大都市の冒険者ギルド
白み始めた空の光が「木漏れ日の宿」の窓をくぐり、私の瞼をそっとくすぐった。
ヴェリスの朝は、アークライトのそれとは違う。まだ静けさは残っているのに、どこか巨大な生き物の寝息のように、街の底の方で人々のざわめきが芽吹いている気配がする。
「……さて。行くとしますか」
軽く伸びをして身支度を整え、腰のベルトを締め直す。セレネの重みが、心地よく私を現実に引き戻した。
今日は、ヴェリスの冒険者ギルドに、正式な挨拶をしに行く日だ。
階下の食堂では、パンと温かいスープの簡素な朝食が待っていた。
「おや、お嬢さん。今日は早いんだね」
カウンター越しに、宿の主人が穏やかな笑みを浮かべる。
「ええ。少し、腕慣らしのできる仕事を探しに行こうと思いまして」
「ほう、ギルドにかい。なら、この大通りをまっすぐ行けば、嫌でも目に入るだろうさ。まあ、あんな大きな建物じゃ、迷いようもないがね」
「助かります」
主人はスープをすする私を見て、ふと真顔になる。
「忠告しとくが、ヴェリスのギルドは腕自慢の猛者が集まる場所だ。アークライトみてぇな田舎とは、ちと空気が違う。油断するんじゃないよ」
「……ご心配には及びません。必要とあらば、私も牙くらいは剥きますので」
私の物騒な返しに、主人は一瞬目を丸くし、それから「はっはっは」と楽しそうに笑った。
朝だというのに大通りはすでに人で溢れ、肩が触れ合うたびに微かな香水や香辛料の匂いが鼻をかすめる。
やがて視界の先に、それは現れた。
巨大な石造りの建物――アークライトのギルドが、まるで子供の小屋に見えるほどの威容。朝日に照らされた青銅の紋章が重厚に輝き、その出入り口からは、誰もが一癖も二癖もありそうな冒険者たちが、絶え間なく出入りしていた。
「……ふむ。あれがヴェリスのギルドですか。なるほど、面白いことになりそうですね」
胸の奥が、武者震いのように少しだけ高鳴る。深呼吸を一つして、私はその重厚な扉に手をかけた。
扉を押し開けた瞬間、アークライトとは比較にならない、重い空気とざわめきが押し寄せてきた。
天井から吊るされた魔光石が、床や冒険者たちの見慣れぬ意匠の鎧に、きらきらと反射している。
(……少しだけ、場違いでしょうか)
独りごちて、私は背筋を伸ばして歩いた。視線を向けてくる者は多いが、直接声をかけてくる無粋な者はいない。皆、自分の実力に相応の自信を持っているのだろう。
壁際の「新規・移籍登録」と書かれたカウンターに近づくと、眼鏡をかけた、いかにも仕事ができそうな女性職員が、書類から顔を上げた。
「はい、次の方。ご用件は?」
「アークライトからの移籍登録をお願いします」
鉄のプレートをカウンターに置くと、彼女はわずかに眉を動かした。
「……アイアンランク、ですか。アークライトからとは、ご苦労さまです。移籍金として、銀貨十枚が必要になります」
「ええ、お願いします」
私が銀貨を静かにカウンターへ滑らせると、彼女は手際よく手続きを進めていく。
「こちらがヴェリスで有効な新しいプレートと、ギルドの規則書です。この街のルールは、他の街より少々複雑ですので。必ず、隅々まで読んでください。命を落としたあとでは、遅いですから」
新しいプレートを受け取り、依頼掲示板へ向かおうとした、その時だった。
横から、ぬっと影が差す。三人の屈強な男が、にやにやとした笑みを浮かべて、私の前に立ちはだかった。胸には、私より一つ格上の、シルバーランクのプレートが輝いている。
「よう、そこのエルフのお嬢ちゃん。掲示板の場所、間違ってやしないかい?」
「そっちは、俺たちみてぇなシルバーランク以上が使う場所でね。アイアンのお嬢ちゃんが見るべきは……ほら、あっちの薄汚ねえ片隅の掲示板だぜ?」
「おっと、もし迷子だってんなら、俺たちが“やさーしく”案内してやらんでもないが?」
三人目が、わざとらしく私の肩を叩こうと、その汚れた手を伸ばしてくる。
私は、ゆっくりと、その手を見下ろした。
「……その手を、引っ込めた方がよろしいかと」
「はあ? なんだ、その生意気な口の利き方――ぐあっ!?」
私は、伸びてきた彼の手首を掴むと、力を利用して、流れるようにその腕を捻り上げた。
「軽口を叩くのは構いませんが、私に触れるのは別料金です。それに、あなた方の“やさしさ”は、少々、趣味が悪い」
「ぎゃあああっ! い、痛ぇ! 腕が! 折れる!」
床に叩きつけられた男がうずくまり、残り二人は青ざめた顔で固まっている。
私は、ゆっくりと二人を見回した。
「……どうします? 次は、お二人まとめて、お相手しましょうか?」
「い、いや……けっこうだ……俺たちは、これで……」
彼らが蜘蛛の子を散らすように道を開けると、周囲の冒険者たちから「おいおい、マジかよ」「あのシルバーの連中を、一瞬で……」と、驚嘆の囁きが広がった。
依頼掲示板の前に立つと、貼られた依頼を一枚ずつ目で追い、やがて一枚の羊皮紙を剥がす。
「オーク三体、廃坑にて討伐……報酬は銀貨二十枚。うん、悪くないですね」
カウンターに戻ると、先ほどの眼鏡の職員が、それを見て少しだけ目を見開いた。
「……オーク討伐? お一人で、ですか?」
「ええ、何か問題でも?」
「いえ……忠告しておきますが、森ゴブリンとは訳が違いますよ。知性も、力も、そして何より、あの棍棒の威力は。命を落としても、自己責任です」
「それは、依頼の注意書きにも丁寧に書かれていました。ご心配なく」
「……肝が、据わっていますね」
「生き延びるためにも、お金は必要ですから」
淡々と受理印が押され、依頼書が私の手元に戻る。
ギルドを出て、昼の光が石畳を眩しく照らす中、私は地図を片手に路地へと入った。活気のある市場や、子供たちの笑い声、怪しげな情報屋の呼び込み。その全てが、この街の生命力だ。
ふと、一軒の古書店が目に留まる。棚の一角に、見慣れた文字を見つけた。エルフ語で書かれた、古い詩集。
店主に聞くと、誰も読める者がおらず、ずっと売れ残っているらしい。銀貨三枚だというので、私はそれを買うことにした。
宿に戻り、ベッドに腰掛けて、買ってきたばかりの詩集を開く。
窓の外では、夕暮れの光が、ヴェリスの街の無数の屋根を、黄金色に染めていた。
故郷を思い出す、美しい詩の一節。その穏やかな時間と、これから向かう荒事とのギャップに、私は小さく笑みをこぼした。
「明日は、オーク狩り。……ええ、面白くなってきましたね」
強引な男はやっぱりモテません。




