黄昏の狼と黒い亡霊
かつて最強と謳われた傭兵、ダグラスも今や四十代半ば。体力も衰え、若い世代とのギャップに苦しむ日々。しかし、相棒の若き魔術師と共に、国を脅かす古代の魔剣の調査に乗り出す。経験と知恵を武器に、中年傭兵が再び伝説を刻む、ブロマンス・ファンタジー。
酒場の埃っぽい空気の中で、ダグラスはぬるいエールを呷りながら溜息をついた。四十も半ばを過ぎ、腰の古傷は雨が降る前に疼き、若い頃のように徹夜で剣を振るうこともできなくなった。周りを見れば、威勢のいい若者たちが「ドラゴンを狩った」「オークの群れを殲滅した」と武勇伝を語らっている。
「…時代は変わったもんだ」
かつて「疾風のダグラス」と呼ばれ、彼が率いた傭兵団「銀狼」の名を知らぬ者はいなかった。だが、それも十年以上前の話。今は日々の糊口をしのぐのがやっとの、しがない中年傭兵だ。
「ダグラス、そんな所で油を売っていないでください。次の仕事の話が来ていますよ」
声をかけてきたのは、リオ。銀髪に蒼い瞳を持つ、まだ二十歳そこそこの魔術師だ。才能はあるが経験が浅く、生意気で皮肉屋。ひょんなことからコンビを組むことになった、ダグラスの現在の相棒である。
「どうせゴブリン退治か、商人の護衛だろ」
「残念でした。王城からの直々の依頼です。報酬も破格ですよ」
リオが差し出した依頼書を見て、ダグラスは眉をひそめた。内容は「辺境に出現した《沈黙の騎士》の調査及び討伐」。《沈黙の騎士》とは、最近になって目撃され始めた謎の鎧騎士で、現れると周囲の生き物の声を奪い、無差別に破壊を繰り返すという。
「面倒な臭いがプンプンするな…」
「今更でしょう。あなた自身が面倒の塊みたいなものですから」
「口の減らねえガキだな」
軽口を叩き合いながらも、二人の間には奇妙な信頼関係が築かれていた。
調査のため、二人は《沈黙の騎士》が最後に出没したという北の森に来ていた。森は不気味なほど静まり返り、鳥の声も虫の音も聞こえない。
「…奴の領域に入ったようだな」ダグラスが剣の柄に手をかける。
「リオ、援護を頼む」
「言われずとも」
森の奥へ進むと、開けた場所にその騎士は立っていた。全身を黒曜石のような漆黒の鎧で覆い、手には禍々しいオーラを放つ大剣を握っている。その姿を見た瞬間、ダグラスの全身に悪寒が走った。あの鎧、あの剣…見覚えがある。
「…嘘だろ…ザギ…?」
ダグラスの口から、震える声で昔の仲間の名が漏れた。ザギは、かつて傭兵団「銀狼」でダグラスの右腕だった男。最強の剣士だったが、力を求めるあまり古代の魔剣に手を出して暴走し、ダグラスが止む無く団から追放したのだ。
《沈黙の騎士》…ザギが、ゆっくりとこちらに顔を向けた。兜の隙間から覗くのは、人のものではない、赤く燃える光。
「グ…ォ…ォ…」
獣のような呻き声と共に、ザギが地を蹴った。凄まじい速度。若い頃のダグラスでも目で追うのがやっとだったであろう剣速が、今の彼に襲いかかる。
「ダグラス!」
リオが即座に詠唱し、防御障壁を展開する。しかし、ザギの大剣は障壁を紙のように切り裂き、ダグラスへと迫る。
(速い…!だが、見えない軌道じゃない!)
ダグラスは、長年の経験で培われた勘で剣の軌道を予測する。全盛期の筋力はない。速さもない。だが、敵の動きの「芯」を見抜く眼だけは、若い頃より遥かに鋭くなっていた。身体を捻り、最小限の動きで大剣をいなす。キィィン!と甲高い金属音が響き、ダグラスの腕が痺れた。
「くっ…!」
一撃受け流すだけで精一杯。二撃、三撃と繰り出される猛攻に、ダグラスは防戦一方となる。若い傭兵なら、初撃で為す術なく斬り捨てられていただろう。だが、ダグラスは泥臭く、必死に生き残っていた。
「《風よ、刃となりて敵を穿て》!ウィンド・カッター!」
リオの援護魔法がザギの鎧に炸裂するが、浅い傷しかつけられない。じりじりと追い詰められ、ついにダグラスは体勢を崩し、地面に膝をついてしまった。ザギが、とどめを刺そうと大剣を振りかぶる。万事休す。
その瞬間、ダグラスは覚悟を決めた。
「…すまねえな、ザギ。お前を止めるのは、やっぱり俺の役目らしい」
ダグラスは腰に差していた、普段は使わないもう一本の剣…傭兵団「銀狼」の団長の証である銀の長剣を抜き放った。それは、ザギの魔剣と対をなすと言われる聖剣。だが、使う者にも相応の代償を強いる諸刃の剣だった。
「リオ!奴の動きを、一瞬でいい!止めてくれ!」
その声には、もう老いや衰えの色はなかった。かつての「疾風のダグラス」が、そこにいた。リオは一瞬ためらったが、ダグラスの覚悟を悟り、最大魔力を込めて詠唱を始める。
大ゴマになるような、二人の男の運命が交差する瞬間。中年傭兵の最後の戦いが、今、始まろうとしていた。