈴花が呼ぶと、黒柴が寝室の奥から滑り出るように走ってきた。
玄関で自分のしっぽを追いかけ、くるくると何周も回る。
息を切らせて止まったところで、ようやく「ワン!」と大きく答えた。
外に出ると、冷たい空気が頬にピリリと当たる。
でも日差しは明るくて、先月までの重苦しい寒さとは少し違うように感じられた。
ふうー、と一息ついて、鈴花はポピーと歩き出した。
「こっちにしようか」
お気に入りの散歩ルートがいくつかあって、いつも、その時の気分で選んでいる。
まずは家からほど近い、和菓子屋さんの前を通ることにした。
鈴花が右に身体を向けると、ポピーは着いてこいとばかりに、勢いよく前へ飛び出した。
ガラスの掃き出し玄関の上に、控えめな板看板を掲げた「小豆庵」は、住宅街の中にある日本家屋の一角を改装した、小さな和菓子屋だ。
鈴花が通りかかると、まん丸眼鏡をかけた売り子兼職人の奥さんが、玄関前を掃き掃除している手を止めて、ほんわかした笑顔で声をかけてきた。
「あら、ポピーちゃん。お散歩いいわねぇ」
「加藤のおばちゃん、こんにちは」
「こんにちは、すずちゃん。まだ寒いのに、えらいわねぇ」
いつも何でもまず褒めてくれる加藤のおばちゃんが、鈴花は大好きだった。
ポピーも犬好きな人が分かるのか、おばちゃんにはしっぽをブンブン振って飛びついてゆく。
開いたままの玄関から、商品カウンター越しに奥を覗くと、白い帽子とエプロン、マスクを付けた加藤のおじさんが、何かを手にもって、あっちこっちに角度を変えては眺めているのが見えた。あれは。
「おじさん、お菓子を作ってるの?」
「おう、すずちゃん。そうだよ」
手元には明るいピンクの粒々がつややかな、まあるいお餅。そこに深緑色のふちがギザギザした葉っぱを、近づけては離し、角度を変えては見直している。
わぁ、もしかして、そのきれいなお餅は。
「おじさん、それは、桜もち?」
「そうだよ、もうすぐ出すからね。ニューバージョンを考えているんだ」
鈴花がニュー?と口の中で繰り返していると、首筋に冷たい風が吹いて当たった。
「まだ寒いよ?桜なんか、全然、咲いてないよ」
加藤さんはピタリと位置を決め、桜の葉っぱでお餅を包み込むと、満足そうに微笑んだ。
「和菓子はね、季節を先取りするんだよ」
おじさんは桜餅を餅箱に入れると、丁寧に蓋を閉じた。
「もう春は来てるんだよ、ここにね」
「この人はね、芸術家肌だからねぇ」
おばちゃんが、ポピーをひとしきり撫でて満足そうな顔をして言った。
「おうよ。それにな、和菓子は味だけじゃない。目で見て、心でも食べられるんだよ」
心で、食べれるの?
鈴花は思わず胸に手を当てた。
口なんて、付いてない、のに。
「ほら、すずちゃんが困ってるでしょうが。この人はいつも言葉が足りないんだから。
あのね、桜餅を見て、綺麗だなって思ってもらえたら、まるで春が来たみたいな気分になれるでしょう?」
鈴花はうなずいた。
「春が来ると嬉しいでしょ?だからね、見て嬉しいな、幸せだなって思えるお菓子を作るのよ」
鈴花は手を降ろした。幸せのお菓子。
「そうなんだ」
おじさんが胸を張る。
「おうよ。腹も心も満たされる、それが小豆庵のこだわりよ」
「もう。こだわりだけじゃ、お腹は膨れないでしょうが」
「こだわりって?」
ポピーが、もっと撫でろと、おばちゃんにすり寄っていく。
「これだけは譲れない、自分が大切だと思うことよ。職人には、大事なことなの」
おばちゃんにしっぽの付け根をくすぐられ、ポピーがぴょこぴょこと足を上げた。
「そうね、例えば、すずちゃんは、こだわりとか、ある?」
鈴花はよく分からなかった。
しばらく黙ってしまったので、おばちゃんが続けて聞いた。
「じゃ、ポピーちゃんは、こだわりとかあるの?」
それなら鈴花はすぐに答えられた。
「ひなたぼっこだよ。ポピーは、ぼっこマスターなの」
おじさんが手を打った。
「そりゃあいいな。ポピーは、日向ぼっこ職人だな」
職人。それはとても良い響きに思えた。
ちょっとうらやましかった。
こだわりを探してみるのも、いいかもしれない。
小豆庵を離れてから、隣の地区にある団地の公園を目指して歩く。
住宅街をつなげる、街路樹が植えられた歩きやすい道があるのだ。
ポピーは隅っこを歩くのが好きだから、電柱や塀の端に添って進んでいく。
そして、いつも同じところで止まる。お気に入りのポイントが決まっている。
まずはここ。空地の隅っこにある草むら。
雑草の臭いを嗅いでは、短くマーキングをする。クンクンと丁寧に鼻を突っ込んで嗅いでいる。そこだけ緑が、少し濃くなっていた。
そういえば、お父さんが言ってた。
犬にとって、草むらは伝言板なんだって。
どこの、どんな犬が、ここに来たか分かるんだって。
それで読み終わったら、「私も元気ですよ」って、お返事を書くんだって。
ポピーはいつまでも離れず、真剣な目で鼻息を荒くして嗅ぎ続けていた。
いま、どんなお返事を書くか考えてるのかな。
嬉しいのかな。いやいや、縄張りライバルかもしれない。
やがてポピーは、丁寧にお返事を書いた。
誰かに気持ちが届くって、きっと嬉しいだろうな。
歩きながら、鈴花はあったかくなってきた。
私のこだわり。
もしかしたら、そこにあるのかもしれない。
お読み頂き、ありがとうございます。
皆様の地域では、桜前線の調子はどうでしょうか?
こちらは八重桜が咲いてきました。
ソメイヨシノの薄い色も素敵ですが、私はもっちりした濃いピンクの八重桜が好きです。
またお会いしましょう!




