リザードマンの悩み
翌朝、宿屋「陽だまりの猫亭」で極上の朝食――卵かけご飯をおかわりまでして堪能した私たちは、出発の準備を整えて中庭へと出た。
そこでは、私の相棒であるグリフォンのピヨが、日向ぼっこをしながら待ち構えている。
「ピヨ、今日はここでお留守番ですよ」
私がそう告げると、ピヨは「キェ?」と不満そうに首を傾げる。 連れて行けとばかりに、私の外套の裾を甘噛みしてきた。
「ダメです。これから行く第21階層は水没エリアみたいですから。貴方の自慢の羽毛がびしょ濡れになって、重くて飛べなくなってしまいますよ?」
その言葉を聞いた途端、ピヨの動きがピタリと止まる。 想像しただけで嫌だったのか、ブルルと大きく身震いをして、そそくさと木陰の寝床へと戻っていった。
「いい子にしていたら、お土産に美味しいお魚を持って帰ってきますからね」
「キェッ!」
ピヨが嬉しそうに翼を広げて返事をする。
私たちは宿を後にし、冒険者ギルドへと足を向けた。 今日の目的は、第21階層の探索だ。
ギルドの扉を押し開けると、ある光景が目に入ってきた。 受付カウンターの前、人だかりができている。
緑色の鱗は分厚く、使い込まれた大剣や槍を背負っている。
彼らの首にかかっているのは、シルバーランクのプレート。
伊達や酔狂で迷宮に潜っているわけではない、確かな実力者たちだ。
けれど彼らは武器に手をかけることもなく、困り果てたように立ち尽くしている。
その進路を塞いでいるのは、真新しい装備に身を包んだ人間の男たち。
最近この街に来たばかりの新規パーティだろうか。
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべ、執拗にリザードマンを挑発している。
「おいおい、どこへ行くんだよトカゲ野郎」
「シルバーランクだぁ? ギルドも落ちたもんだな。鱗野郎にそんな位をやるなんてよ」
男の一人が、リザードマンの太い尻尾をわざとらしく踏みつける。
リザードマンの戦士が、低く唸った。
「……通してくれ。我々は急いでいるんだ」
「あぁ? 急いでるなら這っていけよ。その方がお似合いだぜ?」
理不尽な言いがかりだ。
周りの冒険者たちも、「またか」といった顔で遠巻きに見ている。
面倒事には関わりたくない、という空気がホールを支配していた。
私は小さく息を吐き、人垣を割って前へと進み出た。
「ちょっと、すいません」
私の声に、男たちが振り返る。
私を見た瞬間、彼らの目が大きく見開かれる。
「エルフ……? 本物かよ……」
リーダー格の男が、口元を歪めて近づいてくる。
「なぁ、こんなトカゲの味方なんかしてないで、俺たちのパーティに来ないか? 悪いようにはしねえぜ?」
「遠慮しておきます。それより、そこを退いてくれないと困るんです。依頼が見えませんし、彼らもカウンターへ行きたがってますし…」
「つれねえなぁ。マナーを教えてやってる最中だってのに」
男が威圧するように一歩踏み出す。
私はため息をつき、彼を真っ直ぐに見上げた。
「マナー、ですか。弱い者いじめがマナーだとは知りませんでした」
「……あぁん?」
こめかみに青筋を浮かべ、男は乱暴に私の胸倉を掴み上げた。
「おいコラ、調子乗ってんじゃねえぞ。顔が良いからって許されると思うなよ?」
引き寄せられた拍子に、私の外套がはらりとズレた。
男の視界の真正面。
胸元に下げていたプレートがちらりと顔を見せる。
「あ……?」
男の動きが、ぴたりと止まる。
怒りに赤黒くなっていた顔色が、みるみるうちに青ざめ、引きつっていく。
掴んでいる手が、小刻みに震え始めた。
「 ゴールド……?」
「離していただけますか? 」
冷たく言い放つと、男は弾かれたように手を離し、尻餅をつくように後ずさった。
「ゴ、ゴールドランク……!? こ、こいつ、まさか噂の……!」
「ば、馬鹿野郎! あの髪の色! 間違いねえ、“深淵の魔女”だ!」
仲間の男たちも、私のプレートを見て凍りついている。
(そのあだ名、広まりすぎじゃないですか…?)
「ひ、ひぃっ! す、すいませんでしたぁっ!」
「行こう! 逃げるぞ!」
男たちは這うようにして起き上がり、蜘蛛の子を散らすようにギルドから逃げ出していった。
ホールの空気が、ふっと緩む。
「……助かった。礼を言う」
リザードマンの中で一番大柄な個体が、私に向かって深く頭を下げた。
「気にしないでください。通りたかっただけですから」
「それでも、助けられたことに変わりはない。俺はガ・ル。このパーティのリーダーだ」
ガ・ルと名乗ったリザードマンは、足元に落ちていた麻袋を拾い上げ、埃を払う。
そして、申し訳なさそうに私を見た。
「人間の街では、たまにあることだ。慣れてはいるが……今回は少し急いでいてな」
「急いでいる?」
「ああ。故郷の湿地帯で、妙な病が流行っていてな。その特効薬になる素材を探しに来たんだ」
彼は麻袋の口を少しだけ開けた。
中から、湿った土のような、独特の香りが漂ってくる。
「……これは?」
「ああ、これは詫びの印だ。我々の村の特産品、『泥被り茸』だ。質のいい触媒になると聞いたことがある」
「えっ……?」
私はガ・ルさんの手から袋を受け取り、中を覗き込む。
かさついた茶色の傘に、紫色の斑点。
間違いない。
「これ、本物ですか?『泥被り茸』でしょう?」
「お、おう……?よく知ってるんだな」
ガ・ルさんが私の剣幕に少し引いている。
私は興奮を抑えきれず、隣のエリスの肩をバンバン叩いた。
「エリスさん! 見てくださいこれ! 」
「い、痛いって! 何よそれ、ただの泥だらけのキノコじゃない」
「何をおっしゃいますか、これはただのキノコじゃありません! 魔力伝導率が極めて高い触媒なんです! これを粉末にしてポーションに混ぜれば、効能が3.5倍……いえ、4倍は跳ね上がりますよ」
「……まあ、良かったじゃない?」
「ええ、 最高の収穫です!」
私は満面の笑みでガ・ルさんに向き直った。
「ありがとうございます! こんな貴重なものをいただけるなんて!」
「……喜んでもらえたなら何よりだ」
ガ・ルさんは目を丸くし、それから嬉しそうに喉を鳴らして笑った。
「そうだ、もし良ければ、もう一つ頼まれてくれないか?」
「頼み、ですか?」
「うむ。実は、探している素材というのが、第21階層の水没エリアにいる『水晶魚』なんだが……」
「水晶魚ですか、聞いたことはありますね」
透き通った体を持つその魚は、全身が純度の高い魔力伝導体でできていて、特に「肝」は、あらゆる状態異常を浄化する万能薬の主原料だ。
「その魚、肝が万能薬になるとか」
「知っているか! そうだ、その肝が村の病を治す薬になるんだ。だが、水没エリアは我々の得意分野とはいえ、この数ヶ月はずっと足止めを食らっていた」
「足止め? 魔物が強力だからですか?」
私の問いに、ガ・ルさんは首を横に振った。
「いや、第20階層だ。あそこに『番人』と呼ばれる厄介なゴーレムが居座っていただろう? あれのせいで、我々も奥へ進めなかったんだ」
「ああ……なるほど」
私は、少しだけ視線を逸らす。
「だがな、つい数日前に、凄腕のエルフの冒険者が単独で討伐して見せたらしいんだ! おかげで道が開いた。我々も、ようやく探索ができるというわけだ」
ガ・ルさんは、その「名も知らぬエルフ」への感謝と興奮を隠そうともしない。
「へぇ、そうなんですね。それは良かった」
隣でエリスが、肩を震わせて笑いを堪えているのが分かる。
私は彼女の脇腹をそっと小突いた。
「だが、道が開いたとはいえ、第21階層は我々だけでは心許ない。それに、深い階層への依頼となるとなかなか人手も集まらん」
ガ・ルさんは困ったように眉尻を下げる。
「ギルドで依頼を出そうにも…」
なるほど。
番人は倒したけれど、その先の危険度は変わらない。
誰だって、命は惜しい。
私はエリスと顔を見合わせる。
「……いいですよ。引き受けましょう」
「本当か!?」
「ええ。ちょうど私たちも、その階層へ行く予定でしたから。水晶魚の素材は、私にとっても魅力的です」
私の言葉に、ガ・ルさんたちは歓喜の声を上げた。
彼らの尻尾が、嬉しそうに左右に揺れている。
「恩に着る! 報酬は弾ませてもらうぞ!」
「いえ、報酬はその水晶魚を数匹、私に譲っていただければ十分です」
「話が早くて助かる。よし、じゃあ早速向かうとしようか」
「ええ、行きましょう」
私たちはギルドの奥にある転移装置へと足を向けた。
リザードマンたちも、気合十分といった様子で武器を担ぎ直す。
「しかし、リィア殿と言ったか。あんたみたいな華奢なエルフが、まさかゴールドランクとはな」
歩きながら、ガ・ルさんが不思議そうに尋ねてくる。
「さあ、どうでしょうね。とんとん拍子で上がってしまった感は否めないですが…」
「それでも実績は実績さ。あんたの能力をギルドが評価してくれたってことだ」
「でも…番人を倒したっていうエルフよりは、少しだけ弱いかもしれませんよ?」
「ガハハ! 違いない! あれは化け物だからな!」
「……化け物は言い過ぎじゃないですか?」
ガ・ルさんの豪快な笑い声を聞きながら、エリスが「あんたねぇ……」と呆れたようにため息をついた。




