晩餐会ののちに
エルドリッジ子爵の屋敷を後にした私とエリスさんは、どちらからともなく、足早に宿屋への道を歩いていた。先ほどまでの華やかで、しかし息の詰まるような晩餐会の空気が、まだ肌にまとわりついているようだ。
「……はぁ。心臓に悪いわね、貴族の相手っていうのは」
宿屋「風追い人の羽根亭」の、私たちの部屋に戻るなり、エリスさんが扉の前で深いため息をついた。
「剣を交える方が、よっぽど気が楽だわ」
「同感です。あちらは、言葉の裏に刃を隠していますから」
私は鍵を開け、部屋の中へと彼女を促す。ランプの柔らかな光が、緊張で強張っていた私たちの心を、少しだけ解きほぐしてくれた。
「それにしても、リィア。あんた、本当にすごかったわよ」
エリスさんは、ベッドにどかりと腰を下ろすと、感心と呆れが混じったような顔で私を見た。
「あの子爵と、王都から来た嫌味な貴族……まとめて二人とも、完全に手玉に取っていたじゃない。見ていて、少しだけスッとしたわ」
「いいえ、手玉に取った、というわけではありませんよ」
私は外套を脱ぎながら、静かに首を横に振る。
「私は、ただ挨拶をしただけです。『私という存在は、あなた方の都合のいい駒にはなりませんよ』と。……まあ、少しだけ、こちらの言い分も聞いてもらいましたが」
「それが、ただの挨拶で済むなら、冒険者なんて楽な商売よね」
エリスさんのその軽口に、私もつられて小さく笑った。
だが、その笑みはすぐに消える。
「……ですが、エリスさん。状況は、あまり良くありません」
私はテーブルの上に、このガルドランの簡単な地図を広げた。
「エルドリッジ子爵は、これで完全に面目を失いました。そして、あのクラウスという男……彼はおそらく、このまま黙って引き下がるような、殊勝な人物ではないでしょう」
「ええ、間違いないわね。あの蛇のような目……。次に会う時は、もっと厄介な手を打ってくるわ」
エリスさんの声に、歴戦の冒険者らしい険しさが戻る。
「どうするの、リィア? いったん、この街を離れる? それとも、どこかに身を隠す?」
それは、最も合理的で、安全な選択肢だった。
「……いいえ」
私は、地図の上を、指でそっとなぞった。
「逃げるのは、私の性に合いません。それに、少しだけ、見えてきた気がするのです。彼らが、この迷宮で一体何をしようとしているのか、その輪郭が」
「……どういう意味?」
「クラウスは言いました。『我々が王都から極秘に進めている計画』、と。そして、ジャックさんの話では、王都の人間が血眼になって探しているという、『人を操るアーティファクト』が、すでに出土している」
「――勇者、アーティファクト、そして、迷宮。……偶然にしては、少しだけ、出来すぎていませんか?」
私のその呟きに、エリスさんははっとしたように顔を上げた。
「まさか……!」
「ええ。断片が、多すぎるのです。彼らがなぜ、すでに手に入れたはずのアーティファクトを使い、事を起こさないのか。なぜ、勇者という最強の駒を持ちながら、さらに別の何かを求めるのか」
私は、ギルドで見た、結城大和と葛城隼人の、あの険しい表情を思い出していた。
「……分からないことだらけです。ですが、その答えに繋がるであろう、一つの場所だけは、はっきりしています」
私の指先が、地図の外、さらに下層を指し示す。
そこにあるのは、一つの巨大な裂け目へと続く道。
「――ランパードの、大迷宮。その、さらに奥」
その言葉に、部屋の空気が張り詰める。
「……なるほどね。話は、見えたわ。で? 私たちは、どうするの、リーダー?」
彼女のその、信頼に満ちた問いかけ。
私は、彼女の目を真っ直ぐに見つめ返し、静かに、しかし力強く、告げた。
「ええ。私たちのやるべきことは、一つです。――その答えの欠片を、探しに行きます」
その会話を最後に、私たちの進むべき道は、はっきりと定まった。
ガルドランでの、これ以上の長居は無用。むしろ、危険だ。
---
翌朝、私たちは誰にも告げず、夜明け前の薄明かりの中、宿屋を後にした。
ピヨの背に乗り、ガルドランの街を遥か上空から見下ろす。朝日が、巨大な中継都市の建物群を、ゆっくりと黄金色に染めていく。
それは、私たちが、この街で過ごした短い、しかし濃密な日々の終わりを告げる光景だった。
---
数日後。大迷宮、第19階層。
第20階層へと続く、最後の関門とされる場所。
私とエリスさんは、焚き火の揺れる炎を、静かに見つめていた。
私は、膝の上に広げた地図に記された、赤い印を、そっとなぞる。
「第20階層……」
王国の計画、勇者たちの動向、そして、アーティファクトの謎。
全ての答えが、この先に眠っているとは限らない。
だが、この迷宮で、最も深く、そして、最も謎に包まれたこの場所に、その手がかりが眠っている可能性は、極めて高い。
「理解を超えた一撃、ですか」
エルリックさんの言葉を、思い出す。
私は、傍らに立てかけてあった杖を手に取った。
「……いよいよ、明日ね。準備はいい?」
隣で、剣の手入れをしていたエリスさんが、静かに問いかける。
「ええ。ですが、少しだけ、気になっていることがあります」
「何よ?」
私は、焚き火の向こう、第20階層へと続く、暗い洞窟の入り口を見つめた。
「あの番人……本当に、ただの番人なのでしょうかね」




