試験までの日々
アルボリア学院の正門をくぐった私たちは、まず、学院に隣接する学生用の街で、部屋を借りることにした。
試験日まではまだ時間がある。その間、この街で暮らしながら、学院の雰囲気に慣れていくのが一番だろう。
街は、首都シルヴァヌスとはまた違う、落ち着いた活気に満ちていた。
石畳の道の両脇には、学生向けの安くて美味しい食堂や、古本屋、そして様々な魔法道具を扱う小さな店が軒を連ねている。行き交うのは、ほとんどが私たちと同じくらいの年の、学院の生徒たちだ。
彼らの会話から聞こえてくるのは、難しい魔法理論の話や、次の休暇の計画。そのどれもが、希望と若々しいエネルギーに満ちていた。
「わぁ……見て、リィア! あのお店、薬草の専門店みたい!」
「本当ですね。私たちの知らない薬草も、たくさんあるかもしれません。後で、ゆっくり見て回りましょうか」
私たちは、街の中央広場に近い、一軒の小さな宿屋に部屋を借りた。
部屋の窓からは、雄大な学院の姿が、絵画のように見渡せる。
その日から、私たちの新しい日常が始まった。
午前中は、公共図書館へ。
その蔵書量は、父の書斎とは比較にならなかった。
見たこともない魔法の書物、失われた古代文明の記録、そして、人間の国々に関する詳細な地理書。私にとっては、まさに宝の山だ。
ミエルもまた、薬草学の専門書が並ぶ一角を見つけ、夢中になって読みふけっている。
時折、顔を上げては、新しく見つけた知識について、目を輝かせながら私に話してくれる。
「ねえ、リィア! 南の砂漠にしか咲かない『太陽花』っていうお花、その蜜には、強力な解毒作用があるんだって!」
「それはすごいですね。でも、採取するのは大変そうです」
「うん……でも、いつか行ってみたいな」
彼女の夢が、この図書館で、どんどん具体的になっていくのが、私にも分かった。
私もまた、人間の言語で書かれた本を読み解きながら、自分の知らない世界の広さを、改めて実感していた。
(……面白い。人間の使う魔法は、私たちの自然魔法とは根本的に違う。もっと、数学的で、論理的だ。……これなら、私のやり方と、相性がいいかもしれない)
午後は、街を散策したり、専門店で道具を眺めたり。
時には、街に併設されている訓練場にも訪れることがあった。
訓練場の中心で、一人の少女が、圧倒的な存在感を放っている。
セラフィーナ・フォン・ヴァルノスト。
彼女が杖を振るうたび、十数本の炎の矢が空気を切り裂き、訓練用の的を一瞬で焼き尽くしていく。
その威力、精度、そして何より、魔力の純度。
周りの生徒たちとは、明らかに次元が違っていた。
「……すごい……」
ミエルが、息を呑むのが分かった。
「あれが、四大氏族……」
私もまた、その光景から目を離せずにいた。
彼女の強さは、本物だ。だが、それと同時に、私は彼女の魔法に、ある種の「危うさ」も感じ取っていた。
だが、そんな私の懸念を、彼女自身が知る由もない。
訓練が終わり、他の生徒たちが賞賛の声を送る中、彼女はただ一人、誰とも言葉を交わすことなく、誇り高く、そしてどこか孤独に、その場を去っていった。
その背中を見送りながら、私はぼんやりと考えていた。
この学院で、私は一体、何を学ぶべきなのだろうか、と。
ただ知識を詰め込むだけでは、きっとダメだ。
エレーナさんが言っていた、「本当の強さ」とは、一体何なのか。
その答えは、まだ、見つかりそうになかった。
そうして、穏やかで、しかし確かな学びと発見に満ちた日々は、あっという間に過ぎ去っていく。
学院都市の木々が、春の若葉で彩られ始めた頃。
ついに、アルボリア学院の入学試験の日が、やってきたのだった。




