S1 召喚の間
クラスメイト視点です。
早めに本編と合流させるつもりです。
「みんな、落ち着いて! 慌てたら危ない!」
俺、結城大和は必死に叫んでいた。
だが俺の声は、パニックに陥ったクラスメイトたちの悲鳴と、教室を満たしていく圧倒的な光の奔流にかき消されていった。
(くそっ……! いったい何が……!?)
床に広がる見たこともない美しい魔法陣。
開かなくなったドアと窓。
すぐ側で女子生徒の一人が、腰を抜かして座り込んでいるのが見えた。
「危ない! 伏せろ!」
俺は咄嗟に彼女の前に立ち、庇うように腕を広げた。
その瞬間、世界が真っ白な光に塗りつぶされる。
まるで激しい川の流れに飲み込まれたかのように、抗うことのできない力で意識が、身体が、どこかへ引かれていく。
(みんな、無事でいてくれ……!)
それが俺が高校生として抱いた、最後の思考だった。
……どれくらいの時間が経ったのか。
意識がゆっくりと、深い水の底から浮上していくような感覚。
耳元で知らない言語を話す、厳かな声が聞こえる。
《――おお、目覚められたか、異世界の勇者たちよ》
知らない言語のはずなのに何故か、その意味だけははっきりと頭に響いた。
俺は重い瞼を、ゆっくりと持ち上げた。
最初に目に飛び込んできたのは、見たこともないほど高い石造りの天井だった。
そこには俺たちの世界とは違う、不思議な星座が金色で描かれている。
「……っ」
ひんやりとした硬い床の感触。
俺はゆっくりと上半身を起こした。
見渡すとそこは巨大な円形の広間だった。床には教室で見たものと同じ魔法陣が、役目を終えたように淡い光の残滓となって揺らめいている。
そしてその魔法陣の上には、俺と同じようにクラスメイトたちが倒れていた。
「……みんな、大丈夫か!?」
俺はまだ少しふらつく足で立ち上がると、一番近くにいた汐見に駆け寄った。
「汐見、しっかりしろ!」
「……結城くん……? ここどこ……? なんか頭が……」
まだ状況が飲み込めていないらしい。
他のクラスメイトたちも次々と目を覚まし、困惑の声を上げ始める。
「痛ってて……なんだよここ……」
「体育館……じゃないよな?」
「先生! 桜庭先生は!?」
その時俺たちは気づいた。
俺たちがいる魔法陣のその周囲を、何人もの人影が取り囲んでいることに。
物々しい鎧を纏った兵士。
深いフードを目深に被った、神官のようなローブの集団。
彼らはただ黙って、俺たちが目を覚ますのを待っていたかのようだった。
やがて、神官たちの中心にいた一番年老いて見える男が、静かに一歩前に出た。
「ようこそ、異世界の勇者様がた。急な転移、さぞお疲れでしょう」
知らない言語のはずなのにその言葉は、俺たちの頭の中に直接意味となって響いてくる。
「恐れることはありません。我らはあなた方を歓迎いたします」
その言葉のあまりの非現実感に、俺たちは誰一人として声を出すことができなかった。
やがて正面の巨大な扉が、厳かにゆっくりと開かれていく。
ゆっくりと開かれていく巨大な扉。
その向こうから差し込む眩い光に、俺たちは思わず目を細めた。
光の中に立っていたのは、見事な装飾の鎧を纏った騎士のような男だった。
「勇者様がた、お待ちしておりました。陛下が皆様をお待ちです。こちらへ」
騎士は俺たちに恭しく一礼すると、背後の廊下を指し示した。
俺たちはまだ状況が全く飲み込めないまま、顔を見合わせるしかない。
「……行くしかない、みたいだな」
俺がそう言うと、クラスメイトたちもこくりと頷いた。
俺たちは騎士に促されるまま、おそるおそるその広間から足を踏み出した。
そこは俺たちの知るどんな建物とも、全く違っていた。
どこまでも続く高い天井。壁には見たこともない、神話の戦いを描いたであろう巨大なタペストリーが掛けられている。
廊下の両脇には一糸乱れぬ動きで、兵士たちが整列していた。俺たちが通り過ぎると彼らは一斉に、鎧を鳴らして敬礼を捧げる。
「な、なんだよこれ……」
「本当に、異世界なのか……?」
クラスメイトたちのそんな囁き声が聞こえる。
俺も同じ気持ちだった。
これは夢でも、何かのドッキリでもない。俺たちは本当に知らない世界に来てしまったのだ。
混乱の中、俺は必死に周りのクラスメイトたちの顔を見渡した。
(全員、いるのか……? 葛城も、高坂も……汐見も……。桜庭先生の姿が見えないな……。それに……)
そこで、俺は一つの違和感に気づいた。クラスの、隅の席にいつも静かに座っていた、あの男子生徒の姿が、どこにも見えない。
(一ノ瀬……? 一ノ瀬はどこだ?)
俺は、隣を歩いていた高坂静流に、小声で話しかけた。
「高坂、一ノ瀬を見なかったか?」
彼女は、俺の言葉に、いつもと変わらない涼しい顔で、しかし、その瞳には確かな動揺の色を浮かべて、静かに首を横に振った。
「……見ていないわね。そういえば、教室で光に包まれた時、彼は魔法陣の、少し外側に……」
高坂の言葉に、俺の背筋を冷たいものが走る。
魔法陣の外側。あの時、光の輪郭が激しく乱れたのを、俺は確かに見ていた。
(まさか、あいつ……)
最悪の可能性が、頭をよぎる。
そんな俺たちの不安をよそに、騎士は、ひときわ豪華な、黄金の装飾が施された両開きの扉の前で足を止めた。
「――陛下。勇者様がたを、お連れいたしました」
騎士の声に応えるように、扉が内側からゆっくりと開かれる。
その先にあったのは、どこまでも赤い絨毯が敷かれただだっ広い玉座の間。
そしてその一番奥。
玉座に座る一人の王が、静かに俺たちを見据えていた。
玉座に座る王が、ゆっくりと立ち上がった。
その威厳に俺たちは、息を呑む。
「――よくぞ参られた、異世界の勇者たちよ。我が名はアルフォンス・フォン・クラリオン。このクラリオン王国を治める者だ」
王の深く、どこか疲れたような声が玉座の間に響き渡る。
「単刀直入に言おう。我らの世界は今、魔王の復活により滅亡の危機に瀕している。古の預言に従い、我らは、お主たちを世界を救う勇者として、この地へ召喚したのだ」
魔王。勇者。
そのあまりにも非現実的な言葉。
だが王の真剣な瞳が、それが紛れもない事実なのだと俺たちに告げていた。
クラスメイトたちの顔が恐怖と絶望に、青ざめていく。
「苦しい役目を負わせることは、承知しておる。だが、我らには、もはやお主たちしか希望がないのだ。どうか、この世界を救ってほしい」
王は、そう言うと、俺たちに向かって、深く、深く頭を下げた。
一国の王が、俺たちのような、ただの高校生に向かって。
その、悲痛なほどの願い。それは、俺たちの、拒否することも、逃げることも許されない、新しい現実だった。
(俺たちしか、いない……? そんなこと言ったって、一ノ瀬は……)
「まずは、お主たちが、いかなる力を持つのかを知る必要がある。鑑定の間まで兵たちに案内させよう」
俺たちは、なす術もなく、再び兵士たちに導かれて、次の間へと向かう。
俺たちの運命が、これから、神々の天秤にかけられようとしていた。




