散り散りの仲間たち
ザギと魔剣の情報を求め、二人はかつての「銀狼」の仲間たちの消息を追う。ある者は武器屋を営み、ある者は衛兵となり、それぞれの人生を歩んでいた。再会は、ダグラスに過去の責任を突きつける。
宿屋の一室で、ダグラスはリオが差し出した一枚の羊皮紙を眺めていた。それはリオが、ギルドや商人たちから集めた情報を基に作成した、大陸各地の地図だった。地図の上には、いくつかの都市や町に赤いインクで印がつけられている。
「これが、ここ十年で確認された『沈黙の騎士』…ザギの目撃情報です。そしてこっちの青い印が、私が調べ上げた、元傭兵団『銀狼』の主だったメンバーの現在の所在地です」
リオの指し示す印は、見事に大陸中に散らばっていた。ある者は故郷の村に戻り、ある者は大都市で新たな人生を始めている。最強と謳われた傭兵団の面影は、もはやどこにもなかった。
「…みんな、好き勝手に生きてやがるな」
ダグラスは、懐かしさと寂しさが入り混じったような、複雑な表情で呟いた。彼らとは、団が崩壊して以来、一度も顔を合わせていない。今更どんな顔をして会えばいいのか、見当もつかなかった。
「感傷に浸っている場合ですか。ザギを止めるにせよ、魔剣の情報を集めるにせよ、彼らの協力は不可欠でしょう。あなたは団長だった。彼らには、あなたに協力する義理があるはずです」
「義理、ね…。俺は、あいつらの居場所を奪った男だ。何の権利があって、今更あいつらの平穏を乱せるってんだ」
ダグラスの言葉は重かった。団の崩壊は、彼らにとって家族を失うことと同義だった。ダグラスは、その責任を一人で背負い続けてきたのだ。
「平穏かどうかは、会ってみなければわからないでしょう。それに、あなた一人の生命力を削って聖剣を振るうより、よほど現実的な選択肢だと思いますが」
リオの正論に、ダグラスはぐうの音も出なかった。確かに、この老いぼれた身体で、再びあの魔剣と渡り合うのは無謀に等しい。情報が必要だった。かつてザギを誰よりもよく知っていた、仲間たちの知識と記憶が。
「…わかったよ。まず、一番近いのは…ここか」
ダグラスが指差したのは、ここから馬車で二日ほどの距離にある商業都市「リューン」。そこには、『銀狼』の頭脳と呼ばれた男がいるはずだった。
リューンの街は、活気に満ちていた。様々な人種が行き交い、露店の威勢のいい声が響き渡る。その一角で、「ホークアイ武器商会」という看板を掲げた店を見つけるのに、そう時間はかからなかった。
店の扉を開けると、カラン、と軽やかなベルの音が鳴った。店内には、実用的な剣や槍から、装飾の美しい短剣まで、様々な武器が整然と並べられている。そのカウンターの奥で、帳簿に羽根ペンを走らせていた一人の男が、ゆっくりと顔を上げた。
「いらっしゃい…って、あんたは…」
細身の身体に、理知的な光を宿した細い目。鼻筋には銀縁の眼鏡。昔と変わらないその姿に、ダグラスは思わず口元を緩めた。
「よう、ホーク。儲かってるみてえだな」
「…ダグラス…団長…。なぜ、あなたがここに…」
ホークと呼ばれた男、かつて『銀狼』で軍師兼情報分析官を務めていた男は、驚きに目を見開いた。彼はすぐに店の若者に後を任せると、二人を店の奥の談話室へと通した。
硬い沈黙が、部屋を支配する。先に口を開いたのはホークだった。
「…十年ぶり、ですか。ずいぶんと老け込みましたね、団長。昔の面影もありません」
「お互い様だろ。すっかり商人の顔になりやがって」
軽口を叩き合うが、二人の間には見えない壁があった。ホークは、ダグラスがここへ来た理由を察していた。
ダグラスは、ザギと再会したこと、そして彼が魔剣に完全に支配され、『沈黙の騎士』として破壊を繰り返していることを話した。
話を聞き終えたホークは、ゆっくりと眼鏡の位置を直すと、深く溜息をついた。
「…やはり、そうなりましたか。あの時、あなたが彼を追放した時、いつかこうなるのではないかと、心のどこかで危惧していました」
「なら、なぜあの時、俺を止めなかった」
「止められるはずがないでしょう。団は、あなたの決断で動いていた。そして、あの時のあなたの判断は、団を守るためには最善だった。…私は、そう自分に言い聞かせて、あなたから、そしてザギから逃げたのです。団長、あなたを責める資格など、私にはありません」
ホークは、静かに自分の過去の臆病さを認めた。彼は、友情と団の存続との間で、何もできずにただ傍観することしかできなかった自分を、ずっと責め続けていたのだ。
「魔剣についての情報なら、いくつか心当たりがあります。団を離れた後も、私なりに調べていましたから。いつか、あなたかザギが、私の前に現れる気がして」
彼は店の奥から、鍵のかかった木箱を持ってきた。中には、彼が独自に収集した、大陸各地に伝わる呪われた武具に関する古文書の写しや、伝承の記録がぎっしりと詰まっていた。
「ソウルイーターは、ただの魔剣ではありません。古の時代に、魂を喰らう邪神を封じるために作られた『器』そのものだという説があります。持ち主の生命力と魂を喰らうことで、封印された邪神の力を少しずつ解放していく…。ザギが繰り返している破壊は、邪神の復活に必要な儀式なのかもしれません」
ホークの言葉に、ダグラスは息を呑んだ。ただの暴走ではなかった。その背後には、想像を絶する巨大な悪意が存在している可能性があった。
「ザギを止める方法は、二つ。聖剣で、器ごと魂を完全に破壊するか…。あるいは、呪いそのものを解くか。しかし、解呪の方法は、どの文献にも記されていません。おそらく、邪神を封じた者たちと共に、その知識は失われたのでしょう」
絶望的な情報だった。だが、リオはその話を聞いて、目の色を変えた。
「失われた知識…?邪神を封じた者たちとは、何者ですか?」
「『星の民』と呼ばれていたようです。古代の魔法体系に精通していた一族ですが、神々の怒りに触れて滅びたとされています」
「星の民…!」
リオは、自分の魔導書を素早くめくり始めた。彼の専門は、失われた古代魔法の解析だ。点と点だった情報が、一本の線で繋がろうとしていた。
「もし、その解呪法がどこかに記されているとしたら…」リオが呟く。
「…次の目的地が決まったようだな」ダグラスが応じる。
ホークは、そんな二人を見て、諦めたように肩をすくめた。
「…行くのですね、団長。あなたは、そういう人だ」
「ああ。これは、俺が終わらせなきゃならねえ、俺自身の戦いだ」
「いいえ」
ホークは、きっぱりと首を振った。
「もう、あなた一人の戦いではありません。私も行きます。私の知識が、必ず役に立つはずです。それに…」
彼は、壁に飾ってあった、愛用の精密なクロスボウを手に取った。
「十年も帳簿と睨めっこしていたら、身体がなまって仕方ない。少しは、昔のように血を滾らせるのも悪くないでしょう」
その瞳には、かつての『銀狼』の軍師としての、鋭い光が戻っていた。
黄昏の狼は、一人ではなかった。散り散りになった仲間たちの心にもまた、燻る火種は残っていたのだ。
ダグラスとリオ、そしてホーク。三人の旅は、リューンの街から再び始まろうとしていた。それは、失われた絆を取り戻し、巨大な悪意に立ち向かうための、長い旅路の始まりだった。