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掃討戦

甲高い角笛の音が、南地区の夜空に響き渡る。

それは、縄張りを侵された狼の群れが上げる、戦いの雄叫びだった。

その音に応えるように、通りの奥の薄暗い建物から、わらわらと『鉄の狼団』の傭兵たちが、錆びついた剣や斧を手に、獲物へと殺到してくる。



「……ふふ、全員出てきてくれたようね。話が早くて助かるわ」

隣で、エリスさんが好戦的な笑みを浮かべ、その銀の長剣を抜き放った。

私も、肩に担いでいた大きな木箱を、そっと地面に置く。そして、空を旋回していたピヨに、一声呼びかけた。



「ピヨ、お願いできますか? このお荷物、少しだけ見張っていてください」

「キェェェ!」



私の頼みに、ピヨは心得たとばかりに鋭く一声鳴くと、急降下して木箱の隣に舞い降りた。その黄金の瞳が、敵意をむき出しにして傭兵たちを睨みつける。グリフォンの巨体が陣取るだけで、傭兵たちの足が、ほんの一瞬だけ怯んだ。



「さて、と」

私は、ゆっくりとセレネを抜き放つ。黒い刀身が、焚き火の光を鈍く反射した。

「エリスさん、準備はよろしいですか?」

「ええ、とっくにね。……それで、作戦は?」

「作戦、ですか。そうですね……」



私は目の前に広がる、三十人を超える敵の群れを見渡し、穏やかに告げる。

「――正面から、全部です」

「……最高に、馬鹿で、気に入ったわ!」



エリスさんのその言葉が、開戦の合図だった。



彼女の身体が、まるで風に舞う木の葉のように、ふわりと敵陣の中心へ滑り込む。

「――まずは、露払いよ!」

銀の長剣が、月光のように煌めく。一閃、二閃。彼女の動きは、私のモノクルですら、その全てを捉えきれないほどの神速。バランスを崩した傭兵たちの鎧の隙間、その喉元だけを正確に、そして寸分の狂いもなく貫いていく。

悲鳴を上げる間もなく、一体、また一体と崩れ落ちていった。



だが、敵の数が多い。エリスさんが前衛を切り崩している隙に、数人が弓を構え、後方の私とピヨを狙う。

「――させませんよ」

私は叫ぶと同時、地面に手を触れた。

「強化――『隆起せよ』!」



弓兵たちの足元の石畳が、まるで生き物のようにうねり、不規則な凹凸を作り出す。狙いを狂わされた矢が、あらぬ方向へと飛んでいった。



「ナイスよ、リィア!」

その一瞬の隙を、エリスさんが見逃すはずもなかった。彼女は、体勢を崩した弓兵たちの懐へ、一直線に駆け抜けていく。



(さて、私も少しだけ、お仕事をしませんと)



私は、エリスさんが作った突破口から、傭兵団の側面へと回り込んだ。

私の役目は、派手な斬り合いではない。この戦いを、より早く、より確実に終わらせるための、盤面の整理だ。

強化魔法で加速した身体は、一直線に敵陣の背後へと回り込む。



「なっ!? こっちにもいやがったのか!」



慌てて振り返る傭兵。だが、もう遅い。

私は、振り下ろされる斧をセレネの平で受け流すと、体勢を崩した相手の膝裏を、柄頭で的確に打ち据えた。

「ぐっ……!」という短い悲鳴を上げ、傭兵が膝から崩れ落ちる。

私は、決して命を奪わない。ただ、的確に戦闘能力だけを奪っていく。



「あなたの魔法は、本当に便利ね。おかげで、私の剣も錆びつかずに済みそうだわ!」

「あなたこそ、見事な剣ですよ、エリスさん。おかげで、こちらも背中を気にする必要がありません」



私たちのコンビネーションは、どうやら想像以上に、そして完璧に噛み合っているらしかった。

エリスさんが嵐のように敵を切り伏せ、私がその嵐がより効率的に吹き荒れるよう、戦場の「流れ」を整える。

数で勝るはずの傭兵団は、なす術もなく、一人、また一人とその数を減らしていった。



戦況は、完全に私たちのものになった。そう、誰もが思った、その時だった。

「――そこまでだ」

低く、そして重い声が、戦場に響き渡った。

その声には、不思議な圧があった。あれほど猛っていた傭兵たちが、その一言で、ぴたりと動きを止めたのだ。



傭兵たちの人垣が、左右に割れる。

その奥から、ゆっくりと姿を現したのは、一人の大男だった。

身の丈は、二メートルを優に超えるだろうか。熊の毛皮をマントのように羽織り、その手には、人の胴体ほどもある巨大な戦斧バトルアックスが握られている。

その顔には、無数の古い傷跡と、全てを見下すような、獰猛な笑みが浮かんでいた。



「……ほう。ずいぶんと、派手に暴れてくれたじゃねえか、嬢ちゃんたち」

男は、足元に転がる手下を、まるで石ころでも見るかのように一瞥すると、その目を、まっすぐに私たちへと向けた。

「この俺の子飼いを、ここまで手玉に取るとはな。この街にも、まだ骨のある冒険者が残ってたらしい」



「……あなた、この連中のボス?」

エリスさんが、警戒を解かぬまま尋ねる。

男は、その問いに、にやりと笑って答えた。

「ボス、ねぇ。まあ、そんなところだ。『鉄の狼団』副団長のガラム、とでも名乗っておこうか。……お前さんたちの、その威勢のいい遊びも、ここで終わりだ」


ガラムと名乗った男から放たれる魔力の圧は、そこらの雑兵とは、明らかに次元が違っていた。

これまでの戦いが、まるで子供の遊びだったかのように、空気が、重く、そして冷たく張り詰めていく。



「遊びは、終わりだ」


ガラムと名乗った男から放たれる魔力の圧が、戦場の空気を一変させた。彼の足元から、血のような赤いオーラが陽炎のように立ち上っている。

エリスさんが、私の前に立つようにして、その銀の長剣を構え直した。


「リィア、あんたは下がりなさい。こいつは……私がやる」

「ですが、エリスさん。相手は一人です。二人で――」

「いいから!」


彼女の横顔は、これまでに見たことがないほど、真剣だった。

私は黙って一歩下がり、残党の掃討と、彼女の援護に徹することにした。


エリスさんが、風のように駆けた。

ガラムの巨体めがけ、その長剣が、まるで銀色の流星となって突き込まれる。

だが、ガラムは動かない。

「――無駄だ」

彼は、迫りくる刃を、その巨大な戦斧の腹で、いとも容易く受け止めた。

キィン!と、甲高い金属音が響き、エリスさんの身体が、まるで鞠のように弾き飛ばされる。


「くっ……!」

空中で見事に体勢を立て直した彼女の顔に、初めて焦りの色が浮かんだ。

「あんたのその剣は、速いが、軽すぎる。俺の『鉄塊』は、砕けん」


ガラムが、今度はその戦斧を、巨木でも薙ぎ倒すかのように、横薙ぎに振るう。

凄まじい風圧。エリスさんはそれをバックステップでかわすが、彼女が先ほどまで立っていた地面が、轟音と共に砕け散った。



エリスさんの剣技は、間違いなく一流だ。だが、それはあくまで「人」を相手にした時の話。

ガラムのそれは、災害のような暴力。このままではエリスさんが削り殺される。



私が動こうとした、その時だった。

ガラムの注意が、完全にエリスさんへと向いている、その一瞬の隙。

一体だけ生き残っていた傭兵が、その震える手で、クロスボウを私に向けていた。



「死ねや、エルフ……!」

放たれる矢。だが、それが私の喉元に届くことはなかった。

「――させないわよ!」

エリスさんが、私と矢の間に割り込み、その矢を剣で弾き返していたのだ。


だが、その代償は、大きい。

完全にがら空きになった彼女の背中へ、ガラムの戦斧が、無慈悲に振り下ろされた。

「――エリスさん!」


私は、地面を蹴った。

強化魔法を、私の持つ最大出力で、私自身に叩き込む。

治癒と強化の魔力が、私の体内で混ざり合い、白金のオーラとなって全身から迸った。



ガラムの戦斧が、エリスさんの背中に届く、ほんのコンマ数秒前。

私は、その間に割り込み、抜き放った黒い剣で、その一撃を受け止めていた。



ズウウゥゥン……!

地響きのような衝撃。足元の石畳が、蜘蛛の巣のように砕け散る。

私の腕の骨が、嫌な音を立てて軋んだ。



「……なっ!?」

ガラムが、信じられないものを見るような目で、私を見下ろす。

エリスさんも、背後で息を呑んでいるのが分かった。



「……リィア……あんた、腕が……」

「ええ、少しだけ。ですが、ご心配なく」


ミシリ、と音を立てて、砕けかけた骨が、白金の光と共に、瞬時に元の形を取り戻していく。

痛みはある。だが、動けないほどの怪我ではない。


「ここからは、私の番です。エリスさん、あなたは残りの雑魚の掃除と、ピヨの護衛をお願いします」



「……分かったわ。……死ぬんじゃないわよ!」



彼女が後方へ下がるのを見届け、私は、目の前の巨漢へと向き直る。

ガラムは、まだ状況が理解できないといった顔で、私と、私の腕を交互に見ていた。


「……今のは、なんだ……? 回復魔法か……? 魔法を使いながら、俺の渾身の一撃を、片手で受け止めただと……?」


「さあ、どうでしょうね。ですが……あなたとの相性は、私の方が、少しだけ良さそうです」


私がそう言って微笑むと、ガラムの顔が、怒りと屈辱に、醜く歪んだ。


「ふざけたことを……! そのまま、まとめて叩き潰してやる!」

戦斧が、再び嵐のように振り下ろされる。

私はそれを、今度は正面から、一歩も引かずに受け止めた。

砕ける、治る。また砕ける、また治る。

その、あまりにも異様な光景に、ガラムの動きが、ほんの少しだけ、鈍った。



その隙を、私は見逃さない。

私は、彼の戦斧を弾き返すと同時、その懐へと深く踏み込んだ。

ガラムは、私が剣で斬りかかってくるとでも思ったのだろう。慌てて、防御の体勢を取る。

だが――。



ガキン!と、重い音。

彼が繰り出した渾身の一撃は、空を切るどころか、私の黒い剣を、根元から弾き飛ばしていた。

宙を舞い、石畳に突き刺さる、私の相棒。



「はっ! 馬鹿め! 武器を失くして、丸腰になったな!」

ガラムが、勝利を確信した笑みを浮かべる。

だが、私の表情は、変わらない。むしろ、その口元には、獰猛なまでの笑みが浮かんでいた。



「……ええ。ようやく、準備が整いました」

「……なに?」



私は、がら空きになったその懐で、白金の光を纏った右の拳を、固く、固く握りしめていた。

「剣では、あなたを殺してしまいそうでしたから」



強化魔法を、限界まで拳に集中させる。

私は、その光る拳を、がら空きになった彼の腹部――鎧の、分厚い鉄板の上から、全力で叩き込んだ。



ゴッ!と、肉を打つ音とは思えない、鈍い破壊音が響く。

ガラムの巨体が、「く」の字に折れ曲がり、その口から胃液が逆流した。



「……まだ、ですよ」



返す刀ならぬ、左の拳で、今度はがら空きになった彼の顔面を打ち抜く。

骨が砕ける感触。だが、治る。

私は一切の躊躇なく、その巨体に拳の連打を叩き込んでいった。



「よい……しょっ!」



最後の一撃。強化した脚から放たれる、渾身の蹴りが、ガラムの身体を、まるでボールのように吹き飛ばした。

彼は、数度、地面を無様に転がると、そのまま、ぴくりとも動かなくなった。



戦場に、静寂が戻る。

私は、白金のオーラをゆっくりと収めると、ふぅ、と一つ、長い息を吐いた。

身体の奥が、強化魔法の余韻でずしりと重い。

だが、その疲労感は、不思議と心地よかった。

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