幽霊のいる農場
鬱蒼とした東の森とは正反対――どこまでも続く、緩やかな草原。
一本の街道がその中央を真っすぐ貫き、遠くの地平線に溶けている。
乾いた風が頬を撫で、銀糸のような私の髪をゆるやかに揺らした。陽光が反射し、細い一筋一筋が白金に輝く。
(……悪くない景色ですね)
これだけの広さと明るさは、それだけで胸の奥の息苦しさを吹き飛ばしてくれる。
しばらく歩くと、カインさんが言っていた川が見えてきた。
ゆるやかに蛇行するウィンドル川。その上に、古びた石橋が一本かかっている。
苔とひび割れが目立つが、まだしっかりと街道を支えているようだった。
橋を渡り、さらに半日。
街道から少し脇にそれた先に、目的の農場が姿を現した。
粗く積まれた石の低い塀、年季の入った木造の母屋、それよりもはるかに大きな納屋。周囲には牧草地と畑が広がっている。
この穏やかな場所に、幽霊などというものが本当に出るのだろうか。
入り口付近では、一人の老人が鍬を片手に畑を耕していた。
日に焼けた頑固そうな顔。背はやや曲がっているが、腕は丸太のように太く、動きには迷いがない。
おそらく、依頼主のメーヴィスさんだ。
声を掛けようと近づくと、老人の方が先にこちらを見た。
皺だらけの顔が険しくなる。
「……ちっ。またギルドの使いか。今度はずいぶんと、ひょろっとしたのが来たもんだな」
しゃがれた声が、土をこすり合わせるように耳に響く。
「こんにちは。冒険者ギルドから依頼を受けて参りました、リィアと申します」
一礼すると、彼は鍬を肩に担ぎ、値踏みするような視線を向けてきた。
その視線を、私はただ静かに受け止める。
「ふん……エルフのお嬢ちゃんが一人か。幽霊退治なんぞ、そんなに楽しそうに見えるかね? 帰った帰った。ここは遊び場じゃない」
「仕事で来ています。依頼の詳細をお聞かせいただけますか」
わざと淡々と答えると、老人は眉をひそめ、わずかに口ごもった。
「……まあいい。ついて来な。話ぐらいは聞かせてやる」
メーヴィスさんは私を母屋へと案内してくれた。
中は彼の人柄を映すように、無駄のない実用的な空間だった。
古びた木のテーブルは隅々まで磨かれ、壁には使い込まれた農具が整然と掛けられている。
「そこに座んな」
促され、私は背筋を正したまま椅子に腰掛ける。
老人は対面に腰を下ろし、肘をついてこちらを見た。
「依頼書に書いた通りだ。一週間前から、夜になると納屋の周りに青白い人魂が出る。……二つの月が空の真上に来る頃だな」
彼の視線は私から外れず、言葉の端々にはまだ警戒が残っていた。
「数は?」
「五つか六つ……ふらふら浮かんでは、消える。それだけだ」
私は少し首を傾げた。
「光は何かに触れますか? 納屋の壁や、地面などに」
彼は短く息を吐き、わずかに目を細めた。
「……いや、触れやしねぇ。ただ浮くだけだ。だがな……あれが出ると、牛が怯えて乳も出なくなる。鶏も卵を産まん。生活が持たねぇ」
その口調に、怒りよりも切実さが滲む。
先日、別の冒険者が調査に来たが――一晩で「幽霊だ!」と叫び、逃げ帰ったらしい。
「私は幽霊なんぞ信じとらん。あれは魔物か、誰かの悪戯だ。原因を突き止めて追い払ってくれりゃそれでいい。できるか、お嬢ちゃん」
「できます。まずは現場を見せてください」
私の返答に、彼は鼻を鳴らし、ゆっくりと腰を上げた。
彼に案内され、母屋の裏手にある巨大な納屋へと向かう。
扉を開けると、干し草と家畜の匂いがした。
中は昼間だというのに薄暗く、牛たちが私を見て、不安そうにモーと鳴く。
「こいつらが飯の種だ。見ての通り少し神経質になっとる」
メーヴィスさんは納屋の中央を指差す。
「人魂はいつもこの辺りに現れる。ふらふらと天井の梁まで昇って、やがて消えるんだ」
私はその場で静かに目を閉じ、周囲のマナの流れに意識を集中させる。
(……魔力の残滓がある。でもとても薄い。魔物でも、人間の魔法の痕跡でもない……これは)
「……どうした、お嬢ちゃん。何か分かったか」
「いいえ。まだ何も」
私は目を開き、淡々と告げる。
「夜になってみなければ判断できません。今夜はここで見張らせていただきます」
「……好きにしな」
吐き捨てるように言うと、メーヴィスさんは納屋から出て行った。
私は二階の干し草置き場へと登る。梁の間から納屋全体を見渡せる、悪くない位置だ。
干し草の上に腰を下ろすと、窓から差し込む西日がゆっくりと色を変えていくのを見つめた。
黄金色は橙へ、やがて茜色に染まり、牧草地の影が長く伸びる。
遠くで羊飼いの少年が犬を連れて帰っていく。牛たちの息遣いはまだ落ち着かないが、先ほどよりは幾分か静かだ。
(幽霊か、それとも……)
魔物なら痕跡が残る。人間なら仕掛けがある。
どちらも見つからない。可能性は限られてくる。
ゆっくりと日が沈み、外は群青の闇に包まれた。
納屋の中もまた、光を失っていく。
完全な暗闇の中、時折、雲間から二つの月の光が梁の間をすり抜け、干し草を青白く照らした。
牛たちの鼻息と、外を抜ける風の音だけが静かに耳を撫でる。
――そして、その時は訪れた。
何もない空間に、ぽつりと青白い光が灯る。
一つ、また一つ。最終的に六つの人魂が納屋の中をふらふらと漂い始めた。
音も匂いもない。ただそこにいるだけ。それだけなのに、牛たちは一斉に暴れ出す。
(……来た)
私は冷静に観察を続ける。メーヴィスさんの言った通り、光は壁や床に触れず、ただ漂うだけ。
しかし、よく見ると鉄製の農具を避けるように動いていた。
(鉄を避けている……? このマナ、生き物の気配が全くない。)
(魔力の澱み。この土地のマナが何らかの理由で滞り、自然発生した魔力の塊……)
おそらくこの納屋は古い遺跡か何かの上に建てられている。地中に眠る魔力が月光に反応し、形を取って現れているのだろう。
家畜たちが怯えるのも、この異質なマナを肌で感じ取っているからだ。
原因が分かれば対処は簡単だ。
私は干し草の上から静かに立ち上がり、胸の前に両手をかざした。
白の魔力――生命を癒やし、活性化させる力。
金の魔力――物質を安定させ、本来あるべき姿に導く力。
二つをゆっくりと練り上げ、白金の光を手のひらに生み出す。
私はその光を納屋全体へと解き放った。
光の波紋が広がり、乱れたものを整え、澱んだものを流す。
青白い光は、触れた途端、静かに空気へ溶けていった。
数秒後――納屋は静寂に包まれた。牛たちの呼吸は穏やかで、異質な気配は跡形もない。
ぎい、と扉が開く音。
ランタンを手にしたメーヴィスさんが立っていた。おそらく光に気づいたのだろう。
静まり返った納屋と、光の残滓を纏う私を見比べ、彼は言葉を失ったように口を開けたまま立ち尽くす。
私は干し草の山から音もなく降り立ち、静かに告げる。
「原因はこの土地の魔力の澱みでした。もう大丈夫でしょう」
メーヴィスさんは何も言わず、ただ私を、本物の妖精でも見るかのような眼差しで見つめていた。
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