契約魔女の移住ライフ~外伝 主にレリウーディロス=ヴァルセアスの回想
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それでは開始です
玲瓏なる装飾の壁で囲まれた廊下で歩を進める存在がいた。
彼は冥界全域と住人、そして貴族を統べる絶対君主である。
冥界の政に関わる最終決定権を有し、諫言こそ出来たとしてもそれに意を唱える者は存在しない。
威容あふれる美貌とその身を包む絢爛な衣からしてそれは明白であった。
——彼、レリウーディロス=ヴァルセアスは居城たるエディフィスの玉座の間から離れ、別の部屋を訪ねていた。
そこには、
「あらお兄様、御機嫌よう」
「健在そうで何よりだ」
眩いまでの金の髪はふわふわとしており、かなりの長さを誇っている。
本物のルビーとも見紛う色合いの双眸。
透き通った白い肌。
兄の容姿に酷似した可憐な美少女がヴァルセアスの来訪に気付き、丁寧な挨拶をする。
彼女の名はレリウーディロス=リリートゥリス。
兄妹と言っても親と呼べるものは存在しない。
……ただこの世界で最初に生まれたのがヴァルセアスで、次がこのリリートゥリスだったというだけ。
公に発表している年齢についてヴァルセアスはおよそ8000歳程度としているが、実際にはそれを大きく上回っている。1万年と数百年以上も生まれたばかりの姿のまま生き永らえているのであった。
自分達がどうして悪魔としてこの世界で最初に生まれたのかについては、自身で考えたこともあるし妹とのちに設立した貴族とも話し合ったこともあるが明確な答えは未だ出ない。それでいいのだろうと結論付けた。
ただこの冥界—いつも冥い世界だからそう名付けた—は生存するのに何ら不自由はなかった。
食事、呼吸すら要らず永く生きる体だというのに大気はどこまでも澄んでいる。肥沃な大地に海、湖、そして大河がある。
そして魂に残存する魔力を利用した技術—魔術という存在—を間もなく知った。
それを用いて、君主とその一族には居城が必要と断じた。エディフィスー二人だけの居城というより住処ーを創造した。法を整備し、二人は同じレリウーディロスを姓として名乗るようになった。
最初こそ二人きりだった世界のあちこちにもやがて同胞と呼べる個体が生まれてきたのだ。同じ角、翼を携え永く生き続ける同族の悪魔が。
その頃には二人の世話係となるような、エディフィスで働く侍女などを始めとした使用人を召し抱えるようになっていた。
皆が兄妹二人を常に畏敬し敬慕し、居城の中でも特に粛然とした玉座の間では絶対者とその実妹として丁重に接した。
絶対君主という地位を市井に知らしめ、支配権はこちら側にあると徹底させた。戯れの範囲で行う食事と湯浴み以外の時間を二人は玉座の間で過ごしていた。
それでもたまには街に出かけたい時もある。
「お兄様、たまには外に出たいです。庭園の薔薇の香りを感じるのも素晴らしいですしバルコニーから眺めるのも良いですが、エディフィスの敷地内から出かけたいのです……いけませんか?」
「リリーよ、そなたへそこまで思い詰めるほど負担をかけていたとはな。良かろう。余と共に市井を散策するというのはどうだ?」
「お兄様が玉座の間から離れるのは……私はお兄様と一緒なら嬉しいですけれど、その」
都市計画を作り上げているうち、視察を兼ねた街中での散策中に。
「お兄様、あちらにいる方はどうでしょう?」
「あぁリリー、余も今から声をかけようかと思った者だな」
「そなたはどうして増えたか知っているのか?」
「どなたかと思えばこれはエディフィスの主人、この冥界の絶対君主ではないか。何となくだけど、僕はその仕組みを確立させたらしい。頭数はどうするのかい?」
「確立させた、か。そのくらい好きにせよ。何せ冥界は広大な大地なのだからな」
「人口密度ってやつを前提として考えるか、我が主人よ」
特に紫紺色の長髪をしている少年は知識に長け、この世界を統べるのに大いに役に立ってくれた。
だから長髪の彼—べレイクスという名—をエディフィスに招いた。そこでヴェルクローデンという貴族の地位と称号、そして冥界の一部を統治する権利を授与した。
少年姿だったべレイクスは身長が伸び、やがてそれも止まった。魔術を行使して身長を縮めたり伸ばしたりして遊ぶこともあり、その姿は誰よりも自由に思えた。
世間に広めた魔術の研究を誰よりも愛したのがべレイクス卿だった。
暦の概念を知っていたので数えると数百年もしないうちに数千種類以上の魔術を発明、あるいは改良していた。頻繁に引きこもってはヴァルセアスからの呼びかけのみ応じるなど日常茶飯事だった。
「べレイクス卿〜? お兄様がお呼びですよ」
「……………」
「リリー、残念ながら其奴は余でなくば応じぬぞ」
「そんなぁ……ひどいです」
そういう欠点さえ除けばべレイクスはよく機転が効き、自らの領地をよりよく支配した。魔術による気象操作で効率よく農作物を作り、収穫できる仕組みを作り上げた。
その後ナルキアス家という貴族には東部の領土、そして事あるごとに重要な場での司会を任せた。御前会合、そして収穫祭。
その他北部を統治する貴族としてムンデス家。特に重要なこれらの貴族にはエディフィスへの自由な入城権を与えた。
収穫祭の最中。
「余はそなたを信頼、信用している。故に友とならないか? 引き続き西部を支配してくれ」
「それは私としても願ってないこと。あぁ、我が主人が友ともなるなんて。私は引き続き技術開発に取り組むよ」
「主人、か。そなたを単なる従者ではないと思っているのだが?」
「それならば、契約という形の魔術はどうだろうか?私が従者にして友の役割を果たそう」
その年まで寝かせておいた、ヴェルクローデン領で収穫したブドウから造り出したワインを酌み交わす。
べレイクスはその場で、否、以前から試作していた契約の術を完成させたのだ。
べレイクスは魔術に関することであれば勤勉だった。
ただし、領地経営については二の次。それでもどの貴族より優秀だった。ヴァルセアスが察するに魔術の開発の片手間で領地経営を行っていたのだろう。
全く、とんだ者を貴族にしてしまったな。貴族として優秀なのか判断がつけ難い。
友、それ以前として同胞には間違いないのだが……。
双組の玉座の間にて。
「お兄様、またお顔が険しいですよ? 何かお悩みならどうか私に」
「いや、べレイクス卿のことだ。統治に力を入れて欲しいのだが、なかなかな」
「かの方は技術開発まで担当していますからね。しかし、べレイクス卿でなくば実現出来なかった術が多数あると聞き及んでいますよ」
「そういうことだ。今しばらくそうさせる他ないな。そうだ、また彼が新たな術を発明した。召喚、と呼んでいた。好きな時に召喚し、呼び出せる仕組みだな。契約と組み合わせれば効力も強ければ束縛力も強い」
「なんと! また便利になっていくのですね。あのですね、私だって彼には感謝しております。ただ、私からでも伝わっているのかどうか……」
リリートゥリスは絶対君主の実妹らしくない、ルビー色の双眸を潤ませた不安げな表情で兄を見上げる。
「彼奴は自己表現の手段が術だというだけ。リリーのことも敬慕しているだろうに……べレイクスには感情を伝える魔術でも発明させようか?」
「それもありかも知れませんね。彼みたいなのはそういうのが一番苦手そうですけれど。それと、お兄様に申し伝えたきことがあります」
「……聴こう、リリートゥリス。いや余はそんな態度そなたに求めていないのだが」
兄と妹とはいえ立場はほぼ平等、だから玉座も二組とも同位置に置かせたのだと思っていたが。胸元に手を当てそう伝えようとする妹の姿はまるで主人に進言する配下のようで。
「お兄様が絶対君主であることは周知の事実。お兄様が貴族位の称号を与えた方々も、その辣腕で侍女達使用人も勤勉です。だけども、お兄様には絶対君主という地位しかありません。なので私はお兄様が冥魔帝の称号を得るとよいかと存じます」
近頃量産が可能となり市民階級にも、広く流通するようになった紙にさらさらとリリーがその単語を書いていく。
「ほぅ、冥魔帝とな」
字に表せばなるほどそのまま、冥界に住まう悪魔達を支配する帝に相応しい。
知らないところでそのようなことを考えていたとは……感心するほかない。
そして何より、妹として愛おしいのだ。
「流石だなリリー。余はこれより冥魔帝の称号を自分自身に授与することとしよう」
「これでお兄様は冥界における絶対者です。その権利を何人たりとも侵すことは能わないでしょう」
この儀式を経てヴァルセアスは冥界を支配する絶対君主、冥魔帝の地位及び権力は永遠に存続するものとなった。
……幸福だった。
既に一千年の年月を経ても老いずにいられる体、どのような動物よりも圧倒的な力、不壊の魂、そして圧倒的な絶大なる魔力。
肥沃な土地を最大限活用して統治する優秀な、しかし少し困った貴族達。
何でもと言うわけでもないがこちらの問いかけに応じてくれる美麗で聡明な実妹。
適度に勤勉で冥界に尽くし適度に休息の取れる市民達。
だからこのまま妹と支配を続ければそれで良いのだと思って、いた——
……その日は何でもない日だった。
いつも通り身支度をして食堂で同じテーブルについて朝食をとり、玉座に座して、それから遠見の術で街を眺めて、それから——
「ソレニア、ソレニア!」
リリートゥリスは初めて耳にした自身の感情が発露している声に驚愕を隠せないながらも、自分によく仕えている側仕えの侍女の名を呼ぶ。
「リリートゥリス様? 一体どうなさったのですか!!」
「お兄様をお呼びして! 私は何だか眠いので、……」
「リリートゥリス様!!」
敬愛する主人たる妹君はその場で倒れ込み、豊かなまつ毛の一本すら動かさないでいる。ソレニアは即座に緊急事態と判断し、不敬ながら主上を呼び立て荘厳なる玉座の間に足を踏み入れた。
ソレニアはこの上なく丁寧なカーテシーの姿勢で奏上する。
「厳正なるこの場で不敬極まる行為、どうかお赦しくださいとも申せません。ですが主上の妹君であらせられるリリートゥリス様が気絶なさいました」
「挨拶は結構。それより何、だと? リリーが気絶したと云うのか? 有り得ぬが、そなたの側仕えは数百年に及ぶ。真実であろうな」
「はっ。現在では寝室にて眠られております。ただ、目覚められる気配がないのです」
主上は直ちにリリートゥリスの寝室に向かった。
「リリー! リリー!」
主上の絶対零度の表情に亀裂が走る。俗っぽい言い方をするなら必死なのだ。それも当然であった。
「こんな時に使うとは……!」
生まれて初めて歯を食いしばりそして、ここで初めてべレイクスを召喚の術で呼び出した。
「召喚だと? 一体何が……我が主人、これは?」
「べレイクス卿よ、我が妹が気絶したと思ったら眠ってそのままだ」
「委細承知」
べレイクスは寝台で横になっているリリートゥリスに近付く。時折その名を呼んだりしていたが、やがて
「これは妹君の魔力がひどく不安定だ。数値化すると零或いはそれより負の数になることは決してないがな。我が主上よ、この事態はどうされる? 妹君の容体が安定しないなど冥界の民を不安にさせる可能性がある」
そう淡々と現状を述べたのだ。しかし、兄には疑念点しかない現状でしかない。
「……昨日までリリーには何もなかった。今朝顔を合わせた際も同じだ。我々には毒が効かなければ薬というものも効かぬ。リリーが目醒めるのを待つしかなかろう。そうだな、市井にはリリーが休暇を取ったと説明する。その代わり、余がリリーの分だけ働けば良いではないか」
「そうですかい。私はしばらくエディフィスに滞在させて貰おう。妹君の側にいたいけれど、本当にいて欲しいのは兄たる主上だと思うが?」
「そうさな。リリーの兄は余ひとりを於いておらぬ。他の貴族達にも協力させるとしよう」
その日の夜、今にも日付が変わりそうな時刻の頃。
「……べレイクス卿、お兄様は?」
リリートゥリスは目覚めていた。寝台で上半身を起こしながら。
「我が主人であれば公務の終わり頃だ。もうすぐでここを訪れる手筈となっている」
「私、自分でも分からない内に倒れて、それから……ソレニアは?」
「妹君の侍女は落ち着いているよ。多少取り乱していたがね。いつでも冷静でいられるよう教育が足りないと見た」
「ソレニアは私によく仕えてくれています。どうか彼女を労い、そして休息を与えて。貴女の言うような罰や教育などは不要です」
「む、そうか……」
意気消沈するべレイクスの姿を見て、妹君は微笑む。数日ぶりに見る笑顔だった。と思えば笑顔を一切合切消して——
「……べレイクス卿、いずれあなたも私と同じようになります」
「——はい? 妹君、あなた様は今なんと」
「……理由は言えませんが、何故か分かるのです。分からないから理由が言えないのですが。私、変なこと言ってますよね?」
「……その容態になった者は同じようになる個体が判別できるということか。ならば、ならない者も同時に分かるというのですか?」
「取り留めのない言葉にもご理解いただき感謝します。そうです、それで言いますとお兄様は私と同じようにはなりません。それは絶対に」
「……いったん私は失礼する。すぐに兄君がいらっしゃる。また来るよ。妹君が目覚めている間は魔力も安定しているから」
「リリー! 待たせてしまったな」
「お兄様! 待っていましたよ、お陰でべレイクス卿との話が盛り上がるところでしたよ」
ヴァルセアスが背中に携えた漆黒の翼をはためかせ、寝室に飛来してきた。
「べレイクス卿が私のソレニアには教育が足りないのだとか言うんですよ! 彼女の教育担当は私なのに……」
それからリリートゥリスは一日の半分近くを睡眠に費やすようになった。
「皆さんに世話をかけてしまってごめんなさい。けれど私はいつか必ず目覚めてみせます……この書類をお兄様へ渡してください」
リリートゥリスは表に出られないことを何度も兄はおろか侍女や使用人にまで謝罪し、本来自分がこなすべき公務の大半を起床時に引き受けた。
絢爛な双組の玉座に座すのはヴァルセアスのみ。
「——絶対君主は二人ではなくなったというのか? これでは余ひとりが絶対君主ではないか」
違う。絶対君主は二人いてこそ。リリートゥリスと二人で冥魔帝だというのに。
泣き言など言っていられない。うかうかしていられないうちに十日が、あっという間にひと月が、そして半年が、それから1年が過ぎた。
十二分に余った魔力でもべレイクスを召喚することすら億劫になってしまい彼をエディフィスへ滞在という名目で常駐させることにしたのはリリーが眠ってから十日後。
リリーは無理にでも起床を続けようとする。それはそうだ。数百年もの間ずっと睡眠など不要で来たのだから。
冥界の他に異界はもう一つあったが、長らく動物のみが生息していたので放置していた。
ヴァルセアスが公務の合間にその異界を魔術で遠視していた時。
「……ん? なんだこの生物は」
角も翼もない、二足歩行の生物が異界のあちらこちらに出現し、生活を送っていた。
ただしその文化レベルは非常に悲惨だ。
一計を案じ、
「そなたにあの異界の探索隊長の位を授ける。光栄に思うといい」
「……我が主人よ、かんでも新しいこと始めるときに私になんでも間でとりあえず投げつけるのだけはどうかやめにしてはくれないか?」
「それだけ信頼しているということ。お得意の隊員に任せて報告書の提出だけやるというのでも許そうぞ」
べレイクスの人選で隊が結成され、本格的に異界の調査が開始したのだが……。
「なんだあの生物は! 少量の食料を寄越しても分け与えずに争い、その量が多くなるほど余計に争いが発展するではないか! 土地にしてもそうだ、住宅地以上の広さを求めるではないか!」
べレイクスは報告書を読み、それからすぐに激昂し高級なペンを執務室の机に投げつけた。
主上に献上する報告書を叩きつけなくて良かったとひっそり安堵する隊員だが、隊長の感情は非常によろしくない。
「た、隊長、ペンが……」
「あぁ済まない、目に余るあの愚かさに思わず感情が昂ってしまったが、君達に当たるつもりはない。君達はよくこの任務をこなしてくれた。今は休め」
「はい。お疲れ様です、隊長」
「あぁ、お疲れ。私は決めた。あの異界に絶対足を踏み入れるのは最大限遠慮すると。ましてや現地民と会話など冗談が過ぎる」
生存に一定以上の食料と水が必要なこと。あの日光というものの傾きによって一日内における外の明暗が変わること。
その他含めて、人間というものはあまりにも違いが大きすぎる生物だということ。
「それからなんですが……」
「ん? 何だまだ報告書が欠けていたのか」
副隊長が一枚の報告書をべレイクスへ渡す。さして何もない単なる覚書だと見ていたが……
「実は……魂があることは分かっているのですが、我々の手で自由に取り出せるということが判明しています。ですが一度そうしてしまえば人間の生命はそこで尽き果てる。治癒も一切不可能です」
「……何?」
自分で投げつけたペンが壊れていないか確認していたべレイクスの手がそこで止まる。
この空間がなにがしかの術で停止したような錯覚がした。
「その論拠はあるか?」
「確認したいのはやまやまですが、実践するには生きた人間がどうしても必要なので……どう確認されますか?」
「は?」
「ですからこれには隊長の目でご確認いただきたいのです。なのでこの冥界に一人の——」
「何を言っているんだ? この冥界に人間を立ち入らせるだと? ふざけるな! それだけは我が主人に確認しなければならない。分かった、これは重要な情報として受け取ろう。休め」
副隊長は一礼し、その場を去った。この場にはべレイクスが残された。
べレイクスは使用人を呼び、自分の領地で醸造されたワインをひと瓶丸ごと飲み干した……。
ほぼヤケ酒に近いが、酒で酔うことはないし生命の危険もない。
感情を抑制するには最適であった。
「やれやれ……やりたくない仕事ばかり増えるじゃないか。私はなんでも屋ではないのに」
使用人は主人の愚痴に対し黙秘する。ただ給仕すればいいのだから。
果たして、主人に問う日が来た。
人間を冥界に入れていいのか、否か。
これほどまでにエディフィスへ立ち入る際の気分が下がるとは思ってもみなかった。
仮にも友だ、顔を合わせるのが嫌ではない。主上の気分やこの一連の報告書(事前に複製して主上へ献上した)からしてべレイクス自身が報告書通りの低俗で愚図な人間などと関わりあうことを断固として拒否したいだけだ。
「ようこそいらっしゃいました、べレイクス卿。主上はいつも通りの場でお待ちしています」
「あぁお勤めご苦労」
控えていた侍女に挨拶をする。もっと他の貴族も、侍女にも挨拶をする習慣をつけさせなければと思いつつ。
「妹君、そしてソレニアは元気か?」
「はい、お二方とも。リリートゥリス様も起床される時間が長くなりつつあらせられます。ソレニアもお仕えしております」
「……そうか」
あれだけ快活に話していた妹君が眠り、まだ”目覚めていない”と思うと、何とも言えない気持ちになる。
「あぁ君、妹君はいつ目覚める?」
「それは恐れ多いので私めの口からは申せません。ですが、一刻も早く目覚めてくだされば主上の御心が平穏になられるかと」
それは侍女として満点すぎる回答だった。彼女を侍女長に推薦してもいいと考えるくらいには。
開いた扉を通り、主上に顔を合わせる。
玉座の上の主上はいつも通りの威容に見える。
「我が主人よ、件の報告書は読んでいただけただろうか?」
「あぁそうだ、勿論だ我が友よ。実際に異界へ赴いたのはそなたではなかろう? 隊員達にはそなただではなく余からも労うとしよう」
「それなら彼らも間違いなく喜ぶだろう。それはともかく、主上よ。報告書についてと、冥界に人間などという生物を入れるということについて、是非を」
「それについてだが……そなたには立会人となってもらおう。此度冥界に人間を立ち入らせる件について了解した」
「……我が主人よ」
「余とて本来であれば反対だ。しかしだな……もし人間の魂が我らの口に入るとしたら? そうなれば……あの異界を人間と動物の世界にし管理するというのはどうだ?」
「その管理……もとい支配も私がその一端を担うのだろう?」
「そうだな。その通りになるな、報告書だけ提出しただけの隊長殿」
「……その報告書についてだが、魂に関する文は副隊長による報告だ」
「それについては、私も意見があります! どうか参加させてください」
「リリー!」
「妹君!」
「私のことはどうかリリーと。お久しぶりです、べレイクス卿。私が眠ってしまっても世話をしてくれてどうもありがとう」
「余は我が妹リリーの意見も聞きたかった。参加を許可しよう」
「お兄様、その魂を最初に食べる権利をどうか私にくれませんか?」
「いいや、リリー。その権利は兄である余にあると思え」
「どうしてですか、お兄様? 確かにお兄様は見目麗しくて聡明で誰より強くいらっしゃいますが、それとこれは別の話だと思っています。私がもし人間の魂を食べて目覚めるとしたらどう思います?」
「それは仮定の話であろう、リリーよ。ここはそう、余と二人で最初に口にするというのはどうだ?」
「……お兄様にしては随分と妥協しましたね。いいでしょう、その案を呑むとします。いいですか、二人同時にですよ?」
「——それだと二人もの人間を入れることになるが、それでも良いのか?」
「人間という生物が愚かだというのはよく分かりました。それでは、人間が余計なことをしたり暴れたりしないように拘束するというのはいかがですか?」
そう、リリートゥリスは兄を通じて件の報告書に目を通していたのだ。
リリートゥリスは兄を聡明だとよく称賛するが、妹もまた快活ながら聡明であった。
「成程。リリーはやはり我が妹。拘束して連行とは頭が回っているではないか」
「人間の作った武具も私達には通じませんが、それでも何かあっては困ります。なので必要な措置です。いかがでしょう、お兄様?」
ヴァルセアスは思案する。が、それは決断を下すまで時間はそう要らなかった。
「そうさなリリーの言う通り、人間は例外なく四肢を拘束し余計な言葉も喋らせないとしようではないか。全くリリーよ、我が妹は思いのほか人間とやらに優しくないらしい」
独り言ちるヴァルセアスの口許は嗤っていた。
人間の魂の味に対する期待感かもしくは高揚感か。
…
……
………
いかなる仕組みなのかは不明だが、体が時を経るごとに朽ちていく。
「人間の体が……」
「人間は肉体を持っているが、余達のような者と体を構成する要素が違いすぎるということか……。肝心の魂は獲れたか?」
「はい、こちらに確保してございます」
「では、頂くとしよう」
「頂きます……これは!」
魂を口に入れて最初に感嘆の声を上げたのはリリートゥリスだった。この反応からして魂に味があるというのは間違いない。
「人間の魂というんですかこれ、美味しいです、お兄様! また食べたくなりました」
「そうかリリー。それではべレイクス卿や他の隊員にも分けるとするか? 我が友には人間の肉体を冥界でも維持できる術を開発させよう」
「お兄様の言葉通りべレイクス卿には人間の魂を与えるのと、新たな術開発をして貰おうじゃありませんか! 彼ならすぐに開発出来ると信じています」
「——という訳で呼んだぞ、我が友よ」
「話は既に耳にした。人間共の肉体を冥界でも維持させる術開発? 私には主上から賜った領地経営という重要な責務があってだな……ワインの生産量を上げるのも一苦労なんでね」
「ワインの話は今は結構。領地経営について、我が友が有識者に一部委託しているという話は聞き及んでいるが? 世の為にひと働きして貰おうではないか」
「……致し方ない。術の研究にも兼ねられるし、受諾した我が主人よ」
魂の確保は一定の人員に任せ、職業の体系化を図った。その職業名を主上自ら狩人と呼称し、一般に広く浸透した。
狩人は魂を狩る都合上、人界に滞在する必要性がある。人界に居なければならないもののその分手当金が比較的高く安定して稼げることから、瞬く間に人気の職業となった。
それとは別に、リリートゥリスの眠りも短くなり活動時間が徐々に増えていった。公務に復帰する場面が多く見られるようになったのだ。
リリートゥリスがべレイクスもいずれ眠りに就くと断言したことから、眠る者は同じ眠る者の判別がつくと結論づけた。
逆に言えば、眠らない者も一定数いるのだと。市井が皆そうなってしまえば冥界は維持しにくくなる。
これらの現状から眠りの存在を市井に公表する決定を下した。
リリートゥリスも判別出来るが、伝えるのは相手が酷だと苦渋の判断でエディフィスから基本的に動かないと決めた。
そうなると眠る者とそうでない者を判別するという、べレイクスの仕事がまた増えたのだ。
「魂を食べても食べなくとも魔力安定には一切の関連性がないと言うのだから……また私の仕事が増えただけだはないか」
お読みいただきありがとうございます
本作が本編の補完要素となっていれば幸いです