Re:001 まるでテレビのスイッチを押したときのような
あっ、と思った時にはもう遅いと思うことがある。
例えば紙で指を切った時。
紙が刺さったと脳が認識する瞬間に、体が動いてしまうような、そんな感覚。切れた指からぷくりと赤が見えて、遅れてきた痛みがじんわりと広がっていく。そこだけ周りとの時間の進みが変わってしまって、スローモーションのように限界まで意識が引き延ばされていく。
――やばい。
そう思っても落下しつつある私の体を止めることはできない。
ホームって結構高さあるんだな、となぜか冷静な思考が浮かんでくる。周りがあまりにもパニックになっていると一歩引いてしまうようなところが自分にもあったのかと新たな気付きを得た。
……とはいえ、今まさにホームに入ってきた電車がすぐ目の前まで迫っている。
運転士さんと目が合ってしまった気がする。
あなたのせいじゃないんです。だから、気にしないでくださいね。
そう思ったところで、きっとしばらくは無理だろうなとは思うけれど。
衝撃を感じたのかどうか、痛みを感じたのかどうか。それすらもわからず私の意識はブツンと途切れた。
どれくらい経ったのだろう。周りに人の気配がして意識が浮上してきた。
あの状態から助かることがあったのだろうか。万に一つの可能性でラッキーをもぎ取ったのだろうか。だとして、遅延やら何やらで諸々の賠償金とか請求されたらどうしよう。
「――――!」
誰かの声が聞こえた。悲しんでいるような感じではない。むしろ怒ってる?
「~~!」
どうやら何人かいるようだ。会話は途切れ途切れで上手く拾えないが、少なくとも医者や看護師さんではなさそうだ。
恐る恐る目を開ける。
真っ白だった。天井、床、壁、そのすべてが文字通り真っ白だった。
起き上がると軽くめまいがした。周囲を見回すと結構広さのある部屋のようだ。教室二つか三つ分くらいはありそうな。真っ白なのに四角い部屋だと認識できたのは、四隅に謎のオブジェが配置されていて、壁だろうなと判別できる影が見えたからだ。部屋の高さはどれくらいかわからないけれど、それはまあどうでもいいか。
そんなことより、部屋の向こう側に設置されているデカいスクリーンが気になってしょうがない。
聞こえてきた人の声は、明らかに学生のような少年・少女たちが発していた声だったようで、そのスクリーンに映る相手に向かって何やら怒鳴っているようだった。あの制服は見覚えがあった。
私は似たようなシーンを見たことがある。最近、配信サイトで公開されていたシリーズものの最新作。最近はよく見るようになった設定――と言ってしまうとちょっとアレだが、まあ簡単に言うとデスゲームの冒頭って感じだ。
明らかにそれっぽい感じのスクリーンに映し出されている、身なりの良さそうなピシッとしたスーツ姿の男性。顔は決して映らない。それに声も加工済みなんだろう、はっきりとわからない感じの声。アニメとかでも加工されてることがあるけど、息遣いとかでCVにアタリをつけちゃうことってない? 私はあった。そこそこ当てられる程度にはオタクをしていた。
距離があるから聞こえづらいのかと思っていたが、なんだか耳の様子がおかしい。ぼんやり膜がかかっている感じ。エレベーターで高層階に移動した時のような気圧の変化でも受けたのだろうか。それに床に寝ていたせいか体のあちこちが痛い。
というか、この感じだと私もこのデスゲーム(仮)に巻き込まれているんだろうか。電車に轢かれて死んで、目が覚めたらデスゲームに強制参加――なんて、そんな作品見た記憶しかないなぁ。
ぷつん、と音がしそうな感じでスクリーンが突然真っ黒になった。スクリーンが上がり、壁が開いてスーツの男たちが入ってきた。学生たちを取り囲むように立つと、何やら説明を始めたようで、ぼそぼそと何かを言っている声が聞こえる。相変わらず詳細は聞き取れない。まだ耳の調子がおかしい。が、そんなことどうでもよくなるくらいおかしなことが目の前で起きていた。
学生たちが光に包まれた。
光の柱みたいなのが、床から天井まで伸びていた。しかもエネルギーをためています、みたいな音がし始めて次第に大きくなっていく。デスゲームなら処刑用ビームでしかない。
「嫌ぁっ!」
「ちょっと、危ないから動かないで!」
ようやく耳の閉塞感がなくなったと思ったら、不穏な単語が飛び込んでくる。
パニックになった女子学生がこっちへ走ってくる。が、バンッとぶつかる音がして彼女は壁にぶつかった。
「え? なに? 壁……?」
文字通り光の壁だった。見えないものに阻まれて彼女たちは逃げることができない。
「危ないから壁から離れて!」
「カオリ! 言うとおりにするんだ!」
「嫌……っ! いやぁ! 出して、出してよぉッ!」
バンバンと壁を叩く。そんな彼女と目があった気がした。
「助けて! ねぇ、助けてよ!」
「いいから壁から離れて!」
「カオリ! 早く真ん中に来るんだ!」
「いやぁ……いきたくないっ! 帰りたいっ! 帰してよぉ!」
光が強くなる。音が大きくなる。
眩しさに目を開けていられない。彼らの叫び声が聞こえないほど、キュインキュインとエネルギーが高まっていく音が部屋に響く。
爆発する。
そんなふうに思ったのに、最後は静かだった。
電源をオフにした時のように音と光が急激におさまっていく。
恐る恐る目を開けると、光の柱はもう消えていて、その中にいたはずの学生たちの姿もどこにもなかった。
ただ、女子学生がいたところに何か赤いものが落ちている。真っ白な部屋だから赤が目立つ。
小さくて細い……もしかして、指……!? 怖くて確かめたくない。
「……あーあ、やっちゃったよ」
「まぁ、向こうで何とかすんだろ」
「それより掃除がだりぃんだって。この部屋死ぬほど汚れ目立つじゃん?」
「……なあ、これどうする?」
「てか、見てるから知ってるっしょ。報告任せた」
「げー、だる」
一仕事終えたという感じでスーツの男たちがダラダラとしだす。
あれ、もしかして私のこと気付いてない感じ? だったらこのまま気配を消していれば気付かれずに済むのでは?
「あ、おねーさんはもうちょっと待っててくださいねー。ウチの上司もうすぐ来るんで」
バレてた。
まあ逃げれるわけなかった。
「はーい、こっち来てくださいね~」
ぐっと腕を掴まれて立たされる。そのまま腕を引かれて、先ほどの光の柱があっただろう位置まで連れてこられた。
ちらりと床を見ればもう学生の落とし物はなくなっていたが、雑に拭った赤が少し残っていた。
今度は、私がこうなるの……?
「まあまあそんな怖がらなくて大丈夫ですよー?」
「や、この流れで怖がるなってほうが無理くない?」
「それもそうか」
あはは、と楽しそうに笑うスーツの集団。
目もおかしくなってるのかな。彼らがスーツを着ていることはわかるのに、彼らの顔が――というよりも頭部が認識できない。
いったい、私は何に巻き込まれているんだろう。
カツン……カツン……と小さく音が聞こえた。
少しずつ近づいてくる音は、たぶん足音だろう。
私は、いったいどうなってしまうのだろうか。
カツン、扉のすぐ側まで足音が近づいていた。




