増幅の杖②(改稿版)
杖を作り上げた、その直後だった。
工房の静寂を破るように――コンコン、と控えめなノックが響く。
「……リィア殿、おるかね?」
少し戸惑いを含んだ声。
扉を開けると、そこに立っていたのは書庫の主――エルリックさんだった。
あの膨大な資料の山の中から抜け出してくるなんて、珍しい。
彼の視線は、私の背後に置かれた杖に吸い寄せられていた。
完成の瞬間に放たれた尋常ではない魔力の波動に、呼び寄せられたのだろう。
「……これが完成品かね。なんと……美しい……」
声はかすれ、瞳は子供のように輝いていた。
その眼差しは、ただの道具を見るものではない。
何百年も語り継がれる芸術品を前にした学者の――純粋な探求心と高揚。
私は小さく息をつき、杖の脇へと歩み寄った。
「試してみたいのですが……書庫に、“絶対に壊せない”と有名な魔道具でもありませんか?」
問いかけると、彼は一瞬ぽかんとし、次の瞬間には口元を歪めて笑った。
「あるとも!」
声には喜びが滲み、背筋まで伸びている。
どうやら、この男にとっても絶好の実験の機会らしい。
エルリックさんは、まるで宝物を見せびらかす少年のような足取りで部屋を出ていった。
やがて両腕で大事そうに抱えて戻ってきたのは――鈍い黒光りを放つ、一辺30センチほどの立方体の石。
「これは『沈黙の石』と呼ばれておる遺物じゃ。あらゆる魔力を吸収、無効化する性質を持つ。『古の民』が作った最高硬度の魔力貯蔵庫……らしいがな。今まで、誰一人として傷ひとつ付けられた者はいない」
机の上に置かれた瞬間、周囲の魔力がすっと石に吸い込まれていくのが分かった。
私のモノクルを通して覗くと、その内部構造は完璧な閉じた循環を成しており、外部からの干渉を一切受け付けない設計になっている。
「何人もの高ランク魔術師が挑戦したが、皆、魔力を吸い尽くされて終わった。さて、お嬢さん……」
目を細め、挑発的な笑みを浮かべる。
「その杖の力、見せてもらおうじゃないか」
私は無言でうなずき、『ロゴス』を構えた。
杖の先端を『沈黙の石』へと向ける。
(……なるほど。確かにこれは、ただの魔法では傷ひとつ付かないでしょうね)
普通の魔法が「コップに水を注ぐ」行為なら、この石は「無限に水を吸い込む砂漠」だ。
ならば――砂漠が受け止めきれないほどの、大洪水をぶつければいい。
私は杖に魔力を流し込んだ。
先端の翠の宝玉がまばゆく輝き、中心の古竜の魔石が心臓のように力強く脈動を始める。
私の魔力は杖の中で渦を巻き、螺旋を描きながら、ありえない密度にまで増幅されていく。
「――いきます」
杖先から放たれたのは、破壊の光ではない。
純粋な「強化」の魔力。物質の構造そのものに干渉し、その在り方を強制的に書き換える、白金の奔流。
奔流が『沈黙の石』に触れた瞬間――工房の空気が軋んだ。
キィィン、と甲高い音が響き、石がこれまで吸収してきた魔力を許容量を超えて無理やり励起させられていく。
「なっ……!?」
エルリックさんが信じられないものを見るように目を見開く。
石は自ら白熱の光を放ち始め、表面に、まるでガラスに加えられた熱のように、ピシリ、と一本の亀裂が走った。
歴史上、誰も傷つけられなかった遺物に刻まれた、初めての傷。
私はそこで魔力を止め、杖を下ろした。
「……君は一体……何をした?」
エルリックさんは膝をつき、亀裂の入った石と私を交互に見つめた。
私はその問いに答えず、ただ小さく口元をゆるめた。




