穏やかな日常と、ライバルの視線
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あの最初の授業で、私が枯れかけた薬草を花まで咲かせてしまった一件は、思った以上に大きな波紋を広げていたらしい。
二組の教室では、私はすっかり「何かすごいことをする不思議な転入生」として認識されてしまったようだ。
「リィアさん、この前の古代文字の課題、よかったら教えてもらえないかな?」
「リィアさん、この薬草の魔力構造が、どうにも安定しなくて……」
休み時間になると、私の席にはいつも誰かが質問にやってくる。
ミエルも、最初の頃はオロオロしていたけれど、今ではすっかり慣れた様子で、私と質問に来た子の間でお茶を淹れてくれたりしている。
「みんな、リィアに頼ってばっかりなんだから!」
そう言いながらも、彼女の顔はどこか誇らしげだ。
私も、そんな彼女の笑顔を見るのが、好きだった。
学院の生活は、驚くほど穏やかで、そして刺激に満ちていた。
午前中は講義。魔法理論、古代文字学、薬草学の基礎――私にとってはどれも、父の書斎で読んだ知識を、より深く体系的に学び直すための、またとない機会だった。
特に、エラーラ先生の古代魔法理論の授業は、私の知的好奇心を強く刺激した。
(なるほど。この術式は、父の手記にあったあの理論にも繋がるかもしれない。……面白いな)
夜、寮の部屋でミエルに勉強を教えるのも、すっかり日課になっていた。
彼女は理論のような、小難しい話は少し苦手らしい。だが、こと実践的な薬草の知識にかけては、私の方が教えられることばかりだった。
「リィア、この本に載ってる『涙草』、お母さんの話だと、葉の色がもっと青みががかっているはずだよ。この絵は少し違うかも」
「本当ですか? なるほど……。書物の知識だけでは、分からないことも多いですね」
ミエルは薬草学の実習では、いつも先生に褒められていた。その才能は、この学院の中でも本物だと、誰もが認め始めていた。
そんな彼女の姿を、私は自分のことのように、誇らしく思っていた。
穏やかで、満ち足りた日々。
だが、その平穏な日常に、時折、ぴりりとしたスパイスを加えてくれる存在がいた。
その日、私は学院の大書庫で、一人静かに本を読んでいた。
ここは、父の書斎とは比べ物にならないほどの蔵書量を誇る、知の迷宮だ。
まだ誰も翻訳していないという、古代の錬金術に関する文献を読み解くのに夢中になっていた、その時だった。
「……あなた、またそのような難しい本を」
凛とした声に顔を上げると、そこにはセラフィーナさんが、腕を組んで立っていた。
「こんにちは、セラフィーナさん。ええ、少し興味深い記述を見つけましたので」
「……ふん。相変わらず、何を考えているのか分かりませんわね」
彼女はそう言いながらも、立ち去ろうとはしない。
そして、私が読んでいる本の表紙をちらりと見ると、その真紅の瞳に、強い興味の光を宿らせた。
「古代錬金術……。そんなもの、今ではほとんど使い手もいない、過去の遺物ではありませんの?」
「そうでしょうか? 私は、そうは思いません。古いものの中には、新しいものにはない、素晴らしい知恵が眠っていることもありますから」
私のその言葉に、セラフィーナさんは「まあ」と小さく息を漏らす。
そして、まるで議論の相手を見つけた学者のように、私の隣の椅子に、すっと腰を下ろした。
「……面白いですわね。ならば、お聞かせなさい。その『素晴らしい知恵』とやらが、一体どれほどのものなのかを」
その日から、私とセラフィーナさんの、奇妙な「書庫でのお茶会」ならぬ「討論会」が、時々開かれるようになった。
それは、私にとって、エラーラ先生の授業とはまた違う、刺激的な時間だった。
「その術式は、根本的にマナの効率が悪すぎますわ! 私の炎魔法の方が、よほど少ない魔力で同じ結果を出せます!」
「ですが、セラフィーナさん。安定性はこちらの方が上です。誰でも、いつでも同じ結果を出せる。その汎用性こそが、この術式の素晴らしい点だと、私は思います」
「なんですって!?」
彼女との議論は、いつも白熱した。
ミエルは、いつも私たちの間でオロオロしているけれど。
私たちは、決して馴れ合うことはなかった。
けれど、その言葉の応酬の中に、互いの知識と才能を認め合う、確かな敬意が生まれているのを、私は感じていた。
彼女は、私が初めて出会った、本当の意味での「好敵手」なのかもしれない。
そんな、穏やかで知的な刺激に満ちた日々は、私にとって心地よいものだった。
だが、その平穏が、ある日、エラーラ先生の一言によって、新しいステージへと動き出すことになる。
その日の授業の終わり、先生は教壇の上から、私たち二組の生徒全員を見渡した。
「さて、諸君。座学はここまでだ」
その言葉に、教室が少しだけざわめく。
「本当の知恵は、森の土を踏み、風の匂いを嗅がなければ身につかん。来週、我々は『静寂の森』へ、初めての野外実習に向かう」
「静寂の森」――その名が出た瞬間、教室の空気が一変した。
驚きと、興奮と、そしてほんの少しの恐怖が入り混じった、熱のこもったざわめきが波のように広がる。
そこは、学院の敷地の中でも、特にマナが濃密で、特殊な生態系が育まれている場所。希少な素材の宝庫であると同時に、危険な魔獣も数多く生息するため、普段は上級生でなければ立ち入りが許されていない、特別な森だった。
「君たちには四人一組のチームを組んでもらい、特定の希少素材を採取してきてもらう。これは、ただの素材集めではない。チームワーク、判断力、そして何より、森への敬意が試される課題だ」
先生は、手元の羊皮紙に目を落とすと、淡々とチームの編成を読み上げ始めた。
ミエルが、祈るようにぎゅっと手を組んでいる。
やがて、彼女の名前が呼ばれた。
「――第三班。ミエル・アルドンネ」
そして、続けて私の名前が呼ばれる。
「リィア・フェンリエル」
「……!」
ミエルと顔を見合わせ、私たちは安堵の笑みを浮かべた。
だが、エラーラ先生の言葉は、まだ終わってはいなかった。
彼女は、そこで一度、楽しむように間を置くと、とんでもない爆弾を投下した。
「そして、今回の実習は、一組との合同で行う」
「ええっ!?」
教室中から、悲鳴に近い声が上がる。
私たち二組と、セラフィーナさんを筆頭とするエリート集団の一組。普段、ほとんど交流のない、そしてどこかライバル意識のある彼らと、合同で?
先生は、そんな私たちの混乱を意にも介さず、最後の名前を告げた。
その声は、まるで決定稿を読み上げるかのように、静かに、しかしはっきりと響き渡った。
「――第三班、一組より、セラフィー-ナ・フォン・ヴァルノスト。……そして、もう一人」
え? もう一人?
「――同じく一組より、セラフィーナ様の護衛役として、わたくし、リリアーナ・フォン・ローゼンベルクも同行させていただきますわ!」
教室の入り口で、いつの間にか話を聞いていたらしい、セラフィーナさんの取り巻き筆頭――金髪縦ロールのお嬢様が、高らかにそう宣言した。
その手には、なぜか薔薇の花が握られている。
……なんだか、とてつもなく面倒なことになりそうな予感が、私の背筋を駆け抜けていった。




