Re:003 自由選択とは言えないような
「……仕事、ですか?」
「はい。ぜひはたらいてもらえたら~とおもいまして」
にこりと笑って彼は言う。けれど、仕事っていったい何の仕事だろう。
「だいじょうぶですよ~。もともとあなたもやっていたことですので」
「あ、そうなんですか?」
「はい~。てきせいがあるとはんだんされましたので、コンバートせずにこちらをてつだっていただこうかと~」
「そうなんですか~」
つられて私も間延びした返事をしてしまう。
ぶっちゃけて言うと、もう長いこと転職を考えていた。
ダブスタが標準装備で下に当たり散らす上司。同僚以上の何の感情も持っていない男性社員と喋っただけで、ネチネチと嫌味を言ってくるお局様。イケメンに媚びまくって全然仕事しない新人女子。一時間に何度も煙草休憩に行く同僚。
思えば面倒くさい職場だったなぁ……。辞めようと思っていたけど辞めずにいたのは、同期の子がすごくいい子だったから。病気で辞めることになってしまったけど、彼女がいたから頑張ろうって思えたんだよなぁ。彼女を置いて一人だけ辞められないって思ったこともあったっけ。あの時私も一緒に辞めていたら、と思うこともあった。でも辞めて次はどうするの? と不安になって、結局ずるずると会社に残っていた。『寿退社♡』みたいなのができるような相手もいなかったし。いたとしてもたぶん仕事はそうそう辞めないだろうなぁ、このご時世だと。そんなわけで完全に辞め時を見失っていただけだったんだけど。
PC系のサポートデスクだったはずなのに、気付けば部署内の雑用係。断って空気がピリつくのが嫌でなんでもやりますのスタンスを続けたのは本当に間違いだった。
……正直なところ、もう少し長く会社にいたら……私は巻き込まれる形じゃなくて、自分から電車に飛び込んでいたかもしれない。
ただ日々社会の歯車になっていって、自分が死んでいく感覚。ああいうふうになるのはもう嫌だ。
「あの……仕事って、具体的にどんな仕事なんですか? 私がやってた仕事って、正直私じゃなくてもできると思うんですけど」
言っててちょっと悲しくなる。でも、会社の歯車なんて、誰かにしかできない仕事を作るのも良くない。だからと言って、首をすげ替えても痛くもかゆくもないとはあまり考えたくはないことだけれど。
「そんなことないですよ~。あなたのてきせいはかなりたかかったって、けんさたんとうさんがいってました~」
検査担当?
「でも、私、雑用みたいなことばかりしてて……あ、PCは多少使えますけど、表計算も……あ、マクロはちょっと怪しいですが、基本的な関数なら……VBAはちょっとブランクあるので……」
思わず就活みたいなこと言ってしまった。そんな私に、またもやきょとんとして彼がこちらを見つめてくる。
「……ああ、そういうおしごとじゃないので、あんしんしてください~。たぶんたのしくやってもらえるとおもいますよ~?」
「そ、そうなんですか……」
「はい~そうなんですよ~」
なら、いったいどんな仕事をさせられるんだろうか。
正直、肉体労働はそろそろキツい。基礎疾患ありの持病持ちにはかなりつらい。できないことはないだろうけど、二~三か月もしたらじわじわ体がついていけなくなるだろう。
シフト制で二日か三日に一度休みを挟めばまだ耐えられるかもしれないが、フルタイムの連勤なら絶対に無理だ。
「そうですねぇ~あなたのところだとフルタイムにちかいかもですが、どっちかというとフレックス……コアタイム……? ん~…………あぁ、『さいりょうろうどうせい』がちかいかもですね~」
のほほんと間延びした声で、労働基準法みたいな単語が出てくるとびっくりする。まあ働いてるんだったら知ってて当然か。というか、労働法が適用されるってことは、やはりここは日本! あー、知らない間に外国にでも売り飛ばされてうっかりデスゲームに巻き込まれるのかとか本気で思っちゃってましたよ。少し話し方がゲームのキャラっぽいけど流暢な日本語だし。見た目は完全に海外の人――いややっぱアニメかゲームのキャラかな……。
「……そのけんですが、ざんねんなおしらせです」
「え?」
「みてもらったほうがはやそうですね」
ぱちん、と彼はまた指をはじいた。
「うしろをみてください」
ゆっくりと振り返る。真っ白だったはずの壁に窓が現れた。まるで最初からガラス窓だったように自然に部屋に馴染んでいる。そして、その窓の外に広がるのは真っ暗な闇――いや、どこかで見たことのある景色。
「ちかくでみてもらってだいじょうぶですよ」
私は立ち上がって恐る恐る窓へと近づいた。
遠くにちらちらと見えるものはまるで星空。深海のように真っ暗に見えないのは、きっと光に照らされているからだ。太陽光が届いて、見慣れた青が近くで輝いているのもあるだろう。
「こ……こ、ここ、ぅ……宇宙……なんですか?」
宇宙飛行士の方の映像やCGで散々見た、私たちが住む星。地球が窓の外に見えている。
「はい~。なので、うっかりそとにでないようにきをつけてくださいね~」
でれないとはおもいますが、と続けて彼は言った。
なんで? どうして? 宇宙ってこんな簡単に来れるところだっけ?
頭が混乱してくる。そうだ、きっと夢だ。そうでなければ、大がかりなドッキリだ。手品かマジックだ。催眠とかかもしれない。パニックになる私をあらかた楽しんだら、『ドッキリ大成功!』なフリップとともにスタッフがどこからともなく現れるに違いない。
「……それもできますけど、かわらないからたのしくはないとおもいますよ~?」
「いやできるんかい」
ぽそりと思わずつっこんでしまった。
「さて、いまあなたがどこにいるかわかってもらえたとおもいます~」
窓の外に釘付けになったまま動けずにいる私。声がすぐ隣から聞こえて、いつのまにか彼はすぐ隣に来ていた。
「ここであなたにしてもらいたいおしごとについて、せつめいしていきますね~」
窓の外には丸く青い地球。雲が多いけれど、雲の切れ間から見える大陸はしっかりと形がわかる。
本当にしろそうでないにしろ、この隔離された空間で私に何をさせようと言うのだろうか。
「かんたんにせつめいするとですね~」
思わずごくりと唾を飲み込んだ。
「あなたには、これから『じごく』でそうさくかつどうをてつだってもらいます」
「――はい??」
自分でもびっくりするくらい、ひっくり返った変な声が出ていた。




