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沈黙の村

エマが旅に加わってから一週間が過ぎた。

 彼女は本当に、よく喋る。

 私の隣で、まるで春の小川のせせらぎのように絶え間なく言葉を紡ぎ続けている。


「リィア様! 見てください、あの雲、大きな魚にそっくりです!」

 青空に浮かぶ雲を指差し、彼女は瞳を輝かせる。


「ええ。……鱗までありそうに見えますね」

 私も視線を上げると、確かに尾びれのような形が揺れていた。


「じゃあ、あっちの鳥は? なんていう名前なんですか?」


「アカハシドリ。渡り鳥ですよ。春になると北へ、秋になると南へ渡ります」


 いつの間にか私は、彼女の家庭教師のようになっていた。

 けれど、その賑やかさは不思議と耳障りではない。

 ミエルと旅をしたら、きっとこんな感じになるのだろう。そう思うと、自然と口元が緩んでしまう。



---


 旅は順調だった。

 街道沿いの町で宿を取り、食料を補給し、また南へと進む。

 その繰り返し。


 エマは日に日に旅に慣れ、私も彼女との距離感を掴み始めていた。

 穏やかで、満ち足りた時間。


 ――だが、平穏というものはいつだって長くは続かない。


 ヴェリスを出て十日が過ぎた頃、私たちはランパードへ続く最後の難所――深い森の道へと足を踏み入れた。

 午後になると空が急にかき曇り、次の瞬間、バケツをひっくり返したような夕立が私たちを襲った。


「リィア様! 前が、見えませんっ!」

 エマが外套の裾を掴み、必死に私にくっついてくる。

 足元はあっという間に泥水で満たされ、道は小川のようになっていた。


(……このまま進むのは危険ですね)


 竜眼のモノクルで周囲を探ると、森の奥に――人の営みが放つ柔らかな光のオーラが見えた。


「エマさん、あっちです。村があります」


 私たちは土砂降りの中を駆け抜け、小さな村にたどり着いた。

 しかし、その村は異様な静けさに包まれていた。

 雨戸は固く閉ざされ、道端で雨宿りをしていた村人も、私たちを見るなり怯えたように家の中へ逃げ込む。


「……変な村ですね」

「ええ。でも、まずは雨をしのぎましょう」



---


 唯一の宿屋らしき建物を見つけ、中へ入った。

 中は薄暗く、数人の男が黙々とエールを飲んでいる。

 私たちに向けられた視線は、好奇心ではなく、よそよそしい拒絶。

 重い沈黙が、再び場を覆う。


 宿屋の主人は五十代ほど、疲れ切った顔の男だった。

 私たちが冒険者だと知ると、小声で言った。


「……部屋なら空いてる。あんたたちも運が悪いな。こんな呪われた村に迷い込むとは」


「呪われた……?」

 エマが息を呑む。


「ああ。この村には掟がある。夜になったら決して外に出るな。大きな音も立てるな。

 掟を破れば“森の主”が来て、その者を森の奥へ連れ去る。そして……二度と戻らない」


「そんな……」

 エマの顔が青ざめる。


「さあ、部屋へ行きな。雨戸もしっかり閉めておけ」



---


 案内された二階の奥の部屋は簡素で埃っぽかったが、雨風をしのぐには十分だった。


「リィア様……本当に森の主なんているんでしょうか」

「さて……どうでしょうね。ですが、私がついていますから」


 私は雨戸の隙間から外を覗く。

 村人たちの身体から立ち上る魔力は、灰色に濁っていた。

 それは恐怖だけではない。魔力による精神の“抑制”――誰かが意図的に縛りつけている。


 森の奥には巨大な魔力の塊があったが、それは禍々しくはない。

 むしろ森そのもののような、古く荘厳な気配だった。



 夜。雨は上がり、村は不気味な静寂に包まれた。

 エマはベッドに潜り込み、月光蝶ピピンを抱いて小さく震えている。


「……静かすぎますね。虫の声すらしません」

「まるで村全体が息を殺しているようです」


 その時、甲高い悲鳴が静寂を破った。


「いやっ! 離して! 私は何もしてない!」


 モノクルが映したのは、広場近くの家から若い娘を引きずり出す屈強な男たち。

 怒鳴り声――「掟を破った! 森の主への生贄だ!」


(……これは、魔物ではなく人間が――)


 部屋の扉が激しく叩かれ、主人の声が響く。

「外に出るんじゃない! 朝までじっとしてろ!」


 だが、エマが涙ながらに裾を掴む。

「……リィア様。助けてあげて……」


 私は立ち上がり、セレネの柄を握る。

「エマさん。鍵をかけて、誰が来ても開けないでください」



---


 窓を引き剥がし、夜の闇へ身を躍らせる。

 湿った冷気が肌を刺す。


 広場近くの家では、宿屋の主人が中心となり娘を押さえつけていた。

「村長様がお前が掟を破ったとおっしゃった! 森の主の生贄になれ!」


(森の主を利用した支配……)


 私は躊躇なく扉を蹴破った。


「その方を離しなさい」

 私の声に、室内の空気が一瞬凍りつく。

 男たちは互いに顔を見合わせ、誰もすぐには動けなかった。


 ただ宿屋の主人――いや、村長の傀儡のようなその男だけが、額に汗を浮かべながら叫ぶ。

「な、何してやがる……! お前、村の掟を……!」


「掟?」私は一歩踏み出し、セレネをわずかに傾けて光を反射させる。「人を縛るための鎖のことですか?」


 その刹那、主人の顔色がさらに蒼白になり、恐怖を誤魔化すように怒鳴り声を張り上げた。


 錆びた剣や棍棒を構える村人たち。


 私は峰打ちで武器を叩き折り、急所を正確に打って戦闘力を奪う。

 床には呻く男たちだけが残った。


 村長が腰を抜かす。

 その時――低く響く唸り声。


外には、体長五メートルの巨大な黒い狼が立っていた。

 古い森の魔力を纏い、知性を宿した瞳で私と村長を見比べる。

 その視線には、村長への確かな敵意があった。


 狼は牙を剥き、唸りを強める。

 村長が絶叫し、夜の森へと引きずり込まれるその瞬間まで、私はただ静かに見届けていた。

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― 新着の感想 ―
楽しく読ませて頂いております。 この回と次の回を読んで、村長と宿屋の主人、森の狼と生贄の風習が説明不足過ぎてよく判りません。 森の狼が村長に手出しできなかった理由というか、何らかの縛りが存在していない…
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