表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/106

幽霊のいる農場

 鬱蒼とした東の森とは正反対――どこまでも続く、緩やかな草原。

 一本の街道がその中央を真っすぐ貫き、遠くの地平線に溶けている。


 乾いた風が頬を撫で、銀糸のような私の髪をゆるやかに揺らした。陽光が反射し、細い一筋一筋が白金に輝く。


(……悪くない景色ですね)


 これだけの広さと明るさは、それだけで胸の奥の息苦しさを吹き飛ばしてくれる。


 しばらく歩くと、カインさんが言っていた川が見えてきた。

 ゆるやかに蛇行するウィンドル川。その上に、古びた石橋が一本かかっている。

 苔とひび割れが目立つが、まだしっかりと街道を支えているようだった。


 橋を渡り、さらに半日。

 街道から少し脇にそれた先に、目的の農場が姿を現した。


 粗く積まれた石の低い塀、年季の入った木造の母屋、それよりもはるかに大きな納屋。周囲には牧草地と畑が広がっている。

 

 この穏やかな場所に、幽霊などというものが本当に出るのだろうか。


 入り口付近では、一人の老人が鍬を片手に畑を耕していた。

 日に焼けた頑固そうな顔。背はやや曲がっているが、腕は丸太のように太く、動きには迷いがない。

 おそらく、依頼主のメーヴィスさんだ。


 声を掛けようと近づくと、老人の方が先にこちらを見た。

 皺だらけの顔が険しくなる。


「……ちっ。またギルドの使いか。今度はずいぶんと、ひょろっとしたのが来たもんだな」


 しゃがれた声が、土をこすり合わせるように耳に響く。


「こんにちは。冒険者ギルドから依頼を受けて参りました、リィアと申します」


 一礼すると、彼は鍬を肩に担ぎ、値踏みするような視線を向けてきた。

 その視線を、私はただ静かに受け止める。


「ふん……エルフのお嬢ちゃんが一人か。幽霊退治なんぞ、そんなに楽しそうに見えるかね? 帰った帰った。ここは遊び場じゃない」


「仕事で来ています。依頼の詳細をお聞かせいただけますか」


 わざと淡々と答えると、老人は眉をひそめ、わずかに口ごもった。


「……まあいい。ついて来な。話ぐらいは聞かせてやる」


メーヴィスさんは私を母屋へと案内してくれた。

中は彼の人柄を映すように、無駄のない実用的な空間だった。

古びた木のテーブルは隅々まで磨かれ、壁には使い込まれた農具が整然と掛けられている。


「そこに座んな」


 促され、私は背筋を正したまま椅子に腰掛ける。

 老人は対面に腰を下ろし、肘をついてこちらを見た。


「依頼書に書いた通りだ。一週間前から、夜になると納屋の周りに青白い人魂が出る。……二つの月が空の真上に来る頃だな」


 彼の視線は私から外れず、言葉の端々にはまだ警戒が残っていた。


「数は?」

「五つか六つ……ふらふら浮かんでは、消える。それだけだ」


 私は少し首を傾げた。

「光は何かに触れますか? 納屋の壁や、地面などに」


 彼は短く息を吐き、わずかに目を細めた。

「……いや、触れやしねぇ。ただ浮くだけだ。だがな……あれが出ると、牛が怯えて乳も出なくなる。鶏も卵を産まん。生活が持たねぇ」


 その口調に、怒りよりも切実さが滲む。

 先日、別の冒険者が調査に来たが――一晩で「幽霊だ!」と叫び、逃げ帰ったらしい。


「私は幽霊なんぞ信じとらん。あれは魔物か、誰かの悪戯だ。原因を突き止めて追い払ってくれりゃそれでいい。できるか、お嬢ちゃん」


「できます。まずは現場を見せてください」


 私の返答に、彼は鼻を鳴らし、ゆっくりと腰を上げた。




 彼に案内され、母屋の裏手にある巨大な納屋へと向かう。

 扉を開けると、干し草と家畜の匂いがした。

 中は昼間だというのに薄暗く、牛たちが私を見て、不安そうにモーと鳴く。


「こいつらが飯の種だ。見ての通り少し神経質になっとる」

 メーヴィスさんは納屋の中央を指差す。

「人魂はいつもこの辺りに現れる。ふらふらと天井の梁まで昇って、やがて消えるんだ」


 私はその場で静かに目を閉じ、周囲のマナの流れに意識を集中させる。

(……魔力の残滓がある。でもとても薄い。魔物でも、人間の魔法の痕跡でもない……これは)


「……どうした、お嬢ちゃん。何か分かったか」

「いいえ。まだ何も」


 私は目を開き、淡々と告げる。


「夜になってみなければ判断できません。今夜はここで見張らせていただきます」

「……好きにしな」


 吐き捨てるように言うと、メーヴィスさんは納屋から出て行った。


 私は二階の干し草置き場へと登る。梁の間から納屋全体を見渡せる、悪くない位置だ。

 干し草の上に腰を下ろすと、窓から差し込む西日がゆっくりと色を変えていくのを見つめた。


 黄金色は橙へ、やがて茜色に染まり、牧草地の影が長く伸びる。

 遠くで羊飼いの少年が犬を連れて帰っていく。牛たちの息遣いはまだ落ち着かないが、先ほどよりは幾分か静かだ。


(幽霊か、それとも……)

 魔物なら痕跡が残る。人間なら仕掛けがある。

 どちらも見つからない。可能性は限られてくる。


 ゆっくりと日が沈み、外は群青の闇に包まれた。

 納屋の中もまた、光を失っていく。

 完全な暗闇の中、時折、雲間から二つの月の光が梁の間をすり抜け、干し草を青白く照らした。

 牛たちの鼻息と、外を抜ける風の音だけが静かに耳を撫でる。


 ――そして、その時は訪れた。


 何もない空間に、ぽつりと青白い光が灯る。

 一つ、また一つ。最終的に六つの人魂が納屋の中をふらふらと漂い始めた。

 音も匂いもない。ただそこにいるだけ。それだけなのに、牛たちは一斉に暴れ出す。


(……来た)

 私は冷静に観察を続ける。メーヴィスさんの言った通り、光は壁や床に触れず、ただ漂うだけ。

 しかし、よく見ると鉄製の農具を避けるように動いていた。


(鉄を避けている……? このマナ、生き物の気配が全くない。)

 

(魔力の澱み。この土地のマナが何らかの理由で滞り、自然発生した魔力の塊……)


 おそらくこの納屋は古い遺跡か何かの上に建てられている。地中に眠る魔力が月光に反応し、形を取って現れているのだろう。

 家畜たちが怯えるのも、この異質なマナを肌で感じ取っているからだ。


 原因が分かれば対処は簡単だ。


 私は干し草の上から静かに立ち上がり、胸の前に両手をかざした。


 白の魔力――生命を癒やし、活性化させる力。

 金の魔力――物質を安定させ、本来あるべき姿に導く力。

 二つをゆっくりと練り上げ、白金の光を手のひらに生み出す。


 私はその光を納屋全体へと解き放った。

 光の波紋が広がり、乱れたものを整え、澱んだものを流す。

 青白い光は、触れた途端、静かに空気へ溶けていった。


 数秒後――納屋は静寂に包まれた。牛たちの呼吸は穏やかで、異質な気配は跡形もない。


 ぎい、と扉が開く音。

 ランタンを手にしたメーヴィスさんが立っていた。おそらく光に気づいたのだろう。

 静まり返った納屋と、光の残滓を纏う私を見比べ、彼は言葉を失ったように口を開けたまま立ち尽くす。


 私は干し草の山から音もなく降り立ち、静かに告げる。

「原因はこの土地の魔力の澱みでした。もう大丈夫でしょう」


 メーヴィスさんは何も言わず、ただ私を、本物の妖精でも見るかのような眼差しで見つめていた。

面白いな~、と思ったら作品へ評価をもらえるとうれしいです

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
>アークライトの西門を抜けた途端、視界が一気に開けた。 〜  苔とひび割れが目立つが、まだしっかりと街道を支えているようだった。 前の30話時点で既に川に着き橋の上まで到着して居ましたが、間が開いて…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ