農場主の感謝
「原因はこの土地の魔力の澱みでした」
私が静かに告げると、納屋の入口に立っていたメーヴィスさんは、ごくりと喉を鳴らした。
手にしていたランタンの灯りが、彼の深い皺を照らし出す。
「……私の魔法で流れを正常に戻しました。もう人魂は現れないでしょう」
あまりにも平然とした口調に、老人は目を瞬かせる。
納屋の奥では、つい先ほどまで騒いでいた牛たちが落ち着きを取り戻し、干し草を食む音が静かに響いていた。
メーヴィスさんはその様子をじっと確かめると、やがて何かを決心したように私に向き直った。
「……とにかく中に入れ。夜は冷える。あんたにはとんでもねえ恩ができた。スープの一杯くらい飲んでいけ」
そのぶっきらぼうな言葉の奥に、不器用な感謝の気持ちがはっきりと滲んでいた。
---
母屋のテーブル。
私の前には、湯気を立てる具沢山のスープが置かれていた。
肉も野菜もごろりと大きく切られており、滋養たっぷりな匂いが鼻をくすぐる。
一口飲むと、野菜の甘みと骨付き肉の旨みが口いっぱいに広がった。
「……すまんかったなお嬢ちゃん。いや、リィア殿」
昼間の険しい表情はどこへやら、メーヴィスさんは素直な声で言った。
「わしはあんたを、ただの遊び半分の冒険者だと思い込んでいた。とんでもねえ勘違いだった」
彼は深く、深く頭を下げた。
皺の刻まれた背中が、小さく見える。
「いえ、お気になさらず。仕事ですから」
私がそう返すと、老人は照れ隠しのように咳払いをし、腕を組んで唸った。
「それにしても……魔力の澱みか。そんなことがあるんだな……」
---
スープを飲み終えた私に、メーヴィスさんはずしりと重い革袋を差し出した。
中からは銀貨の冷たい音がする。
「これが約束の報酬だ。銀貨二十五枚、確かに受け取ってくれ」
(これが、私の二つ目の仕事の報酬……)
私は頷き、袋を受け取る。
すると彼はもう一つ、小さな布袋を取り出した。
「そしてこれがわしからの個人的な礼だ。どうか受け取ってほしい」
中には、乾燥された十粒ほどの奇妙な種が入っていた。
形は小さいが、ほんのりと温もりを帯びているようにも感じられる。
「これはうちの一族にしか伝わっていない『太陽の実』の種だ。どんな痩せた土地でも育つ不思議な作物でな、栄養価も高い。旅の食料の足しにでもしてくれ……わしにできる礼はこれくらいしかねえんだ」
金品以上に、心のこもった贈り物だった。
私はその温かい気持ちを、静かに両手で受け取った。
「……ありがとうございます。大切にします」
メーヴィスさんはどこか照れくさそうに、わざとそっぽを向いた。
「……もう夜も遅い。こんな時間に女一人で夜道を帰すわけにもいかねえ。今夜はうちに泊まっていきな。客室くらいはある」
相変わらずぶっきらぼうな言い方だが、その奥にある心遣いは隠しきれていなかった。
昼間の頑固さを知っているだけに、その優しさが余計に沁みる。
「……お言葉に甘えさせていただきます。ありがとうございます」
私が素直に頭を下げると、メーヴィスさんは「ふん」と鼻を鳴らし、立ち上がった。
---
案内された客室は、質素ながら清潔だった。
壁は厚い木材で作られており、窓には厚手のカーテンが掛けられている。
手作りの木製ベッドには、色とりどりの端切れを縫い合わせたパッチワークの毛布。
どれも手入れが行き届いていて、ほんのり干草の匂いがする。
「水はそこの桶に入ってる。足りなきゃ裏の井戸を使え」
そう言って扉を閉めると、老人の足音は遠ざかっていった。
私は毛布に触れ、指先でその柔らかな感触を確かめる。
外の草原を渡る風が、カーテン越しにやさしく部屋を撫でていく。
私はそのままベッドに横たわり、穏やかな眠りに落ちた。
---
翌朝。
窓の外では鳥たちの囀りが賑やかに響き、朝日が部屋を満たしていた。
廊下から漂ってくる香ばしい匂いに誘われ、母屋へ向かう。
台所ではメーヴィスさんが大きな鍋を前にして、黒パンを切り分けていた。
「おう、起きたか。ちょうど朝飯ができたところだ」
テーブルには、焼きたての黒パン、新鮮な牛乳、畑で採れた野菜のスープが並んでいる。
どれも素朴だが、力強い味がした。
「わしはこれから街へ野菜を売りに行くところだ。お嬢ちゃんも一緒に乗っていくかい?」
「お願いします」
---
荷馬車に乗り込み、私は荷台に腰を下ろす。
朝露に濡れた草原を、馬がゆっくりと進む。
陽光を浴びて一面の緑がきらめき、遠くで小川のせせらぎが聞こえる。
メーヴィスさんは手綱を操りながら、道中この辺りの土地のことや作物の育て方、時折現れる魔物の話をしてくれた。
「今年は風が乾いてるから、収穫は少し減るかもしれんな。だが太陽の実はそういう年こそ甘くなるんだ」
その語り口は、昨日の険しい声色とは違い、どこか誇らしげだった。
やがて街の西門が見えてくる。
門の前で馬車を止めると、メーヴィスさんは荷台から振り返った。
「またいつでも寄ってくれ。新鮮な野菜を食わせてやる」
その笑顔は、初めて会った時の偏屈そうな顔とは別人のように穏やかだった。
メーヴィスさんと別れた後、私はまっすぐ冒険者ギルドへ向かった。
昼前のギルドは、朝とはまた違う熱気と喧騒に包まれている。
依頼書の掲示板を睨む者、戦果を自慢しあう者、酒を片手に笑い合う者。
その人波を縫うように歩き、私は受付カウンターへと進んだ。
カウンターの向こうでは、サラさんが別の冒険者と書類をやり取りしていた。
順番を待って前に出ると、彼女は私に気づき、少し意外そうに眉を上げる。
「……あれ、リィアじゃないか。あの頑固爺さんに追い返されたか? 気にすることはないさ。あそこの依頼は大抵そうなるんだから」
どうやら彼女は、私が失敗して戻ってきたと思っているらしい。
私は小さく首を横に振った。
「ふふ……ご心配なく。ちゃんと終わらせてきましたよ。ほら、これが報告書です」
軽く笑みを添えて、羊皮紙を差し出す。
内容は簡潔――原因は魔力の澱み、それを浄化して解決したこと。
サラさんは半信半疑のまま読み進めるが、数行も経たないうちに眉間に皺が寄る。
からかうような笑みは消え、代わりに驚きの色が浮かんだ。
「……は? 魔力の澱み? あんた、これを一人で解決したって……討伐でもなく?」
「ええ。魔物じゃなかったので、剣の出番はありませんでした。……残念ですけどね」
冗談めかして肩をすくめると、サラさんは一瞬呆けたあと、何か面白いものを見つけたように口元を吊り上げた。
「……あんた、本当に何者なんだい……」
「ただの通りすがりの魔法使いですよ」
低く笑って返すと、サラさんは報告書に「依頼達成」の印をパシンと押した。
「よし、依頼完了だ。報酬は受け取ったんだね?」
「はい。きちんと。――あ、野菜ももらいましたけど、それは報酬に入らないですよね?」
軽口を叩くと、サラさんは小さく吹き出して首を振った。
「なら記録を更新するよ……っと。まったく、あんた面白いね。ただの魔法使いじゃないでしょ?」
「それは……ご想像にお任せします」
私は微笑みながら鉄のプレートを受け取った。
---
カウンターを離れると、周囲から小さな囁きが聞こえてくる。
「おい聞いたか? あのエルフ、メーヴィスんとこの幽霊を祓ったらしいぞ」
「祓った? 討伐じゃなくてか?」
「土地の呪いだかマナだかを浄化したって話だ。聖女様みたいな魔法を使ったらしい」
「いや、あいつ攻撃魔法もやべえんだぞ。ゴブリンの時の話、知らねえのか?」
囁きが波紋のように広がり、私の知らぬところで形を成していく。
それが妙にくすぐったく、私は小さく息を漏らした。
---
宿屋に戻り、テーブルの上に今回の依頼で得たものを並べる。
銀貨二十五枚、太陽の実の種、更新された鉄の冒険者プレート。
そのひとつひとつが、この世界での私の居場所を確かにしてくれる。
腰のポーチから、遺跡で手に入れたロックリザードの魔石を取り出す。
昼の光の下では、その内部に土の魔力が複雑な紋様を描くのがはっきり見えた。
(……この魔石。月鋼の剣に組み込めたら、きっと――)
思考の先に、もう次の行き先が見えていた。
(……そうだ、鍛冶師を探そう)
腕の立つ職人なら、この街にきっといる。
魔石も剣も、そして私自身も――もっと先へ進ませてくれるはずだ。
この世界の通貨には 銅貨・銀貨・金貨・大金貨・白金貨 の四種類があります。
一般階級の三人家族なら金貨30枚あれば一年間不自由なく暮らせます。
銀貨100枚が金貨1枚になり、金貨100枚が大金貨1枚。
大金貨が10枚で白金貨です。といっても市場に出回るのは金貨くらいで、白金貨にいたっては貴族、王族御用達の貨幣となっています。




