南への道
アークライトの南門を抜け、ヴェリスへと続く街道を歩く。
森のあぜ道とは違い、石と土で固められた広い道は、陽光を跳ね返すように白く輝いていた。時折、賑やかな商人の馬車が陽気な挨拶と共に私を追い越し、逆からは巡礼者や、私と同じような冒険者たちがやって来る。
(……人の匂いが濃いですね。森では決して味わえない、この騒がしい空気。悪くありません)
孤独と警戒だけを抱えて歩いていた日々が嘘のようだ。人の営みがあるというだけで、どうしてこうも心が緩むのだろう。
数時間後、道の先で立ち往生している荷馬車を見つけた。
頑丈そうな車輪がぬかるみに嵌まり込んでおり、商人らしい男たちが五、六人がかりで「せーの!」と声を合わせているが、馬車はびくともしない。
「うーん、こりゃあ、荷物を全部下ろさねえとダメかもなぁ……」
「日が暮れちまうぜ!」
私はその一団に近づき、声をかけた。
「随分と大変そうですね。何か、お手伝いできることはありますか?」
私の声に、男たちは一斉に振り返り――そして、見事に固まった。まるで、面白い魔法にでもかかったかのようだ。
「……あのう、もし。聞こえていますか?」
私が手をひらひらと振ると、はっと我に返った初老の男が、慌てて頭を下げた。
「い、いや、これはご丁寧に……! だが、見ての通り、人手は足りてるんだが、力が足りなくてな。お嬢さんの、その白魚のような細腕じゃあ、ちと……」
「人間の見た目の基準で判断されても、困ってしまいますね。物は試し、と言いませんか?」
私はそう言うと、屈み込んで車軸の下にそっと手を入れた。指先に魔力を集め、最低限の強化を施す。外からは気づかれない程度の、ごく微量な力。
「……では、行きますよ。せーの、よいしょっと」
「いや、だからお嬢ちゃん、無理だっ――」
ミシリ、と木が軋む音と共に、山のような荷物を積んだ馬車が、ゆっくりと、しかし確実に持ち上がった。
商人たちは、開いた口が塞がらない、という顔で目を剥いている。
「さあ、今のうちにどうぞ。あまり長くは持ちませんよ。私の腕も、見かけ通りか弱いですから」
私がにっこり微笑むと、「あ、ああっ!」と我に返った商人たちが、慌てて車輪の下に石を詰め、ぬかるみから引きずり出した。
数分後、修理は完了。私が車体を静かに地面へ戻すと、初老の男が、まだ信じられないといった顔で私に問いかけた。
「……嬢ちゃん、あんた、一体何者なんだ……?」
私は腰の鉄プレートを指で弾いてみせる。
「アークライトの冒険者、リィアと申します。ご覧の通り、か弱い魔法使いですよ」
私のその言葉に、商人たちは顔を見合わせ、そして誰からともなく、どっと笑い出した。
「か弱い、ねぇ! はっはっは! こいつは傑作だ!」
立ち去ろうとした私の袖を、リーダー格のマーカスさんが慌てて掴んだ。
「いや待ってくれ! このご恩を返さずに行かせるわけにはいかねえ! あんたもヴェリスまで行くだろ? 護衛だなんて大層なことは言わねえが、せめてもの礼だ、街まで馬車に乗っていきな!」
馬車に乗れば移動は楽だし、商人たちから生きた情報も聞けるだろう。断る理由はなかった。
「……では、お言葉に甘えさせていただきます」
そう返すと、商人たちは「おお!」と嬉しそうに声を上げた。
「それにしても驚いたぜ、リィア殿。あんたみたいな綺麗な嬢ちゃんが冒険者で、しかもとんでもない怪力持ちとはな」
御者台の隣に腰掛けた私に、マーカスさんが感心しきった様子で話しかける。
「よく言われます。ですが、力はあくまで副産物のようなものです。私の本分は、もう少し知的な分野ですので」
「知的、ねぇ……。で、ヴェリスは初めてかい?」
「はい。大きな街だと聞いています。何か、おすすめの場所でも?」
「おすすめねぇ。まあ、あそこは金と情報が全てだ。それさえあれば、何でも手に入る。……だが、気をつけな。あんたみたいな綺麗な顔は、時に厄介事の種にもなる」
「心得ておきます。忠告、感謝します」
その夜、私たちは街道脇の広場で野営することになった。焚き火を囲み、商人たちは故郷の話や、旅先の笑い話に花を咲かせている。一人の旅では決して味わえない、温かい時間だった。
ふと、馬の一頭が脚を少し引きずっているのに気づく。
「少し、失礼しますね」
私がそっと脚に手を当てると、淡い治癒の光が滲み出し、馬は気持ちよさそうに鼻を鳴らした。
その光景を見ていたマーカスさんが、呆れたように、そして楽しそうに笑った。
「……怪力で、回復魔法まで使えるのかい。あんた、一体いくつの切り札を持ってるんだ?」
「さあ? 私も、まだ全部は把握しておりません」
三日目の昼過ぎ、馬車が見通しの悪い岩場に差しかかった、その時だった。
ヒュンッ!と、空気を裂く音が響き、先頭の馬が悲鳴を上げた。脚に、一本の矢が深々と突き刺さっている。
「敵襲だ! 囲まれてるぞ!」
道の両脇の岩陰から、薄汚れた男たちが十数人、ぞろぞろと姿を現した。
リーダー格の傷顔の男が、下卑た笑みを浮かべて前に出る。
「運が悪かったな、商人さんよ。積荷と金、それと……そこの極上のエルフのお嬢ちゃんも、置いていってもらおうか」
マーカスさんたちが震える手で剣を抜くが、相手の数と比べれば、勝負は見るまでもない。
私はやれやれ、と一つ息をつくと、優雅に御者台から飛び降り、野盗たちの前へと歩み出た。
「皆さん、こんにちは。少し、よろしいですか?」
私の場違いなほど穏やかな声に、野盗たちが一瞬、きょとんとする。
「あなた方が欲しいのは、お金と、それから少しばかりのスリルですよね? 残念ですが、私を相手にしてしまうと、そのどちらも手に入りませんよ。むしろ、高い治療費を払う羽目になります」
一瞬の沈黙の後、野盗たちは腹を抱えて大笑いした。
「何言ってやがる、このアマ!」
「殺すのが惜しいくらいの美人だが、頭がおかしいらしいぜ!」
一人が、だらしない笑みを浮かべ、私の肩に手を伸ばしてくる。
――その腕を、私はセレネの峰で、軽く、しかし正確に打ち据えた。
ゴキリ、と嫌な音がして、男が悲鳴を上げて地面を転がる。
笑い声が、ぴたりと止んだ。
「さて、と」
私は、ゆっくりとセレネを抜き放つ。私の身体から、淡い金色の光が、陽炎のように立ち上った。
「交渉は、決裂、ということでよろしいですね?」
それと同時に、私は地面を蹴った。
二人目の背後に回り込み、セレネの平で後頭部を打ち抜く。逃げようとする者の足を払い、向かってくる者の鳩尾に柄を叩き込む。
悲鳴と呻き声が岩場に響き渡るが、私の呼吸一つ乱れない。
最後に残った傷顔の男が、尻餅をつき、青ざめた顔で震えていた。
「ひっ……ば、化け物……!」
「どうします? まだ、続けますか? それとも、皆さん仲良く、治療費のお支払いということで手を打ちますか?」
「こ、降参だ! 助けてくれ!」
私は剣を鞘に収めると、縛り上げた野盗たちを、邪魔にならないよう岩陰にまとめて転がしておく。そして、セレネの刃についた砂を軽く払い、まだ呆然と立ち尽くすマーカスさんに向き直った。
「……さて、行きましょうか、マーカスさん。少し道が混んできましたが、もう大丈夫ですよ」




