Re:002 白すぎて胡散くさいような
かつて、こんなに緊張したことがあっただろうか。
心臓が早鐘を打つ瞬間は思い出せる。でも、命が脅かされそうな緊張感は当たり前だけど初めてだ。
扉の向こうは真っ暗闇。カツン、カツンと響き近づく音の何倍も速く、大きく、漫画の効果音のようにドッドッドッとうるさいくらいに鳴っている。
暗がりから白いブーツが現れた瞬間、すべての音が止まった気がした。
闇の中から現れたのは、真っ白なスーツに身を包んだ細身の男性だった。スクリーンに映っていた黒スーツの男性はもう少しがっしりとしていた気もするし、たぶん別の人だろう。
キリッとした目元、引き結んだ口元。肩にかかる銀髪はゆるく波打っている。
冷たい感じの印象がした。厳しそうな人だ。検事とか裁判官とか、そういった職業が似合いそうだなんて思わず考えてしまった。
彼は他のスーツの人たちと違って、はっきりと頭部が認識できた。でも相変わらず他の人の顔は認識できない。首から上が黒いもやがかかっているように見えていた。
彼はゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
一歩、また一歩。
手を伸ばせば触れられそうなほど近くで、ようやく彼は立ち止まった。
睨まれているのか。切れ長の瞳は綺麗な灰色で私を見つめる。そして口がゆっくりと開き、息を吸う音が聞こえた。
「おまたせしました~」
死刑の宣告かと思っていた私の耳に届いたのは、実に気の抜けた声だった。
「おそくなっちゃってすみません~。ちょっとべつのぶしょでトラブルがありまして~」
呆気にとられたまま彼を見れば、歩いてきた時とは別人のように、これまた気の抜けた顔で笑っていた。へにゃり、という擬音が似合いそうな人だ。
「おつかれさまです!」
「さまっす!」
「しゃっす!」
黒もやスーツたちがそれぞれ声をかけて頭(見えないけど)を深々と下げる。この様子を見ても上司であることはまず間違いない。
「あは~、おつかれさまです~。あとはこっちでせつめいしますから、みなさんはもどっていいですよ~」
「ありがとうございます!」
「あざっす!」
「しゃっす!」
黒もやスーツ三人は嬉しそうにお礼を言ってさっさと部屋を出て行ってしまった。白スーツはそんな彼らに向かってフレンドリーな笑顔で手を振り背中を見送った。
「……さて」
白スーツがゆっくりと振り返る。にこりと笑っているが、先ほどよりも少しだけ低い声で言った。
「まず、おはなしをしましょう。いきなりのことでこんらんしてるとおもいますし」
ぱちんと指を鳴らすと、どこからかいい匂いがしてきた。
「カフェオレ、おすきでしょう? さぁ、こっちにすわってください~」
白い部屋だから気付かなかったのか、それともさっきまでなかったのか。オシャレな丸テーブルとイスがいつの間にか部屋の中にあって、テーブルの上には嗅ぎなれたいい香りがするカップが二つ。
「どうぞ、さめないうちにのみましょう~。ぼくもカフェオレすきなんですよ~おいしいですよね~」
促されて向かい合う形で席に着く。よく行く近所のカフェのカフェオレによく似ている。匂いも同じかな。まあ珈琲の違いもよくわからず飲めればいいやなスタンスの私にとって、店ごとのカフェオレの匂いの違いなんてほとんどわからないんだけど。
白スーツが両手でカップを持って、嬉しそうに口元へ運んでいく。
あれ、あんなにカップ大きかったっけ?
席に着く前まではテーブルの上のカップのサイズに違いはなかったように見えるのに、今彼が飲んでいるカップは私のよりもかなり大きい。カップというか、カフェオレボウルに変わってしまったよう。もしかしてまだ目の調子がおかしいのかも?
「このかおりをかぐと、いっぱいのみたくなっちゃいますよね~。ついサイズアップしちゃいました~」
ふふ、と嬉しそうに笑う。男性と思ったが中性的な感じもする。何だか不思議な人だ。
私もカップを手に取る。見た目も匂いも、何もかも見覚えがあるものなのが怪しすぎる。もしこの中に毒でも入っていたらどうしよう。
「……? どうかしました?」
「……いえ、なんでもないです。いただきます」
飲まないという選択をする方がどうにかなってしまいそうだ。意を決して、私はカップに口をつける。
「…………美味しい」
ほっとする味。やっぱり飲みなれたカフェのものな気がしてならない。
「おいしいですよね~。わすれてました、おかしもよういしてあるんですよ~」
またぱちんと指を鳴らしたと思ったら、テーブルの真ん中に突然皿が現れた。お菓子と言いつつ、出てきたのはケーキだったけど。
「あのお店のチーズケーキ……!?」
お皿の盛り付け方、添えられたソースとフルーツ、粉砂糖の振り方。そのすべてが近所のカフェのチーズケーキそのものだった。
「ここのおみせ、おいしいですよね。ランチでいったらついはまっちゃって~」
「え……? ご近所の方?」
「いえ~。しごとでしゅっちょうにいったときに、たまたまはいって~」
「あぁ~、わかります。お店の近くを通るといい匂いしてくるんですよね」
「そうそう。それでふら~っと」
「あはは」
じゃなくて。
なんで私このわけのわからない状況で世間話しちゃってるんだろう。さっきまでデスゲームみたいな様相だったのに、さすがに気を抜きすぎでは?
このカフェオレもチーズケーキも油断させるための罠で、毒じゃなくても睡眠薬とか入ってたり――!
「はいってないですよ~?」
にこりと笑顔で答えが返ってくる。
ん? あれ? 私いま、声に出しちゃってた?
「こえにはでてなかったですね~」
え!? 本当に何!? 心とか読める系の人!?
「そうですね~。せいかくにいうとヒトではないですが、まあにたようなもんですよ~」
カップをソーサーに置こうとして勢い余ってガチャンと音が鳴る。
「あの……もしかして私も……さっきの子たちみたいに……殺されちゃったりするんですか?」
このカフェオレとチーズケーキのセットは、自分なりのご褒美によく注文していたものだ。もしこれが向こうが選んだ最後の晩餐だとしたら、納得できるくらいには。
「ころ……?」
きょとんとこちらを見て、それから小さく噴き出した。
「ふふ、ちがいますよ~。あのこたちは、ちがうほしにいってもらったんですよ~」
「ん……え……? じゃあ……」
「はい。あれはてんそうそうちで……しんでませんよ~。ちゃんととうちゃくほうこくもとどいてましたしね」
確かに異世界召喚系では足元に召喚陣が~っていうのはあるあるだけど、本当にあるんだ。
「なんだ……よかった……」
本当に目の前でデスゲームが始まってしまったのかと思った。
「あのせつめいほうほうは……たんとうさんのしゅみですねぇ~」
あまりよくないし止めた方がいい気もするんですが。
「こんかいちょっとだけじこがあったみたいですが、てんそうされたらあたらしいばしょになじむようコンバートされますから、けがもなおってるのでしんぱいないですよ~」
あ、じゃああれは本当に事故なんだ。指……いっちゃってた気がするけど、結構なインシデントなのでは。
「そうなんですよね~。じぜんにせつめいはしてるはずなんですけど……そとがわはあぶないからかべをつくってるんですよ~。でも、もうちょっとよはくをかくほしたほうがよさそうですね~。けっそんがおおすぎると、うまくコンバートできずにぶんしからもどれなくなっちゃうので……」
ぱくりとケーキを食べては嬉しそうに笑い、カフェオレを飲んでは嬉しそうに笑う。そんな彼が言ってることは結構不穏だ。
「じつは、あなたもさいしょはコンバートされるはずだったんですよ」
「え、そうなんですか?」
「はい~。そもそも、あなたなぜじぶんがここにいるかおぼえていますか?」
「なぜ……ここにいるか……」
そうだ。そもそも私は駅で電車を待っていた。けれど、気付いたらホームから落ちていて目の前に電車が――
「っ……!」
頭痛がした。やっぱり私、あの時……。
「そう。でも、ほんらいあなたがしぬのはもっとちがうじかん、ちがうばしょでのはなしだったんです。あなたはまきこまれて、そのせいであなたのそんざいはおかしなところにおちてきてしまった」
「…………」
「でも、ぼくたちのけんげんをもってしても、あなたをもどすことはできません。なので――」
コト、とテーブルにカフェオレボウルを置いて彼は続けた。
「ぼくたちといっしょに、おしごとをしませんか?」




