銀狼は死なず
聖剣の代償で消耗したダグラスは、リオの介抱を受ける。彼は、ザギとの過去、そして最強と謳われた傭兵団「銀狼」が、魔剣を巡る内部対立によって崩壊したという痛ましい真実を語り始める。
ずきり、と全身が悲鳴を上げた。意識がゆっくりと浮上すると、見慣れない安宿の天井が目に入った。焦げた薬草の匂いと、隣で何かが燃える微かな音がする。
「……う……」
「気がつきましたか。無茶をするからですよ、年寄りが」
身体を起こそうとすると、肩に激痛が走り、思わず顔をしかめた。声の主は、椅子に座って分厚い魔導書を読んでいた相棒のリオだ。その口調はいつも通り皮肉っぽいが、彼の足元には使い切った回復薬の小瓶がいくつも転がっており、目の下には隈ができていた。徹夜で俺を介抱してくれたのだろう。
「…ここは…」
「あの森から一番近い宿場町です。あなたをここまで担いでくるのが、どれだけ大変だったか。今度から、もう少し体重を減らしてください」
「うるせえ…」
軽口を叩きながら、ダグラスはあの森での出来事を思い出していた。黒曜石の鎧、人のものではない赤い光、そして、かつて最強だった相棒の、獣のような剣技。
「あれは、一体何なんです?あなたは彼のことを『ザギ』と呼んでいた。知り合いですか?」
リオのまっすぐな問いに、ダグラスはしばらく沈黙した。それは、彼が十数年間、心の奥底に封じ込めてきた、苦い記憶の蓋を開ける行為に他ならなかったからだ。彼はゆっくりと、錆び付いた声で語り始めた。
「ザギは…俺の、かつての相棒だ。俺が率いていた傭兵団『銀狼』の、副団長だった男さ」
『銀狼』。その名を聞いて、リオの目がわずかに見開かれた。今や伝説として語られる、大陸最強と謳われた傭兵団。数々の戦場で奇跡的な勝利を収め、その名を轟かせた。リオのような若い世代でも、その武勇伝は吟遊詩人の歌で聞き知っている。
「あなたが…あの『疾風のダグラス』?伝説の傭兵団の団長…?冗談でしょう」
「冗談ならよかったんだがな」
ダグラスは自嘲気味に笑った。
「俺たちは最強だった。俺とザギ、二人いれば落とせない城はなく、倒せない敵はいなかった。だが、あいつは力を求めすぎた。己の限界を超えた、さらなる力をな」
傭兵団が最も輝いていた頃、彼らは古代遺跡の調査依頼を受けた。そこで、ザギは見つけてしまったのだ。触れた者の生命力を吸い、持ち主に無尽蔵の力を与えるという、呪われた魔剣『ソウルイーター』を。
「俺は止めた。だが、あいつは聞き入れなかった。その剣を手にしたザギは、人が変わったようになった。些細なことで仲間を傷つけ、敵を必要以上に惨殺する。剣が、あいつの心を喰らっていたんだ」
やがて、ザギの暴走は誰の目にも明らかになった。ダグラスは、団の仲間たちを守るため、そして何より友であるザギを止めるため、彼と一対一で対峙した。三日三晩に及ぶ死闘の末、ダグラスはザギを打ち負かし、団から追放した。それが、最強傭兵団「銀狼」が崩壊した、本当の理由だった。
「俺は…ザギを殺せなかった。いつか、あいつが正気に戻ってくれると、どこかで信じていたんだ。だが、甘かったな。あいつは、完全に剣に喰われて、ただ破壊を繰り返すだけの亡霊になっちまった」
語り終えたダグラスの顔には、深い後悔と疲労が刻まれていた。リオは何も言わず、ただ静かにその話を聞いていた。
「…なぜ、聖剣のことを隠していたんですか」
「あれは、使う者に相応の代償を強いる。俺の聖剣『シルヴァリオン』は、ザギの魔剣と対をなす存在だ。魔を滅する絶大な力を持つが、使うたびに俺自身の生命力を削り取る。だから、封印していた。もう、使うことはないと思っていたんだがな…」
ダグラスは、己の身体が鉛のように重い理由を悟った。あの時、一度剣を抜いただけで、ごっそりと生命力を持っていかれたのだ。
「…馬鹿ですね」
リオは静かに呟くと、読んでいた魔導書を閉じた。
「一人で全てを背負い込むのは、ただの自己満足です。あなたの過去に興味はありませんが、今のあなたは私の雇い主であり、相棒だ。借りは返してもらわなければ困る」
彼は立ち上がると、窓の外を見つめた。
「その魔剣の呪い、解く方法が全くないとは限らない。古代の魔法には、魂の束縛を解く術もある。ザギという男がどうなろうと知ったことではありませんが、あなたをこんな抜け殻のような状態にさせたままにしておくのは、寝覚めが悪い」
その言葉は、リオなりの不器用な激励だった。ダグラスは、その生意気な若者の背中を見ながら、少しだけ口元を緩めた。
十数年ぶりに向き合うことになった、忌まわしい過去。だが、今度は一人ではない。
「…そうかよ。じゃあ、せいぜい手伝ってもらうぜ、若いの」
黄昏を迎えた中年傭兵の瞳に、再び闘志の火が灯った。それは、友を救うための、そして自らの過去に決着をつけるための、最後の戦いの始まりだった。