彷徨える騎士の末路(改稿版)
骸の山の中から、一体の巨大な影が、ゆっくりと姿を現す。
馬にまたがった、黒い全身鎧の騎士。その手には、禍々しいオーラを放つ、巨大な両刃の斧槍。
兜の奥で、二つの赤い光が、静かに私たちを捉えていた。
「……ピヨ」
私の静かな呼びかけに、上空を旋回していたピヨが「キェェ!」と短く応える。
いつでも動けるように。その意思が、確かに伝わってきた。
「……あれが、この谷の主ですか。随分と物々しい出で立ちですね」
私はセレネを構え直し、隣に立つ冒険者――エリスさんに話しかける。
彼女は、驚くべきことに、恐怖よりも先に闘志をその瞳に宿していた。
「ええ。……気を付けて。あれはただのアンデッドじゃない。生前の技量を、そのまま残しているタイプよ」
「なるほど。それは、少し骨が折れそうですね」
私がそう言って、口元だけで微笑むと、彼女は信じられないものを見るような目で、こちらを一瞥した。
死霊騎士が、馬の腹を軽く蹴る。
骨だけで構成された軍馬が、嘶きもせずに、しかし凄まじい速度でこちらへ突進してきた。
狙いは、二人同時に。
「左右に分かれますよ」
「言われなくても!」
私とエリスさんは、同時に左右へと跳んだ。
死霊騎士が振るった斧槍が、私たちが先ほどまでいた地面を抉り、轟音と共に土を跳ね上げる。
私は着地と同時に、体勢を立て直す騎士の懐へと潜り込む。
セレネの刃が、鎧の隙間――脇腹を正確に狙う。
だが、その刃が届く寸前。
騎士の身体から、黒い瘴気のようなものが溢れ出し、私の剣を弾き返した。
(魔力による障壁……。厄介ですね)
私は一度距離を取り、戦況を冷静に分析する。
物理攻撃だけでは、あの鎧を破るのは難しい。
ならば――。
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(魔力障壁……! 厄介な!)
私の銀の長剣は、アンデッドに対しては絶大な効果を発揮する。だが、あの騎士は生前の技量に加え、死してなお強力な魔力をその身に纏っていた。純粋な斬撃だけでは、あの黒い鎧に傷一つ付けるのは難しい。
「――援護するわ!」
私は叫ぶと、懐から数本の銀の投擲ナイフを取り出した。狙いは、騎士の兜の隙間と、鎧の関節部分。
リィアと名乗ったエルフが距離を取ったのと同時、私は死霊騎士の側面へと回り込み、三本のナイフを同時に放った。
空気を切り裂き、ナイフが正確に騎士の急所へと殺到する。
だが、騎士は馬上で僅かに身じろぎしただけで、その全てを分厚い篭手で弾き返した。
キン、キン、と甲高い音が響き、ナイフが虚しく地面に突き刺さる。
その、ほんの一瞬の隙。リィアが再び動いた。
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(なるほど。彼女の狙いは、陽動と、装甲の薄い部分への牽制ですか)
エリスさんの投擲が、騎士の注意を完璧に引きつけてくれた。
私はその隙を突き、強化魔法で加速した脚で、今度は騎士の背後へと回り込む。
セレネの切っ先が、馬鎧のされていない、軍馬の剥き出しの脚を狙う。
だが、騎士はそれすら読んでいた。
「――ッ!」
斧槍の石突部分が、まるで生き物のようにしなり、私のセレネを的確に打ち払う。
ガキン、と重い衝撃。体勢を崩された私に、返す刃ならぬ、馬の回し蹴りが襲いかかる。
「危ない!」
エリスさんの叫び声。
私は空中で無理やり身体を捻り、その蹄をセレネの平で受け流した。
着地と同時、背後からエリスさんの追撃が騎士を襲う。
銀の長剣が、騎士の背中の鎧を切り裂き、甲高い音と共に火花を散らした。
浅い。だが、確実にダメージは通っている。
初めて有効打を受けた騎士が、怒りの咆哮を上げる。
その赤い双眸が、エリスさんだけを捉えた。
敵の注意が完全にエリスさんへと向いた、その一瞬。
私は再び、今度は上空へと跳躍した。ピヨが作り出した風の渦を足場に、空を蹴る。
太陽光のないこの谷で、私の外套が翻り、まるで黒い翼のように見えたかもしれない。
狙うは、兜の無い、騎士の首。
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(しまった、ヘイトを取りすぎた……!)
騎士の怒りが、殺意となって私に集中する。
斧槍が、嵐のように振り回され、私の逃げ場を塞いでいく。
銀の長剣で必死に防ぐが、一撃一撃が重い。腕が痺れ、呼吸が上がる。
(ここまで、か……!)
体勢を崩され、がら空きになった胴体へと、斧槍の刃が迫る。
死を覚悟した、その時だった。
上空から、一筋の流れ星のように、リィアが降ってきた。
黒い剣が、月光を宿したかのように静かな輝きを放ち、死霊騎士の首筋へと吸い込まれていく。
ザシュッ、と肉ではない、古びた革と魔力が断ち切れる鈍い音が響く。
セレネの刃は、騎士の兜と胴体鎧の隙間を寸分の狂いもなく貫き、その頸椎を両断していた。
死霊騎士の動きが、糸の切れた操り人形のように、ぴたりと止まった。
兜の奥で爛々と輝いていた二つの赤い鬼火が、急速にその光を失っていく。
私は騎士の背に着地すると、セレネを静かに引き抜いた。
巨体が崩れ落ち、黒い鎧が地面に叩きつけられ、ガシャン、と空虚な音が谷に響き渡った。
「……はぁ……はぁ……。た、助かった……」
エリスさんが、その場に膝をつき、荒い息を繰り返している。
私は彼女に歩み寄ると、静かに手を差し伸べた。
「怪我は?」
「ないわ。あなたのおかげでね」
「あなた、本当に何者なの?」
「ただの旅人ですよ」
私がそう言って微笑むと、彼女は呆れたように、しかしどこか楽しそうに、ふっと笑みを漏らした。
「……そう。なら、覚えておくわ。リィア。――私はエリス。あなたと同じ、ただの旅人よ」
私たちがそうして、初めて自己紹介を交わしていると、騎士の骸が、黒い霧となって霧散し始めた。
そして、その鎧が完全に消え去った後。
地面には、一つの古びた鉄の認識票が、ことりと落ちていた。
「…あれは」
私はそれを拾い上げる。
そこには、かすれて読みにくいが、確かに一人の騎士の名前が刻まれてあった。
「行きましょうか、エリスさん。もう、ここに用はありません」
「ええ……そうね」
私とエリスさんは、顔を見合わせると、静かに頷き合った。




