衛兵隊長と錆びた忠義
訪れた街で、元「銀狼」のメンバーで、今は堅物の衛兵隊長を務めるバルトと再会する。当初はダグラスを団の崩壊の原因と責めるバルトだったが、彼の変わらぬ覚悟を知り、ザギを止めるために協力することを決意する。
商業都市リューンを後にしたダグラスたち三人は、次なる仲間を求めて、王国の西部に位置する城塞都市「グラン・フェルム」へと向かっていた。馬車に揺られながら、リオはホークが持ってきた古文書の解読に没頭し、ダグラスは十年ぶりに再会した旧友との会話に、どこかぎこちなさを感じていた。
「しかし、驚きましたよ、団長。まさか、あのリオ殿を相棒にしているとは」
ホークが、魔導書から顔も上げないリオにちらりと視線を送りながら言った。
「リオ殿は、宮廷魔術師団の中でも『狂える探求者』の異名を持つ孤高の天才です。古代魔法の解析にかけては、大陸でも右に出る者はいないでしょう。どんな手を使って、彼を仲間に引き入れたのですか?」
「人聞きが悪いな。俺はただ、日雇いの護衛として雇われただけだ」
ダグラスがぶっきらぼうに答える。実際、二人の出会いは偶然の産物だった。だが、今となっては、その偶然が必然であったかのように感じられた。
「…次の相手は、バルトだ。あいつは、お前さんよりも頑固だぞ。素直に協力してくれるとは思えんがな」
ダグラスの言葉に、ホークは苦笑いを浮かべた。
「バルト…『不動のバルト』ですか。確かに、彼は団員の中でも一番の堅物でしたね。正義感が強く、曲がったことが大嫌い。そして、誰よりも団の規律と、あなたへの忠誠を重んじていた」
「だからこそ、だ。あいつは、俺がザギを追放し、団を解散させたことを、今でも許しちゃいないだろうさ」
バルト・カイザー。かつて『銀狼』の重装歩兵部隊を率い、どんな敵の猛攻にも揺るがないその姿から「不動」の異名を取った男。その堅牢な守りは、ダグラスたちの鋭い攻めを支える、まさしく『銀狼』の「盾」だった。団の崩壊後、彼はその実直さを買われ、グラン・フェルムの衛兵隊に入隊し、今では隊長の地位にまで上り詰めているという。
城塞都市グラン・フェルムは、その名の通り、巨大な城壁に囲まれた軍事都市だった。城門では、鋭い目つきの衛兵たちが、出入りする者たちを厳しくチェックしている。その規律の取れた様子は、隊長であるバルトの人柄をよく表していた。
ダグラスたちが衛兵の詰め所を訪ねると、奥から鎧の擦れる音と共に、屈強な体躯の男が現れた。日に焼けた顔に、厳しく刻まれた皺。口元を覆う見事な髭。その威圧的な佇まいは、昔と少しも変わっていなかった。
「…何の用だ。俺は、貴様らのような胡散臭い連中と話す時間はない」
バルトは、ダグラスの顔を見るなり、敵意を隠そうともせずに言い放った。その瞳には、再会を喜ぶ色など微塵もなく、失望と軽蔑だけが浮かんでいた。
「よお、バルト。息災そうで何よりだ」
「その口を閉じろ、ダグラス。俺の前で、昔のように馴れ馴れしく名を呼ぶな。団を捨てた裏切り者が」
「…相変わらず、口が悪いな、お前は」
一触即発の空気が流れる。ホークが慌てて二人の間に割って入った。
「バルト、落ち着いてください。我々は、喧嘩をしに来たわけではありません。ザギのことで、あなたの力が必要なのです」
ホークがこれまでの経緯を説明するが、バルトの態度は変わらない。
「ザギが魔物に成り果てただと?自業自得だ。奴が魔剣に手を出した時、団長であるあんたが、もっと厳しく罰していれば、あんなことにはならなかった!あんたの甘さが、ザギを狂わせ、団を崩壊させたんだ!」
バルトの言葉は、鋭い刃となってダグラスの胸に突き刺さった。それは、ダグラス自身が、この十年間、ずっと自問自答し続けてきたことだったからだ。
「俺は今、このグラン・フェルムの衛兵隊長だ。この街の民を守るのが俺の務め。過去の亡霊に構っている暇などない。さっさと失せろ。でなければ、不審者として牢にぶち込むぞ」
バルトはそう言い残し、背を向けて去ろうとした。その時だった。
「…あなたの言う通りだ」
ダグラスが、静かに呟いた。
「俺は、甘かった。団長としても、友としても、俺は失格だった。ザギを救うことも、お前たちを守ることもできなかった。その罪は、一生背負っていくつもりだ」
その声には、不思議なほど力がなかった。それは、全ての責任を受け入れる、覚悟の声だった。
「だがな、バルト。俺は、もう一度だけ、あいつと向き合おうと思う。団長としてじゃない。ただのダグラスとして、道を誤った古い友を、止めてやりたいんだ。これは、俺の我儘だ。だから、お前に協力しろとは言わん。だが、これだけは聞いておきたい」
ダグラスは、真っ直ぐにバルトの背中を見据えた。
「ザギは、行く先々で無差別に破壊を繰り返している。もし、あいつがこの街に現れたら、お前はどうする?衛兵隊長として、この街の民を、守れるのか?」
ダグラスの問いに、バルトの足がぴたりと止まった。彼の脳裏に、かつてのザギの、鬼神のような強さが蘇る。魔剣を手にした今のザギは、それ以上の化け物になっているだろう。生半可な兵力で太刀打ちできる相手ではない。この街が、火の海になる光景が、ありありと目に浮かんだ。
沈黙が続く。その時、街の城壁に設置された見張りの鐘が、けたたましく鳴り響いた。
「敵襲ーッ!北西の城門に、正体不明の騎士が一体!城門を破壊して、市街地へ向かってくるぞ!」
最悪のタイミングだった。いや、あるいは、必然だったのかもしれない。
「…ザギか…!」
バルトが、悔しそうに顔を歪める。
「バルト隊長!ご指示を!」
部下の衛兵たちが、彼の元へ駆け寄ってくる。
バルトは一瞬ためらった。しかし、彼はもはや『銀狼』の盾ではない。この街を守る衛兵隊長だ。
「第一、第二部隊は、住民の避難誘導を最優先!第三部隊は俺に続け!何としてでも、奴を市街地の中央広場で食い止めるぞ!」
的確な指示を飛ばしながら、バルトは駆け出した。その横に、いつの間にかダグラスたちが並んでいた。
「ダグラス…貴様ら…」
「言ったろ。俺はあいつを止めに来たんだ。お前こそ、下がっていろ。あいつの相手は、衛兵隊に務まるようなもんじゃねえ」
「ほざけ!この街は俺が守る!」
憎まれ口を叩き合いながらも、彼らは同じ目的地へと走っていた。その姿は、まるで十数年前に時が戻ったかのようだった。
街の中央広場には、すでにその漆黒の騎士が立っていた。ザギだった。彼の周りには、恐怖に慄く住民たちの悲鳴が響き渡っている。
「化け物が…!全員、構えろ!」
バルトの号令で、衛兵たちが一斉に槍を構える。しかし、その足は恐怖で震えていた。ザギが放つ圧倒的なプレッシャーに、誰もが気圧されている。
ザギが、ゆっくりと魔剣を振り上げた。その一撃が放たれれば、この広場は一瞬で壊滅するだろう。
「やめろ、ザギ!」
ダグラスが叫んだ。その声に反応したのか、ザギがこちらを向く。兜の奥の赤い光が、ダグラスを捉えた。
その瞬間を、バルトは見逃さなかった。
彼は、衛兵たちの前に躍り出ると、かつて『銀狼』の仲間たちだけが知っていた、合図の雄叫びを上げた。
「ウォォォォッ!『銀狼』の盾は、ここにあるぞ!!」
彼は、愛用の巨大な塔の盾を地面に突き立て、防御の構えを取る。それは、どんな攻撃も受け止め、仲間たちのための活路を開く、彼の錆びついた「忠義」の証だった。
その姿を見たダグラスは、ニヤリと口の端を上げた。
「…世話が焼ける野郎だぜ」
ホークがクロスボウを構え、リオが魔法の詠唱を始める。
かつて最強だった傭兵団のメンバーたちが、十数年の時を経て、再び一つの敵の前に集結しようとしていた。
バルトは、迫り来る魔剣の圧倒的な力線を感じながらも、一歩も引かなかった。
「来い、ザギ…!俺の忠義は、まだ錆びついちゃいない!」
不動の盾は、友を、そして自らが守ると決めた街を守るため、その全ての力を懸けて、かつての仲間の一撃を受け止めようとしていた。