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最初の街

ロックリザードとの一件から、さらに数日。

私の旅は、ひとつの転機を迎えていた。最初の頃にあった未知への期待や緊張は、今では実践によって裏打ちされた、旅人らしい落ち着きへと変わっている。まあ、落ち着きとは言っても、見たこともない光るキノコを見つけてはしゃいだり、木の実をかじって渋い顔をしたりと、毎日が大発見の連続なのだけれど。


森の景色も、少しずつ変わってきた。

故郷の周りに広がっていた天を突くような巨木の森は姿を消し、陽光が地面まで届く、開けた広葉樹の森が続いている。鳥の声も、漂う獣の気配も、以前とは違う種類のものになってきた。


(……そろそろ、森の出口が近いかもしれませんね。エレーナさんの地図とも一致します)


野営の準備は、すっかり板についた。

日が沈む前に安全な場所を見つけ、手際よく火を起こし食事を整える。夜は、あの戦い以来すっかり私の相棒となった月鋼の剣を傍らに、警報結界の中で浅く眠る――そんな日々の繰り返し。

時々、お風呂に入りたくなったり、母の焼いてくれたパンが恋しくなったりもするけれど、不思議と苦にはならなかった。自分の力だけでこの世界を歩き、生きている――その実感が、静かな充足感として私の胸を満たしていた。


その日の午後。

道の先から、複数の人の気配が近づいてくるのを察知し、私は咄嗟に近くの大木の影へと身を滑り込ませた。

耳を澄ませば、荷馬車の軋む音と、男たちの少しがさつな笑い声が聞こえてくる。


(人間……。エレーナさんのような、話のわかる人たちだといいのですが)


少しだけ迷ったけれど、この先の道の様子は確認しておきたい。私は意を決し、木陰から静かに、しかし堂々と歩み出た。


「……あの、少しよろしいですか?」


凛とした、けれど柔らかな私の声に、男たちの会話がぴたりと止まり、全員の視線が槍のように突き刺さった。幌付きの荷馬車を馬が引き、その周囲を革鎧姿の屈強な男たちが三人、護衛のように歩いている。典型的な行商の一団、といったところか。


「なっ……!?」

「……エルフ、だと……?」


先頭を歩いていた髭面の男が、目を丸くして呟く。他の二人も、武器の柄に手をかけながら、ポカンとした顔で私を見ていた。無理もないだろう。森の道端から、場違いなほど綺麗なエルフの少女がぬっと現れたのだから。


私は悪戯心が湧いてくるのを感じながら、にっこりと微笑んでみせた。

「驚かせてしまったのなら、申し訳ありません。魔物と間違えて斬りかからないでくださると助かります」

「い、いや……そりゃあ……」


私の穏やかな、しかしどこか冗談めかした口調に、男たちは完全に毒気を抜かれてしまったようだった。緊張を解き、互いに顔を見合わせている。


「いやまあ……あんたみてぇなべっぴんが一人で歩いてりゃ、誰だって驚くら。……で、嬢ちゃん、道にでも迷ったのか?」

髭面の男が、少しだけ顔を赤くしながら尋ねてきた。


「アークライトへ向かっています。この道で合っているでしょうか?」

「ああ、間違いないぜ。このまま真っすぐ行きゃ、二日もすりゃデカい城壁が見えてくらぁ」

「ですが」と、別の男が少しだけ真剣な顔で言葉を継ぐ。「この先は、最近ゴブリンの数が増えてて、かなりタチが悪いって話だ。嬢ちゃんみてぇなのが一人で行くのは、ちいとばかし危なすぎるんじゃねぇか?」


(ゴブリン……。集団で行動する、厄介な相手ですね。情報に感謝しないと)


「そうですか。それは、有益な情報をありがとうございます。助言、感謝します」

私が優雅に一礼すると、男は「お、おう……」と、さらにタジタジになっている。面白い。


「しかし、一人旅は無謀だ。どうするんだ?」

「そうですね。では、ゴブリンは夜目が利かないと聞きますし、なるべく夜は休まずに進むことにします」


私が、さも当然のようにさらりと返すと、男たちは一瞬きょとんとした後、リーダー格の男がたまらず吹き出した。

「ぶはっ! ははは! こいつは傑作だ! 肝の据わった嬢ちゃんだな!」


もう一人の若い男が、感心したように、しかしどこか不思議そうに私を見つめている。

「なぁ、あんた……。エルフってもっとこう、人間を毛嫌いしてる、話しかけづらい連中だと思ってたんだが……」


「それは、書物の中の物語を信じすぎているだけですよ」

私は、少しだけ悪戯っぽく微笑む。

「私たちだって、美味しいものが好きですし、面白いお話も大好きです。それに、親切な方には、感謝もしますから」


その言葉に、男たちは完全に肩の力を抜いた。

「……ははっ、そうかもな。こりゃ一本取られたぜ」


「じゃあな、嬢ちゃん! 本当に気をつけろよ!」

「ええ。あなた方も、良い旅を」


男たちは、名残惜しそうに何度も振り返りながら、荷馬車を進めていく。やがて森の向こうに姿を消していくのを見送り、私は心の中で静かに呟いた。


(人間……。エレーナさんとはまた違う、素朴で、少しがさつで……でも、根は親切な人たち。……面白いな)


初めて「普通」の人間と話してみて、私の世界はまた少しだけ、色鮮やかになった気がした。


そして、その日の夕暮れ時。

小高い丘を越えた瞬間、私は息を呑んで足を止めた。


西の空を燃やすような、壮大な夕焼け。

その光を背に、遥か彼方の地平線に、巨大な城壁と街の影が、シルエットとなって浮かび上がっていた。


(……あれが、アークライト……!)


森を出て初めて目にする、人間の街。

二年間の旅で目指した、最初の大きな目的地。

エレーナさんがくれた地図に、確かに記されていた場所。


胸の高鳴りを抑えられない。

私は、ほんの少しだけ、歩みを速めた。

新しい出会いと、まだ見ぬ知識が待つ、あの光の中へ。

次回から本格的に人間領でのお話が始まります!!

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