Re:010 立体×シャドウ×レインボー、のような
「おつかれさん」
イセイさんが軽く挨拶をすると、彼は丁寧に頭を下げた。
それからこちらを向いて、じっと私の顔を見てきた。
怒ってはいないようだけど、無表情のまま見つめられるとどうしたらいいのかわからない。
「……確かに。新しい方のようですね」
それから彼はイセイさんにしたように私にも丁寧に頭を下げた。
「初めまして。自分はフラクト・オー・ラント・ナヴレジ。フラクトとお呼びください」
「はい。よろしくお願いします。フラクトさん」
表情が変わらないから彼が何を思っているのかはわからないけれど、まっすぐに目を見てくる彼に嫌な気持ちはしなかった。部屋から漏れる灯りが、彼の灰色の瞳の中にきらりと青や緑を映し出した。綺麗な目をした人だと思った。
「それでイセイ局長、何かご用でも?」
「フラクト、お前さんに追加業務だ。今日から彼女はお前さんの下につける。後輩の面倒をしっかり見るように」
「…………自分が、ですか?」
表情はほとんど変わっていないが、ほんの少しだけ眉が動いた気がした。怒ってるとか不快じゃなくて、驚いているんだろう。そんな空気が伝わってくる。
「そうだ。何か質問はあるか?」
「なぜ自分に?」
「今ウチで一番新しいやつって言ったらお前さんだからだ。喜べフラクト、後輩だぞ」
「…………自分はあまり適正がないかと思われますが」
「何でも経験だよ。とまあそういうわけだから、お前さんは今日からこのフラクト先輩にしっかり教わってくれ。権限的にこいつじゃわからないこともあるが、大体のことは知ってるから、知識としては俺なんかよりよっぽど頼りになると思うぞ」
「イセイ局長、それは買い被りすぎです」
「お前さんも冗談が上手くなったなぁ!」
はっはっは、と大きな声で笑って、イセイさんはフラクトさんの背中をバシバシ叩く。
「……自分はまだまだ若輩者で、まだまだ教わる側です。とてもじゃないですが誰かに教える立場になるなんて」
「いいからいいから。そうやって誰しも成長していくんだよ。トライ&エラー。お前さんたちはその重要性はわかるだろ?」
「それは…………確かにそうですね。わかりました、受諾いたします」
きゅるっと伏し目がちだったフラクトさんの目がこちらを向く。
「改めてよろしくお願いいたします。アイシャさん」
「こちらこそよろしくお願いします!」
もう一度頭を下げる。顔を上げると、フラクトさんはまた無表情にこちらをじっと見つめていた。
「フラクトはちょっと堅苦しいとこがあるけど、怒ってるってわけじゃないから安心してくれ」
「はい。目下、コミュニケーション能力を向上させるべく励んでおります」
「……とまあこんな感じなんだけど、表情と言葉がカタいだけで、仕事は信頼できるから」
「……ありがとうございます」
バシンバシン叩かれながら、フラクトさんは変わらない調子で答える。二人の温度差がちょっと面白い。
ピピっと音がした。どうやらイセイさんに連絡が来たようだ。
ポチポチ画面を確認して「あー……」と呟いて、イセイさんは私とフラクトさんを交互に見た。
「ちょっと呼ばれたから行ってくる。もしかしたら時間かかるかもしれんが……。フラクト、お前さんは彼女に業務内容の説明をしてくれ」
「わかりました」
「彼女は今日初日だから、そこまで詳細に説明する必要はないからな」
「わかりました」
「まず簡潔に、簡単に。それから徐々に情報を増やしていく感じでな。まだ混乱してる部分も多いだろうから」
「わかりました」
「それと、何かあってもあまり遠くまで行かないように。説明だけならここでもできるしな」
「わかりました」
「どうしても移動が必要であれば俺に連絡入れてから――」
お母さんかな。
子どもに留守番をさせるのを心配してるようにも思えて、ちょっぴり笑ってしまった。
そんな感じでイセイさんが申し送りをしては、フラクトさんが淡々と「わかりました」と返していく。そんな工程を何度か繰り返し、イセイさんは部屋を出て行った。
「…………」
「…………」
イセイさんが出て行った扉が閉まっても、少しの間、無言が続いた。
「…………え、と」
どうしたらいいのかな、と口を開きかけたと同時に、フラクトさんから「業務内容ですが……」と声がした。
「失礼しました。まず業務内容を説明する前に部屋に案内するべきでしたね。こちらへどうぞお入りください」
「あ、はい。失礼します!」
一歩ブースの中に入る。
「……ん!?」
既視感。
外から見たブースのひとつひとつは、ネカフェのちょっと広めのブース程度で、隣のドアはすぐそこにある。なのに、足を踏み入れたドアの先は、ワンルームマンションのような空間が広がっていた。簡易キッチンまである。さらに奥に扉が続いていてまだ先がありそう。たぶん、トイレとか。……まさかお風呂までついてたりしないよね?
思わず一歩外に出て左右を見渡す。もう一度入り中を見る。また外に出て周囲を見る。
さっきイセイさんの部屋の時も思ったが、今回は隣との間隔がより狭いぶん、入った時の変化の大きさに頭がついて行かない感じだ。
「どうしました?」
「あ、い、いえ! すみません!」
「……………………ああ、見慣れないですよね、この空間圧縮技術。知ってるのと見るのでは大違いだと自分も知りました」
「そう、なんですね?」
「はい。やはり自身で体験・体感するということはとても貴重だと身をもって理解しました」
なんだろう。なんかめちゃくちゃ理系って感じだ。それでもどこか浮世離れしてるというか……どこぞの貴族のお坊ちゃまで、自宅からほぼ出たことがないと言われたら納得してしまいそうな印象だった。
「どうぞおかけください。改めて業務の説明をさせていただきます」
「はい! よろしくお願いいたします!」
「それではまず、こちらの資料をご覧ください」
イセイさんがしていたように、腕の端末を操作して画面から宙に向けてスワイプする。
ドキドキしながら表示された文字列を読む。
『新人さんいらっしゃい! シナリオセンダー研修マニュアル~地球編~』
「……!?!?!?」
「質問がありましたら適宜お願いいたします。それでは――」
「ち、ちょ、っ、ちょっと待ってもらっていいですか?」
「? はい、わかりました」
あまりにもポップな字体で飛び出した、古の資料を思い起こさせる文字列に、私は思わず吹き出してしまった。




