勇者の動向
ギルドの医務室。静寂の中、私は手の中にある、蒼い蝋で封印された羊皮紙をじっと見つめていた。
その隣では、レオンさんとミーシャさんが、固い表情で私を見守っている。
「……我々は、席を外そうか?」
レオンさんの気遣わしげな問いに、私は軽く首を横に振った。
「いいえ、その必要はありません。あなた方は、すでにこの取引の当事者ですから」
私は、親指でゆっくりと封蝋を押し潰した。
パリ、と乾いた音が、静かな医務室に響き渡る。
羊皮紙を広げ、視線を最初の行へと落とした。
『――王都アーベンハイトにて、約二ヶ月前、「異界の勇者」と思われる二十名の若者が集団で出現』
その一文を読んだ瞬間、頭の奥で、鍵をかけていたはずの扉が、ぎしりと軋む音がした。
「……知っている人が、いるの?」
ミーシャさんの問いに、私は一拍置いてから、静かに答える。
「ええ。……少しだけ、古い知り合い、とでも言っておきましょうか」
それ以上は言わず、私は視線を報告書へと戻した。
『――現在、王城にて保護下にあり……』
「保護、ですか。聞こえはいいですが、実際は『管理』と『分析』の下、でしょうね。王都のやり方です。規格外の力は、まず徹底的に囲い込む」
私の冷静な分析に、レオンさんが静かに頷いた。
そして、私の視線は、そこに記された名簿で、ぴたりと止まった。
『勇者:結城大和』
『魔槍士:葛城隼人』
『賢者:高坂静流』
『解析者:桐谷蒼』
その名前を目にした瞬間、霞がかっていた記憶の風景が、一気に鮮明な色彩を取り戻していく。
教室の、あの気怠い空気。チョークの匂い。窓から差し込む、夏の終わりの西日。
「人の役に立ちたい」と、困ったように笑っていた、結城君。
「凡人が」と、他人を見下していた、葛城君。
いつも一人で本を読んでいた、高坂さん。
「……その顔……あまり、良い関係ではなかったようだな」
レオンさんが、私の表情の変化を鋭く見て取った。
「さあ、どうでしょう。ただ、少しだけ、厄介な人たちだった、という記憶はありますね。特に、二人目の方とは」
私がそう言って、わざとらしく肩をすくめると、レオンさんはそれ以上、何も聞かなかった。
ページをめくるように、視線を下へと走らせる。
『――三週間前、勇者一行は、王都の南東に位置する迷宮都市ランパードへ拠点を移動』
(ランパード……ヴェリスから、街道経由で最短でも一月はかかりますか。遠いですね)
『――王国の監視付きで、冒険者としてギルドに登録。主な活動は、ダンジョンの低層階の攻略と、周辺の魔物討伐』
「自由行動に見せかけた、実戦形式のデータ収集、というところでしょうか」
そして、最後の一文に、私の目が留まった。
『――勇者・結城大和を中心とする穏健派と、魔槍士・葛城隼人を中心とする急進派の間で、内部での軋轢が報告されている』
羊皮紙を静かに巻き終えると、レオンさんとミーシャさんの視線が、私に集まった。
「……必要な情報は、揃ったかな」
「はい。十分すぎるほどです。ご協力、感謝します」
私のあまりに淡々とした返答に、ミーシャさんが少しだけ、心配そうに眉を寄せた。
「随分と、落ち着いているのね。もっと……驚いたり、動揺したりするのかと思ったわ」
「驚きや動揺で、状況が好転するというのなら、いくらでも。ですが、あいにく、現実はそうではありませんから」
レオンさんは、私のその答えに小さく笑みを浮かべたが、すぐに真顔に戻った。
「リィア君。君の目的が彼らだというのなら、忠告しておく。王都や騎士団が絡む話は、我々が思う以上に根が深い。危険すぎる」
「ええ、分かっています。だからこそ、あなた方と取引をしたのですから」
「……我々の助けが必要になる時が、必ず来る」
「その時は、喜んでお力をお借りします。ですが、どこかの派閥に入るつもりはありません」
私は、きっぱりと告げた。
「私は、私の目的のために動きます。あなた方は、あなた方の信義のために。利害が一致する間は、最高の協力者として、共に歩みましょう」
私のその言葉に、レオンさんの瞳に、わずかな驚きが走り、そしてすぐに、深い信頼を込めた笑みへと変わった。
「……ああ。それで、十分だ」
私たちは、固い握手を交わした。
彼らが出て行き、静寂が戻った医務室。
私は懐に羊皮紙をしまうと、窓の外に広がるヴェリスの巨大な街並みへと、視線を送った。
(ランパード……ですか)
いつか、行くべき時が来るのかもしれない。だが、急ぐ理由はない。
今の私には、やるべきことがある。
ヴェリスで装備を整え、依頼をこなし、そして、この新しい「私」の力を、完全に掌握する。
手の中にある、黄金のギルドプレートを、軽く握りしめる。
今は、それでいい。




