アルバレス卿の屋敷
私はレオンと共に「蒼き剣」の拠点を出た。二人きりではない。
ヒーラーのミーシャと、屈強な盾役の男――彼らも同行する。
その表情は固い。これから向かう場所が、ただの依頼先ではないと物語っていた。
石畳が陽光を反射するヴェリスの貴族街。
大通りや職人街の喧騒はここにはない。磨き上げられた道に、空気すら澄んでいるようだ。
歩く人々は絹の服を身にまとい、香水の香りを残して通り過ぎる。私のような旅装の女を一瞥すると、興味なさげに視線を逸らした
やがて、高い黒鉄の門の前で足が止まる。
その奥には、丹念に刈り込まれた庭園と白亜の豪奢な館。
レオンが門番に身分を告げると、重厚な扉が静かに開いた。
吐息が漏れるほど整えられた庭を抜け、玄関ホールに入る。そこで執事と思しき老人が深く頭を下げた。
「お待ちしておりました、レオン様。旦那様がお待ちです」
案内され、豪奢な絨毯の廊下を進む。壁には高価な絵画や装飾が整然と並んでいる。
通されたのは書斎だった。
窓際に立つ男――四十代ほどか。服は仕立ての良い絹、姿勢は貴族の威厳を保っている。
だが、その背中には疲弊と焦燥が濃く滲んでいた。これがアルバレス卿だ。
「……レオン殿。来てくれたか」
振り返った彼の視線が、レオンから私へ移る。
そこで動きが止まり、低く呟いた。
「……そのエルフの娘が?」
疑念と諦めを孕んだ目だった。
続く言葉は刃のように鋭い。
「ギルドも人材が尽きたか。こんな小娘を寄越すとは……もう終わりだな」
レオンが慌てて口を開きかけたが、私は手で制した。
代わりに、一歩前に出る。
「お気持ちは理解します、アルバレス卿」
卿の眉がわずかに動いた。私の声は静かで、波立っていなかった。
「ですが――論より証拠、という言葉をご存知でしょう? まずはお嬢様を診させていただけませんか。それで私が何もできないと分かれば、その時は何も言わずに立ち去ります」
卿はしばし私を見つめ、やがて諦めにも似た息を吐いた。
「……好きにしろ。どうせ、もうどうにもならん」
執事に案内され、二階の一室へ。
そこは少女らしい可愛らしい調度品で彩られた部屋だったが、空気は淀みきっていた。
天蓋付きのベッドに、金髪の少女が眠っている。年は十歳ほど。
青白い顔に、薄く開いた唇。マナの流れが生命の火が細くなっていく様を教えてくれる。
「……駄目。やっぱり回復魔法が弾かれる。呪いが強すぎる」
ミーシャが悔しげに唇を噛む。
私はベッドに歩み寄り、少女の額に手をかざした。
(……これは……)
竜の叡智が囁く。
生命力を餌に成長する、寄生型の呪詛――回復魔法すら養分にして肥大化する性質。
そして媒体は少女ではない。部屋にある別の何か。
私は目を開き、振り返った。
「呪いの媒体を探します。……彼女が大切にしていた物、装飾品か人形か。きっとこの部屋にあります」
的確な分析に、レオンたちが息を呑む。
手分けして部屋を探すと、ミーシャが小さな声を上げた。
「……これ?」
彼女の手には黒檀のアンティークオルゴール。
近づき、意識を集中させると、視界に黒く淀んだ魔力の糸が映った。細く、しかし無数に少女の魂へ絡みつく糸だ。
「……ええ、それです。呪いの発生源」
「じゃあすぐ破壊すれば――」
「いえ、それは駄目です」
私が首を横に振ると、全員の視線が集まる。
「呪いと魂が深く絡み合いすぎています。無理に壊せば、彼女の魂も一緒に砕けます」
「……なんだと……!」
レオンが息を呑み、アルバレス卿は蒼白になる。
進むも退くも地獄。部屋の空気が重く沈む。
私は静かに言った。
「……私なら、できます」
その一言で、全員の目が揺れた。
「呪いだけを切り離し、消滅させます。ただし――非常に繊細な魔力制御が要ります。準備に時間が必要です」
卿が縋るように近寄ってくる。
「本当か!? 本当に助けてくれるのか!?」
「はい。約束します」
「おお……! 必要な物は何でも言え。金でも道具でも!」
「要りません。今夜、改めて参ります。それまで誰もこのオルゴールに触れず、部屋にも入れないようにしてください」
的確な指示に、卿は深く頭を下げ、レオンたちの視線からはもはや疑いが消えていた。
私は一礼し、部屋を後にする。
頭の中では、既に儀式の構築が始まっていた。




