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死闘の果てに

轟音。

耳をつんざく衝撃が、谷全体を揺るがした。

それは、ただの爆発ではない。私の魔力によって無理やり暴走させられたロックリザードの魔石が、凝縮された土の魔力を形のない嵐となって全方位に解き放ったのだ。


至近距離でその嵐を浴びたドラゴンの顔面で、黒曜石のような鱗が弾け飛ぶ。分厚い皮膚が抉れ、飛び散った灰色の鮮血が、私の頬に熱く当たった。


「グルオオオオオオッッ!!」


耳を劈く絶叫が響き渡る。

今までの咆哮とは違う――純粋な苦痛と、魂そのものが傷つけられたことへの怒りが混ざり、谷全体を震わせる断末魔の叫びだった。

ドラゴンの巨体が苦悶にのたうち、私を絡め取っていた光の鎖が、ガラスのように砕け散る。


だが、当然私も無傷ではいられなかった。

爆風が、防御も間に合わぬまま私の全身を叩きつけ、私は木の葉のように吹き飛ばされる。背中から岩壁に叩きつけられた瞬間、肺の中の空気が全部押し出される、凄まじい衝撃。


口の中に、甘い鉄の味が広がった。肋骨が数本、内側から砕ける感触。

視界が赤と黒に点滅し、意識が遠のきかける。

だが――まだだ。まだ、終わっていない。


かすむ視界の向こう、ドラゴンの姿が揺らめいて見えた。

その美しい黄金の瞳の片方は、砕けた魔石の破片で無残に潰れ、顔の半分は血と泥でぐしゃぐしゃに汚れている。

それでも、奴は生きていた。

いや――その身に宿る怒りと憎悪は、むしろ今この瞬間が、頂点に達していた。


ドラゴンは潰れた片目を庇うように首を振り、盲目的に暴れ回る。巨大な爪がクレーターの壁を抉り、強靭な尻尾が地面を叩き割るたび、谷全体が地震のように震えた。

岩石が雨のように降り注ぎ、その衝撃波だけでも、人間一人など簡単に叩き潰せるほどの威力だ。

もはや、私のことなど正確には見えていないのだろう。ただ、怒りに任せて、この空間にある全てを破壊し尽くそうとしていた。


私は岩壁に背を預けながら、深く息を吸おうとする。

だが、吸えない。折れた肋骨が肺に食い込むような激痛が走り、呼吸は浅く、全身が鉛のように重い。一歩動こうとするたび、骨の軋む音が、身体の内側から聞こえてくるようだった。

このままでは、次の一撃の余波で吹き飛ぶ。確実に、死ぬ。


それでも――死ねない。

まだ、私は死ぬわけにはいかない。だって私は、ミエルに、セラフィーナに、アークライトで出会ったみんなに、この旅の土産話をすると、約束したのだから。


私は目を閉じ、身体の内側、そのさらに奥にある魔力の流れへと、意識を沈めた。

治生きるための理を無視した、生命力の最後の暴走。

内臓が焼けるような、骨が軋むような激痛が一斉に走る。

それでも構わない。無理やり折れた骨を繋ぎ、傷ついた臓器に強制的に活力を与える。


「……動け……!」


震える手でセレネを握りしめ、壁を蹴る。

一歩、二歩。痛みで悲鳴を上げる身体を、意志の力だけで動かす。

足が、確かに地面を捉えた。


その時だった。

ドラゴンが天を仰ぎ、喉の奥に再び瘴気を溜め始める気配を見せた。だが、その狙いは私ではない。明後日の方向を向いている。

がら空きの喉元。そして、最初の爆発で鱗が剥がれた胸の中心――黄金色の心臓の鼓動が、マナの輝きとなって、わずかに透けて見えた。

あれが、この巨大な生命の核。


私は地面を蹴った。

もはや、優雅さも、計算もない。

ただ最短距離を、一直線に、最後の力を振り絞って駆ける。


竜は、気づかない。

私はその巨大な懐へと飛び込み、セレネの切っ先に、残された全ての想いと力を注ぎ込んだ。

黒い刃を包むのは、月明かりのような、淡く、そして優しい金色の輝き。


セレネの切っ先が、鱗の剥がれた胸の中心へと、深々と突き立った。

分厚い皮膚と、鋼のような筋肉を裂き、その奥の強靭な肋骨にぶつかって――止まる。

骨越しに、重々しい心臓の鼓動が、剣を通して私の手に伝わってきた。


竜の動きが、ぴたりと止まった。

ゆっくりと、残された黄金の片目が、私を見下ろす。

怒りも、憎しみも、そこにはもうなかった。

ただ、永い時を終えた者だけが持つ、深い寂しさと、静けさだけがあった。


竜は、かすかに息を吐いた。

私は反射的に身構えるが、放たれたのは瘴気ではなかった。

それは一粒の、黄金色に輝く、光の雫。

雫は、ふわりと私の額に触れ、温かい光となって全身に広がった。瞬間、私の意識は、膨大な記憶の奔流に引きずり込まれる。


――星々の巡り。世界の成り立ち。そして、この竜が、同族もいないこの谷で、ただ一匹、何百年もの間、孤独に生きてきた理由。

寂しさも、誇りも、後悔も、その全てが、痛いほど伝わってくる。


(……あなた、ずっと、独りだったんですね)


声にならない声が、心の奥で響いた。感謝か、別れか、それとも――ただのため息か。

もう、私には聞き取れなかった。


私が刃を引き抜くと、竜の巨体は、ゆっくりと地面に横たわる。

黒曜石の鱗が、足先からさらさらと光の粒となって崩れていき、後には三つのものが残された。

こぶしほどの大きさの竜の魔石。黄金の瞳が結晶化した宝玉。そして、虹色に輝く一枚の逆鱗。


私はそれらを、震える手で革袋に収め、その場に膝をついた。

無理やり活性化させた生命力が限界を迎え、全身が鉛のように重くなる。繋ぎとめていた骨も、内臓も、一斉に悲鳴を上げた。

勝った。けれど、もう一歩も動けない。

もしこのまま意識を失えば、瘴気に侵され、あるいは別の魔物に喰われるだけだろう。


(……ミエル……ごめんなさい……約束、守れそうに、ありません……)


故郷で待つ親友の顔が浮かぶ。

その瞬間、胸元に下げていた、リリちゃんが作ってくれた白い花の腕輪が、ふわりと、温かい光を放った。

優しい、陽だまりのような温もりが、私の全身を包み込み――私の意識は、安らかな闇へと、静かに沈んでいった。

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