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広場での余波

広場に残された静寂。

 葛城たちが呆けた顔で立ち尽くしているのを横目にもせず、私はエマの手を軽く引いた。


「行きますよ、エマさん。あの人たちに、これ以上時間をあげる理由はありませんから」


「は、はい……」


 背後から、葛城の怒声が響いた。

 けれど、それは遠ざかる街の雑踏に溶けていく。

 彼の怒りなど、私にとってはただの雑音だ。


 しばらく歩いたところで、エマが不安そうに口を開く。

「……リィア様、本当に大丈夫なんですか? あんなに怒って……」


「大丈夫ですよ。彼は吠えるのは得意ですが、噛みつくには牙が足りません」

 軽く皮肉を添えて返すと、エマの表情がわずかにほころんだ。


(葛城隼人……。あの性格では、いずれまた会うことになるでしょうね)


 やがて、貴族の館が並ぶ静かな一角へ。

 その中でもひときわ豪奢な屋敷が、エマの届け先だった。

 門番に事情を話すと、私たちはすぐに中へ通される。


 応接室で待っていたのは、白髪で上品な老婦人。

「まあ……あなたがエマさんね。よく来てくれました」


 エマは緊張で背筋を伸ばし、月光蝶の籠を差し出した。

 老婦人の瞳が、その光を受けて優しく細められる。

「……見事ですわ。約束通り、いえ、それ以上の報酬をお渡ししましょう」


 金貨袋が手渡され、エマの目が丸くなる。

 老婦人は次に私へ視線を向け、深く頭を下げた。

「あなたが護衛のリィア殿ですね。本当に感謝いたします。どうか私からも――」


「お気持ちだけで十分です。私は約束を果たしただけですから」


 即答に、老婦人は一瞬驚き、やがて穏やかに微笑んだ。

「……そうですか。エマ、あなたもそれでいいのですね?」


「はい!」


 金貨袋を胸に抱くエマの顔は、喜びと安堵に満ちていた。

 老婦人が告げる。

「エマ。今日からこの屋敷で魔獣の飼育係として働くことになります。部屋も用意してありますよ」


「本当ですか!? ――はい、頑張ります!」


 私の方へ振り返った彼女の目に、涙が滲んでいた。

「リィア様……! 本当にありがとうございました! 一生忘れません!」


 勢いよく抱きつかれ、私はその頭を軽く撫でる。

「……元気で、エマさん。夢を叶えてください」


「はいっ!」


 固い握手を交わす――これが、彼女との別れだった。



---



その頃――ランパードの冒険者ギルドに併設された酒場の一角は、酒の匂いよりも、男の苛立ちの方が強く漂っていた。


 ガシャン、と鈍くも甲高い音が響く。

「……ちくしょう……あのエルフの女……!」


 葛城隼人が、握りしめていたエールの大ジョッキをテーブルに叩きつけた。

 泡立った黄金色の液体が勢いよくあふれ、木製の天板を濡らす。


「隼人、お前な……落ち着けよ。ここで荒れても仕方ねえだろ」

 牧野が苦い笑みを浮かべてなだめるが、その声には呆れも混じっている。


「うるせえ! 俺がどれだけ恥をかかされたと思ってんだ!」

 怒鳴る声が、周囲の客の耳にも届き、ちらちらと視線が向けられる。

 酒場のざわめきが一瞬だけ小さくなった。


 ――あの広場での出来事は、既に街の噂になり始めていた。

 武器を手にした大の男が、女ひとりに言葉だけで黙らされたという話。

 しかも相手は、この街で滅多に見かけないエルフだった。


「……リーダー、あの女……ただ者じゃねえ」

 斎藤が、手首をさすりながら口を開く。

「俺が卵に手を伸ばした瞬間、小石が飛んできた……あれはただの投擲じゃねえ。魔力を込めてやがった」


 斎藤の手首には、まだ赤い痕が残っている。

 小さな石一つでここまでの痕を残すのは、狙いも力加減も見極めた上での一撃だ。


「それにゴールドランクだぞ。下手に手を出しゃあ、今度は俺たちがギルドから摘まれる」


「……そんなことは分かってる!」

 葛城が再び吠え、拳を振り抜くように近くの壁を殴った。

 鈍い衝撃音と共に、拳に食い込む感触が返ってくる。

 怒りがまだ抜けきらないのか、呼吸が荒く続く。


「だからこそ、だ……」

 葛城の声が、低く静まり返る。

 その目は、まるで獲物を捕らえた獣のそれだった。

「……あの女が何者なのか。どこから来て、何をしようとしているのか……必ず暴いてやる。そして、土下座でもさせてやる」


 蛇のように執念深いその視線に、牧野と斎藤が言葉を失った。


 ――一方、街の別の地区にある宿屋でも、同じ噂が囁かれていた。


「葛城がまた広場で揉め事を起こしたらしい」

 佐伯が、椅子にもたれながら言った。

「相手はゴールドランクのエルフの冒険者で……しかも、葛城を言葉だけで黙らせたんだとよ」


「……エルフの冒険者……」

 その単語に、大和の眉がわずかに動く。

 胸の奥で、ひやりとした感覚が広がった。

 あの日、鑑定の間で感じた正体不明の違和感が、再び息を吹き返したような気がする。


「面白そうじゃない、そのエルフ」

 テーブルの端に座っていた高坂が、ゆっくりと笑みを浮かべた。

 紅を引いた唇がわずかに吊り上がる。


「葛城を手玉に取るなんて……腕が立つだけじゃなく、頭も回る。放っておくには惜しいわ」


 彼女の怜悧な瞳に、興味という名の光が宿る。

 その視線の先には、まだ見ぬ一人のエルフ――リィアの姿があった。



---



屋敷を出た私は、一人でランパードの街路を歩いていた。

 つい先ほどまで隣を歩いていたエマの姿は、もうない。

 足音がやけに大きく響く。

 ……ほんの少しだけ、静かすぎる気もする。


「……やっぱり、寂しいものですね」

 自分にだけ聞こえる声で呟き、すぐに首を振った。

 彼女は夢を見つけ、そのための場所を手に入れた。

 なら、私も私のやることをやるだけです。


 向かう先は冒険者ギルド。

 この街で活動するなら、まずは籍を移す必要がある。


 ランパードのギルドは噂通りの巨大さ。

 石造りの外壁は分厚く、扉をくぐれば天井の高い広間に冒険者たちの声と武具の金属音が混じり合っていた。


 酒と汗と血の匂い……ええ、間違いなくここは戦う者のための巣窟ですね。


 私が中に入ると、ざわめきがほんの少しだけ変わる。

 物珍しさ、探るような視線、そして……先日の広場での一件を思い出している者たちの視線。


(随分と噂が回るのが早い街ですね)


 無視して受付へ向かい、手続きを終える。

 新しいプレートを受け取り、指先で軽くなぞった。

「……さて。これでこの街でも正式に活動できるわけです」


 依頼掲示板へ足を向ければ、そこに並ぶ紙は迷宮攻略、魔獣討伐、物資護送……見事に戦いと隣り合わせの依頼ばかり。


(まずは情報を集めて、足場を作らないと。……今のままでは、この街で勇者たちに接触するのは危険すぎます)


 そう考えていたとき――ざわめきが広間を走った。

 重い扉が軋み、葛城のパーティが姿を現す。

 同時に、反対側から結城大和のパーティも。


 どちらも迷宮帰りらしく、装備は土埃と血で汚れている。

 そして、野次馬の視線が彼らと私を行き来する。

 火薬の匂いが、まだ火をつけていない導火線のように漂っていた。


「……早いですね、動き出すのが」

 小さく息を吐く。

 それは溜め息とも、愉快そうな笑みともつかない音だった。

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