空の主の強襲(改稿版)
ケインさんたちと別れた後、私は再び一人、風鳴りの草原を歩いていた。
彼らの賑やかな声が消えると、辺りには風の音と、草が擦れる音だけが戻ってくる。
ほんの少しだけ、静かすぎる気もするが、この孤独もまた、旅の一部だ。
(ガルドラン、ですか。面白い街だといいですね)
彼らから聞いた中継都市の名を、心の中で反芻する。
新しい目的地ができたことで、足取りは自然と軽くなった。
私は道の脇に咲いていた、見たことのない青い花を見つけ、スケッチブックを取り出した。
風に揺れる花びらを、鉛筆で丁寧に写し取っていく。
「これも、ミエルへのお土産にしましょうか」
独りごちる声は、風にさらわれて消えていく。
一人でも、誰かを想う旅は、悪くない。
日が中天に昇り、少し開けた岩場で昼食をとることにした。
メニューは干し肉と、ケインさんにもらったパン。それと、メーヴィスさんからいただいた太陽の実だ。
「……なるほど。確かに、噛めば噛むほど味が出ますね」
干し肉をかじりながら、先ほどの出会いを思い出す。
戦い、語らい、食料を分け合う。冒険者とは、ああいうものなのかもしれない。
だとしたら、それもまた、悪くない生き方だ。
そんな物思いに耽っていた、その時だった。
ふと、空が暗くなる。
見上げると、巨大な影が、音もなく私の真上を通り過ぎていった。
(……大きい)
翼を広げれば、荷馬車ほどもあるだろうか。
鷲の頭と翼、そして獅子の胴体を持つ、獰猛な魔獣。
(グリフォン……!)
第五階層の主。ケインさんたちが噂していた、空の王者だ。
私は咄嗟に身を隠そうとしたが、遅かった。
旋回したグリフォンが、遥か上空から、その鋭い瞳でまっすぐに私を捉えている。
獲物を見つけた、という純粋な捕食者の目。
こちらを格下の存在と断じ、一切の油断も警戒もしていない。
(……見つかってしまいましたか)
私は食べかけのパンをそっと布に包むと、ゆっくりと立ち上がった。
焦りはない。むしろ、胸の奥で静かな闘志が燃え上がっていた。
「風鳴りの草原の主……。ええ、いいでしょう。少し、お相手願います」
私はセレネの柄に手をかけ、その黒い刀身を抜き放つ。
私のその行動が、合図だった。
キェェェェッ!
甲高い咆哮が空気を切り裂く。
グリフォンは翼を一度大きくはばたかせると、まるで空から放たれた矢のように、一直線にこちらへ向かって急降下してきた。
凄まじい速度と質量。まともに受ければ、ただでは済まない。
(速い。ですが……単調ですね)
私は突進の軌道を見切り、強化魔法で身体能力を底上げする。
グリフォンの鋭い鉤爪が、私が先ほどまでいた岩を粉砕する、ほんのコンマ数秒前。
私は地面を蹴り、その攻撃範囲から離脱していた。
轟音と共に、岩の破片が四方へと飛び散る。
仕留め損なったことに気づいたグリフォンは、苛立ったように一度空中で体勢を立て直すと、再びこちらへ向き直った。
(面白い。あの翼、風をただ受けるだけでなく、魔力で流れを制御していますね)
モノクル越しに視えるグリフォンの翼は、複雑な魔力の紋様を帯びていた。
あれが、この巨体を自在に操る秘密なのだろう。
ならば――。
「風を操るのであれば、こちらも同じ土俵に上がらせてもらいましょうか」
私は外套を大きく翻し、強化の魔力を流し込む。
外套が、風を孕んで硬質化し、まるで翼のように私の意のままに動く。
グリフォンが再び急降下してくるのに合わせ、私は地面を蹴った。
「――参ります」
強化した外套は、風を捉えて私の身体を宙へと持ち上げる。
驚異的な跳躍。それは、もはや飛行に近い。
「キェェ!?」
空中で獲物が待ち構えていたことに、グリフォンが驚きの声を上げる。
だが、空の王者の順応は速い。即座に体勢を立て直し、空中で私を迎え撃つ。
鋭い爪と嘴、そしてセレネの黒い刃が、草原の空で何度も火花を散らした。
一進一退。
だが、戦闘経験の差は明らかだった。
グリフォンは力任せに爪を振るうだけ。対して私は、最小限の動きでその攻撃をいなし、的確に翼の関節や、鱗のない腹部を狙って斬撃を加えていく。
ザシュッ、と肉を裂く音。
私のセレネが、ついにグリフォンの右翼の付け根を深く切り裂いた。
バランスを崩したグリフォンが、もんどりうって地面へと落下していく。
私はそれを追い、急降下した。
地面に叩きつけられ、もがくグリフォン。その誇り高い鷲の頭が、土と草にまみれている。
私はその眉間に、セレネの冷たい切先を突きつけた。
これで、終わり。そう思った、その時だった。
グリフォンの黄金の瞳に、初めて恐怖以外の色が浮かんだ。
あれほど猛々しかった瞳が、今は助けを求めるように潤み、私をじっと見つめていた。
(……あ……)
セレネを握る手が、ぴたりと止まる。
目の前にいるのは、ただの獰猛な魔獣ではない。
この草原を縄張りとし、誇り高く生きてきた、一つの命だ。
それを、私が奪う?
(……できません)
こんな顔をされてしまっては、もう、私には無理だった。
私は、ふぅ、と一つ大きなため息をつくと、セレネを鞘に収めた。
「キィ……?」
グリフォンが、不思議そうに小さな声を漏らす。
私はその前にしゃがみ込むと、血が滲む翼の付け根に、そっと手をかざした。
「動かないでください。少し、痛みますよ」
私の指先から、純白の、温かい光が溢れ出す。
それは、傷ついた花を元に戻した、私の得意な治癒魔法。
光が傷口を優しく包み込み、裂けた皮膚と筋肉を、ゆっくりと繋ぎ合わせていく。
グリフォンは最初、驚いたように身じろぎしたが、やてその光が自分を癒すものだと理解したのだろう。
おとなしく身を委ね、気持ちよさそうに、そっと目を閉じた。
治療が終わる頃には、あれほど深くあった傷は、跡形もなく消えていた。
「……よし。これで大丈夫でしょう」
私が手を離すと、グリフォンはゆっくりと身を起こした。
そして、私の顔をじっと見つめると、その大きな鷲の頭を、私の肩にすり、と擦り付けてきた。
まるで、甘える猫のように。
「ふふ……くすぐったいですよ」
その意外な行動に、思わず笑みがこぼれる。
もう、彼に敵意はなかった。代わりに、そこには確かな信頼と、親愛の情が芽生えていた。
「あなた、お腹が空いていたんですね。それで、私を襲った、と」
私がそう言うと、グリフォンは「クゥン」と肯定するように喉を鳴らす。
私は、食べかけだった干し肉とパンを差し出した。
グリフォンは、それを大事そうに、しかしすごい勢いで平らげていく。
「仕方がありませんね。今日から、あなたのご飯は私が用意してあげましょう。その代わり、私の旅、手伝ってくれますか?」
私のその提案に、グリフォンは力強く、そして嬉しそうに一声、高く鳴いた。




