英雄の帰還と、地上の風
前回更新時にはお伝え出来ませんでしたが、長らくお待たせして申し訳なかったです。
いろいろありましたが、今後は安定して投稿できそうです。
私は寝心地の良いベッドから這い出すと、手早く身支度を整えた。 鏡の前で髪を梳かし、腰に愛剣セレネを帯びる。
「……んあ。おはよ、リィア」
隣のベッドから、エリスさんが不機嫌そうに顔を出した。金髪が盛大に爆発している。
「おはようございます、エリスさん。さあ、起きてください。今日は久しぶりの地上ですよ」
「あんたねぇ……昨日あんな大暴れしといて、なんでそんなに元気なのよ」
「ぐっすり眠りましたからね。それに、地上のご飯が私を待っています」
「……食い気だけは一人前なんだから」
エリスさんは呆れつつも、冒険者の手際であっという間に準備を終えた。
宿の中庭へ出ると、そこには既に待ちきれない様子でピヨがそわそわしている。
「キェェッ!」
「おはよう、ピヨ。お待たせしましたね」
私の姿を見るなり、ピヨが巨体を揺らして駆け寄ってくる。
バルガーさんが窓から顔を出した。
「おう、朝から元気だな! 中庭が狭くて悪かったな」
「いえ、助かりました。……ピヨ、行きますよ、今日は広い空を飛べますからね」
ピヨが嬉しそうに翼をバサリと広げる。 私たちは連れ立って、ギルド支部へと向かった。
◇
支部の最奥、ギルドマスター執務室。
扉を開けると、書類の山に埋もれていたグラハムさんが顔を上げた。
「おう、来たか。顔色は良さそうじゃな」
「ええ、おかげさまで」
私が答えると、グラハムさんはニヤリと笑い、身を乗り出した。
「して……どうだった? 第20階層のヤツは」
「はい。無事に撤去完了しました。もう通れますよ」
私があっさり答えると、グラハムさんの目が丸くなる。
「……それにしても、一体どうやって倒したんだ。魔法か? それとも新手の剣技か?」
その瞳は、新しい玩具を見つけた子供のように輝いている。
私は少し申し訳なさそうに、しかし正直に答えた。
「いえ、もっと単純な……」
「単純?」
「はい。魔法も剣技も学習されてしまうので、学習する暇を与えない速度と質量で、粉砕しました」
グラハムさんが首を傾げる。
「具体的になにをしたんだ?」
「この杖に強化魔法を限界まで込めて、槍みたいに全力で投げつけました」
部屋の時間が止まる。
隣でエリスさんが「あーあ、言っちゃった」と天を仰いだ。
数秒の沈黙の後。
「ブッ……ガハハハハハ!!」
腹の底から響くような大爆笑が轟いた。グラハムさんは涙目で机をバンバン叩く。
「杖を投げるだと!? 魔法使いが!? しかもそれで倒したのか!?」
「ええ」
「そんな力技でねじ伏せるとはな!」
彼はひとしきり笑うと、ドン、と机に革袋を置いた。
「約束の報酬だ。文句なしの達成だぞ、受け取れ!」
「ありがとうございます」
革袋をしまうと、グラハムさんは一枚の羊皮紙と石板を差し出してきた。
「それと、転移装置の特別許可証だ。本来は人間サイズしか通さんものだが、今回は特別に出力を上げて、そのデカい相棒も通れるようにしておいたぞ」
私は思わず身を乗り出した。
「本当ですか? それが一番の懸念だったんです」
「なに、せめてもの礼だ。好きに使え!」
許可証を受け取り、私たちは一礼して部屋を出る。
背後からはまだ、グラハムさんの笑い声が響いていた。
◇
転移の間は、ギルドの地下深くにあった。
部屋の中央には、大きな魔法陣が刻まれた石の台座。
ピヨが不思議そうに首を傾げながら、その台座に乗るが巨体だから、ちょっと窮屈そうだ。
「ピヨ、じっとしててくださいね。すぐに終わりますから」
「キェ?」
エリスさんは慣れた様子で台座の端に乗り、軽く肩を回した。
「さっさと行きましょ。あの長い階段を登らなくていいだけマシよ」
係の職員さんに許可証を渡すと、彼は石板を操作し始めた。
「じゃあ、いくぞー。舌噛むなよー」
ブォン、と低い音がして、視界が真っ白になる。
身体が光の粒になって空に溶けていくような浮遊感。
次の瞬間には、景色が一変していた。
そこは薄暗い地下室ではなく、ランパードの冒険者ギルドの裏庭。
「……うん、到着。やっぱり便利ね、これ」
エリスさんは何事もなかったかのようにブーツの土を払った。
頭上には、どこまでも広がる青い空が広がっている。
そして、肌を焼くような本物の太陽…
地下の光ゴケも綺麗だったけれど、やっぱり日光は格別だ。
「キェェェッ!!」
ピヨが嬉しそうな声を上げて、バサリと翼を広げた。
その強烈な風圧で、裏庭に干してあったギルド職員の洗濯物が盛大に舞い上がる。
「ああっ!?ピヨ、だめです!洗濯物が!」
「ちょ、リィア! あんたの相棒、初っ端からやってくれたわね!」
慌てて飛び交うシャツやパンツを回収する羽目になった。
「まったく……。さ、行くわよ。お腹が空いて死にそう」
「ですね。地上のご飯が私たちを呼んでいます!」
私たちは裏口から大通りへと繰り出した。
◇
地上のランパードは、相変わらずの喧騒だ。
屋台から漂うお肉の焼ける匂い、商人たちの元気な呼び込み。
私たちが歩き出すと、道行く人々が道を空け、注目してくる。
でも、以前のような刺すような視線じゃない。
「お、おい見ろよ。噂の“深淵の魔女”だぞ」
「うわぁ、本当にグリフォン連れてる……でけぇ……」
冒険者たちは、私とピヨを見て、感心したように頷き合っている。
どうやら私の顔も、この街にだいぶ馴染んできたみたいだ。
――と、その時。
「ひっ……!?」
通りの向こうから歩いてきた、お揃いの新品装備をつけた三人組が、私を見た途端に腰を抜かした。 まだ街に来たばかりの、駆け出し冒険者だろうか。
「お、おい! あれ、エルフだろ!? 本物か!?」
「ば、ばっか野郎! 目ぇ合わせんな! 爺ちゃんが言ってたぞ、エルフは森に迷い込んだ人間を捕まえて骨まで食っちまうって……!」
「綺麗な顔して近づいてきて、ガブッといかれるんだよ!」
あからさまに青ざめて、ガタガタ震えている。
周りの街の人たちが「またかよ」「田舎もんはこれだから」と苦笑いしているのが見えた。
私はぴたりと足を止めた。 三人組が「ひぃっ!」と悲鳴を上げて抱き合う。
くるりと彼らの方へ向き直り、近づいていく。
「く、来るぞ……! 食われる……!」
私はそんな彼らの目の前で立ち止まり、小首を傾げてみせた。
「あの、私の耳が遠くなかったら、『人を食べる』なんて聞こえた気がするんですけど?」
「い、いや! そのっ……滅相もございません!」
「俺たちは美味くないです!」
「安心してください。エルフは好き嫌いが激しいんですよ? 少なくとも……」
じーっ、と冒険者たちを上から下まで眺める。
「あんまり美味しくなさそうな人間は、食べませんから」
私の言葉に、彼らはポカンとして――それから、周りで見ていた街の人たちからドッと笑いが起きた。
「がはは! 言われてやんの!」
「姉ちゃんに相手にされるには、あと十年早いってよ!」
「ちげぇねえ!」
駆け出し冒険者たちも、ようやくからかわれたことに気づいて、顔を真っ赤にして頭を掻いた。
なんだか悪いことをしてしまったような気もするけれど、変な誤解をしたままよりはいいだろう。
私は手をひらひら振って、再び歩き出した。
隣でエリスさんが、呆れたような顔をしている。
「……あんたねぇ。なんでそう、いちいち構うのよ」
「え? だって、あんなに怖がってたら可哀想じゃないですか。それに……」
私はピヨの背中をポンと叩いた。
「こうやって冗談を言えば、私たちが『怖いバケモノ』じゃないって分かってもらえますし。ね?」 「計算高いんだか、天然なんだか……」
エリスさんはため息をつきつつ、髪をかき上げる。
その仕草に、すれ違った別の冒険者たちが色めき立った。
「おい、あれ……《銀閃》のエリスだろ?」
「ああ。やっぱりすげえ美人だな……」
「隣のエルフと並ぶと、絵画みてぇだ」
「高嶺の花コンビだな、ありゃ……」
どうやら注目されているのは私だけではないらしい。
エリスさんもシルバーランクの実力者。この街では有名人だ。
「ふふ、エリスさんも大人気ですね」
「……茶化さないでよ。視線が痛くて仕方ないわ」
「賢いと言ってください。さあエリスさん、あっちから甘い匂いがします! 行きましょう!」
「はいはい。……って、ちょっと待ちなさい! そっちは貴族街よ! 屋台なんてないわよ!」
「えっ? でも匂いが……」
私の鼻は、確かにあっちから漂う、上品で甘いお菓子の香りを捉えていた。
おかしいと思いつつ足を向けたその時――。
向こうから、何やら物々しい集団が歩いてくるのが見えた。
煌びやかな鎧に身を包んだ騎士たちの一団。
その中心に、見覚えのある男が一人。
仕立ての良い服、整った顔立ち、そして――爬虫類を思わせる冷たい瞳。
「……げっ」
隣でエリスさんが露骨に嫌な顔をした。
王都の貴族、クラウス・ヴァインベルク。
以前、ガルドランでの晩餐会で私を勧誘してきた彼が、なぜかここにいる。
彼は私の前で足を止めると、優雅に、しかしどこか芝居がかった動作で一礼した。
「奇遇ですな、リィア殿。まさかこのような場所で再会できるとは」
「……どうも。お久しぶりです」
私は適当に挨拶を返しつつ、視線を彼の背後――通りの向こうにある建物へと彷徨わせた。
あそこだ。あそこから、焼きたてのパイ生地と林檎の甘い香りが漂ってくる。
間違いなく、高級菓子店だ。
「第20階層の番人を討伐したと聞きましたぞ。あの難攻不落のゴーレムを、たった一回の挑戦で粉砕するとは……。いやはや、あなたの力には驚かされるばかりだ」
クラウスのその言葉に、私とエリスさんの足がピタリと止まった。
「……え?」
エリスさんが眉をひそめる。 私も、さすがに聞き流せなかった。
「クラウス様。私たちが第20階層から戻ったのは昨日の夜。そして、ギルドマスターに報告したのは、ついさっき……ほんの数十分前のことですよ?」
「いかにも」
「なのに、どうしてあなたがもう知っているんですか?」
私の問いに、クラウスは得意げに口の端を吊り上げた。
「ふっ……。王国の耳は地獄の底まで届くのですよ。私の知らないことなど、この街には何一つない」
その瞬間、私とエリスさんは顔を見合わせ、同時に一歩後ろに下がった。
「……うわぁ」
私たちの正直すぎるリアクションに、クラウスの笑顔がピキリと固まる。
「エリスさん、これって……」
「ええ、間違いないわ。ストーカーよ。しかも組織ぐるみの」
「怖すぎます。ギルドの中に盗聴器かスパイがいるってことですよね? プライバシーの侵害もいいところです」
「な、なんだその目は……! 私は王国の安寧のために情報収集を――」
「そういうのを、世間では『粘着質』って言うんですよ」
私は冷めた声で言い放ち、彼の手前でひょいっと手を挙げた。
「お話の途中ですが、ちょっと道を開けていただけますか?」
「……は?」
「いま、とても大事な用事があるんです。一分一秒を争うような」
「な、なんだと? まさか王国の未来に関わるような重大事か!?」
彼の顔色がさっと変わる。周囲の騎士たちも緊張して剣に手をかけた。 私は真剣な顔で、彼の背後を指差した。
「あそこのお店の『限定・黄金林檎のパイ』が、売り切れそうなんです」
シン……と、場が静まり返る。 風が吹いて、騎士のマントがパタパタと鳴った。
「…………はい?」
クラウスが、間の抜けた声を出す。
「私の鼻がそう言っています。この香りの強さ、そして店内のざわめき……急がないと間に合いません」
「き、貴様……!」
クラウスの顔がみるみる赤くなる。
自分たちの情報網を「ストーカー」呼ばわりされた挙句、勧誘の話を「お菓子」以下に扱われた屈辱に、プライドの高い彼は耐えきれなかったらしい。
「私が! 王国の勅命を帯びたこの私が話しているのだぞ!? たかが菓子ごときのために――」
「たかが、ではありません」
私はキッと彼を睨みつけた。
「美味しいものは、食べた瞬間が一番の価値なんです。冷めてしまったら、それはもう“過去の栄光”と同じ。あなたのお話と一緒で、何の味もしなくなってしまいますよ?」
「ぐっ……!?」
エリスさんが「ぷっ」と吹き出す音が聞こえた。
クラウスはわなわなと震え、騎士たちに目配せをする。
「ええい、無礼者め! 少し痛い目を見なければ分からんようだな! 捕らえろ!」
騎士たちが一斉に抜剣し、殺気立って迫ってくる。
(フラれたからって力ずくですか。ストーカーの次は誘拐未遂とは、救いようがありませんね)
私はため息をついて、背後の相棒に合図を送った。
「ピヨ、出番ですよ。……変な人たちから『おやつ』を守りなさい」
「キェェェェェェッ!!!」
ズドン! と、ピヨが前足を踏み鳴らし、裂帛の咆哮を上げた。
その音圧だけで、騎士たちが「うわぁっ!?」と悲鳴を上げて尻餅をつく。
B+ランクの魔獣の威圧感は伊達じゃない。
しかも今のピヨは「おやつ」という単語を聞いてやる気満々だ。
「ひ、ひぃっ……!?」
クラウスも顔を引きつらせて後ずさる。 私はその隙に、彼らの横をすり抜けた。
「それじゃあ、失礼しますね。お話はまた今度、林檎パイが売り切れていない時にでも……いえ、やっぱりご遠慮します。後ろから見張られるのは趣味じゃありませんので」
私はエリスさんの手を引いて、一目散にお店へと駆け込んだ。
◇
「……はぁ。あんたって本当に、肝が据わってるというか…」
数分後、私たちは近くのベンチに座り、焼きたてのアップルパイを頬張っていた。
サクサクの生地の中に、トロリと黄金色の林檎がたっぷり。
口の中に広がる甘酸っぱさが、冒険の疲れを癒してくれる。
「ん~っ! 美味しいです! やっぱり並んだ甲斐がありましたね!」
「並んだっていうか、脅して追い払ったっていうか……」
エリスさんは呆れ顔でパイをかじりつつ、チラリと後ろを見た。
クラウスたちは、ピヨに睨まれてすごすごと退散してしまっていた。
「でも、あいつら随分と焦ってたわね。リィアを仲間に引き入れたくて必死みたい」
「第20階層を突破したことで、私の価値が上がったんでしょうね。……道具としての価値が」
私はパイの最後の一欠片を口に放り込み、指についた砂糖を舐める。
「それにしても、こちらの情報が筒抜けなのは気分が悪いですね。さすがに寝言まで聞かれてはいないと思いますが」
「……笑えない冗談ね」
エリスさんが顔をしかめる。
「でも、私は誰かの道具になるつもりはありません。私は私の足で歩いて、私の目で見たいものを見る。それだけです」
「……ふふ。そうね。あんたはそうでなくっちゃ」
エリスさんは優しく笑って、私の頭をクシャクシャと撫でた。
「さて、お腹も膨れたし、次はどうする? 今日はもう宿に戻る?」
「いいえ。せっかく地上に戻ったんですから、もう少し羽を伸ばしましょう!」
私は立ち上がり、ピヨの背中に飛び乗った。
「行きますよ、エリスさん! 空の上から、この街の美味しいもの巡りです!」
「ええっ!? まだ食べる気!?」
「キェェッ!」
ピヨが嬉しそうに翼を広げ、私たちは再びランパードの空へと舞い上がった。




