アイアンランク
活動報告という機能を使ってみました。
ぜひ読んでいただけたら、と思います……!
薬屋の一室で目を覚ました、あの濃密すぎる一日から二日が過ぎた。
今の私は「風見鶏の宿」の自室で、柔らかな朝の光に包まれている。
窓をすり抜けた風が、わずかに干し草と朝露の匂いを運んできた。
あの日、身体を軋ませた強化魔法の反動はもう残っていない。
セトさんが用意してくれた滋養のスープと、二晩分の眠りが、肉体の奥に溜まっていた鈍い疲労を根こそぎさらっていったのだろう。
(……アイアンランク)
机の上で、朝日を浴びて鈍く輝く鉄のプレートに指先を滑らせる。
かつての石製にはあったざらつきが、そこにはない。冷たく、なめらかで、しかもわずかに重い。
ひとつ依頼を終えただけ――それでも、もう私はこの街で「ひとりの冒険者」として名を持ったのだ。
嬉しい、というほど軽くもない。けれど、胸の奥がほんのりと温かい。
不思議と、くすぐったい感覚が残る。
身支度を整えて階段を降りると、食堂にはパンを焼く香ばしい匂いが広がっていた。
「おっ、リィアちゃん! おはよう。今日は雲ひとつない青空だよ」
カウンターの向こうから、女将が快活に笑いかけてくる。
私が宿へ戻ってきて以来、その声音はほんの少し柔らかくなった気がした。
初対面のころに漂っていた物珍しさは薄れ、かわりに親しみの色が混じっている。
「おはようございます。朝食をお願いできますか」
「もちろん。今ちょうど焼き上がったところさ。今日はスープも野菜多めだよ」
「ふふ、それは助かります。肉ばかりだと、どうも……」
「贅沢言わないの。冒険者なんて肉食べてなんぼだろ?」
「……そういうものですか?」
「そういうものだよ」
そんな軽口を交わしながら、窓際の席に座る。
間もなく、黒パンと湯気を立てるスープが運ばれてきた。
エルフの国の繊細な料理とはまるで違う。
雑味はあるが、腹に落とせば不思議と力が湧く――そういう味だ。今の私にはそれが良い。
「どうだい、こっちの味は慣れてきたかい?」
「ええ。……少し塩が強いのは相変わらずですけれど」
「ははっ、森の連中は薄味なんだろ? まぁこっちじゃ汗かいて働く人間が多いから、自然とこうなるのさ」
女将の笑いに、こちらも口元がわずかに緩む。
食事を終えると、腰のポーチを軽く確かめてから外へ出る。
そしてすぐに気づく。
街の空気が、昨日までとは違う。
すれ違う人々が、視線を私に引き寄せ、何事か囁き合う。
以前の、珍しい旅人を見るような好奇心ではない。
そこには驚き、畏れ、そして少しばかりの嫉妬が混ざっていた。
「おい、あの娘だ」「噂の新人か……」「月雫草を一晩で……」
「東の森のゴブリンの巣を潰したって話もあるぞ」
(……尾ひれが生えているな)
噂は肥大化するものだ。私は何も答えず、足を止めない。
辿り着いたのは冒険者ギルド――今の私の仕事場だ。
扉を開けた瞬間、室内の喧噪が一瞬だけ凍りつく。
次いで、視線が雪崩れ込んできた。昨日までは無視されていた私を、今は「測ろう」としている。
私は視線の海を抜け、まっすぐカウンターへと歩いた。
頬杖をついていたサラが、私の姿を見つけるとにやりと口角を上げる。
「よう、アイアンランク様のお成りだ。……一夜にしてすっかり有名人じゃないか」
「有名かどうかは分かりませんが、噂というものは放っておけば勝手に育ちます」
私の返しに、サラの瞳がわずかに細くなる。品定めするような光が宿った。
「ふん……まあいいさ。今日は何の用だい? まさか握手会でもやるつもりじゃないだろうね」
「それは他の誰かにお譲りします。アイアンランクの依頼を見せてください」
淡々と答えると、サラは大げさに肩をすくめてみせた。
「相変わらず可愛げのない子だねぇ……でも嫌いじゃないよ。アイアンの依頼はあっちの鉄色の掲示板だ。ストーンの頃のより、危険も幅もぐっと増える。覚悟しな」
掲示板の前に立つ。貼られた羊皮紙は討伐、護衛、調査……種類も数も桁違いだ。
その中に、少し変わった一枚があった。
『依頼内容:メーヴィス農場の幽霊騒ぎ調査 報酬:銀貨二十五枚』
『詳細:夜ごと納屋付近で青白い人魂が目撃され、家畜が怯え、乳を出さなくなった牛もいる。実害はないが原因を調査し、解決してほしい』
「幽霊退治、ですか……」
依頼書を手に戻ると、サラは目を細めた。
「へぇ……魔法剣士ならもっと稼げる討伐依頼もあるだろうに。珍しい選び方だね」
「派手な戦いより、原因を探る方が性に合います。それに、幽霊は幽霊で――正体を暴く楽しみがありますから」
私が軽く笑うと、サラも口元を緩める。
「依頼主は街の西にある農場の爺さんだ。かなりの偏屈で有名だが、話は通じる。報酬は直接受け取りだ。……ギルドへの報告も忘れるんじゃないよ」
受付印が押され、依頼書が私の手元に戻る。
位置を確かめようと、私は壁に掛けられたこの一帯の地図へ向かった。
アークライトから西へ――ウィンドル川を越えた丘陵地帯、その先に農場が記されている。
川沿いには風よけの柳が群生し、渡し舟か浅瀬の橋を使うのが唯一の道だ。半日あれば着く距離。
「……なるほど」
指で地図をなぞっていると、背後から声が飛んだ。
「あんたがリィアさんだろ? 月雫草の! いやぁ、あれはすげぇって話だ!」
振り返ると、私と同じ鉄のプレートを下げた少年剣士が立っていた。年は同じくらい。
「……初対面でそこまで褒められると、どう反応すべきか迷いますね」
軽く会釈すると、彼は照れ笑いしつつ名乗った。
「俺はカイン! あの依頼を一晩で終わらせて、ついでにゴブリンも片付けたって……本当なのか?」
「事実も混じっていますが、噂は勝手に脚色されますから」
「ははっ、謙遜まで絵になるな。で? その依頼は……幽霊退治か」
「正確には調査です。……幽霊なら幽霊で、会ってみる価値はあります」
私がそう返すと、カインは肩を竦めた。
「気をつけろよ。あのメーヴィス爺さん、相当な変わり者だ。俺も考えたけど……幽霊なんざ御免だな」
「変わり者には慣れてます。自分もよくそう呼ばれますし」
わざとらしく肩を竦めて返すと、彼は苦笑した。
「農場まではこのウィンドル川を西へ半日。街道沿いを行けば迷わないはずだ。けど川沿いの林は夜になると冷えるから、日暮れまでには抜けた方がいい」
「助かります。では、あなたが“御免”と言う幽霊の正体を確かめてきますね」
依頼書をしまい、私はカウンターへ一礼してから西門へ向かった。
ギルドを出ると、西門へ向かう石畳の街路に昼の陽光が降り注いでいた。
門番たちは私を見ると、ひそひそと何かを言い合いながらも軽く手を挙げて通してくれる。以前はただ珍しいエルフを見る目だったが、今は少しばかりの敬意が混じっているのが分かる。
門を抜けると、視界いっぱいに草原が広がった。
東の森とは違い、遮る木々はなく、遠くまで見渡せる。夏草が風に揺れ、陽の光を反射してきらきらと輝く。
街道は西へ真っすぐ伸び、その先にはゆるやかな丘陵と、鏡のように陽光を反射する川の筋が見えた。ウィンドル川だ。
川沿いには柳の並木が続き、その葉が風に揺れてさらさらと音を立てている。
川を越えるには、南側にある渡し舟か、北側の古い石橋を使うらしい。
カインの忠告通り、川沿いは日暮れになると気温が急に下がるだろう。あの調子なら、本当に何度も通って得た経験談なのだろう。
(……さて、幽霊退治)
その正体が魔物なら、討伐になる。
本当に霊的なものなら――対処の知識は持っているが、試す機会はほとんどなかった。
未知への警戒と同時に、興味も抑えきれない。私にとってこの依頼は、剣を振るうだけの戦いよりもよほど楽しみだった。
街道を進むうち、遠くから牛の鳴き声が風に乗って届いた。
道端には農夫らしき男たちが荷車を引き、私を見て驚いたように帽子を持ち上げる。エルフというだけで目を引く上、噂がすでに農村部まで広がっているのかもしれない。
「……おや、エルフの嬢ちゃんか。メーヴィスんとこへ?」
荷車を止めた初老の農夫が声をかけてきた。
「はい。幽霊騒ぎの調査を頼まれています」
「ほぉ……助かる。あの爺さん、気は強いが悪い人じゃねぇ。ただ、あれが出るってなってからは、ずっと気を張っててな」
農夫はそう言って、川沿いの柳の並木を指差した。
「川を渡ったら丘の上に納屋が見える。それがメーヴィスんとこだ。日が傾く前に着くといい」
「ご親切に、ありがとうございます」
軽く頭を下げて再び歩き出す。
やがて川の流れが間近に迫ってきた。
水面は澄み切っており、川底の小石まで見える。浅瀬を選べば渡れそうだが、流れは意外に速い。
私は北側の石橋を目指すことにした。橋は苔むし、ところどころ石の角が丸く削れている。長い年月、季節ごとの洪水や雪解け水に耐えてきた証だ。
橋の真ん中で足を止め、川面を覗き込む。
陽の光を浴びた水が揺れ、きらめきが頬を照らす。ここを越えれば、もう農場の領域だ。
(……幽霊。さて、どんな顔を見せてくれるのか)
そんな独り言を胸の奥で呟き、私は再び足を進めた。
次回、S3をはさみます。
勇者たちがしばらく登場していなかったので……




