8 転移の準備(2)
グラビスは説明を始めた。説明は詳細にわたり、三人は日本でやっていた受験勉強よりも大変だとすら感じたが、なんとか乗り切った。
地球では通貨は基本的に国ごとに違っていたが、グラビスニアの通貨は驚くべきことに世界共通の「ヌーマス」であった。
各国が通貨の発行権を持っており、同じ100ヌーマス硬貨でもデザインは国によってまちまちだ。だが硬貨に描かれている数字を見れば何ヌーマス硬貨なのかは間違いようがない。
暦については1年が146日と短いことが地球との極めて大きな違いだ。これは季節が一巡するのが146日だからなので仕方がない。
グラビスニアにも地球と同様に四季があるが、地球とは違い各季節の日数がきちんと決められていて完全に暦の一部になっている。四季の単位は「季」で、夏と冬が36日、春と秋が37日である。
「季」よりも短い期間の単位として地球での「月」にあたるものは存在しない。「季」は36日もしくは37日なので、地球の「月」の役割も持っている。
一日の長さは地球とほぼ同じだが、24時間ではなく12時間制であり、グラビスニアの1時間の実際の長さは地球の2時間にあたる。
1時間は60分、1分は60秒なのは同じなので、時分秒はいずれも地球の実際の時間の2倍ということになる。
1年が146日と地球の4割なので、グラビスニア人の年齢は地球人の2.5倍になる。地球の20歳にあたるのはグラビスニアでは50歳ということだ。
なので地球で18歳のティアとカノンは45歳、地球で19歳のフウカは48歳だと自分に叩き込んだ。
グラビスが最後に付け加えるように説明した。
「グラビスニアでは国境を超えるときに、出身国が発行した「ディアバティーリオ」、モンドスニアの地球でいうパスポートみたいなものを提示する必要があります。地球でのパスポートと同様に外国に行った場合には命の次に大事なものになります。ディアバティーリオもお渡ししますが、あなた方はオフトルスタンの人間として外国であるジポーンに行くことになりますから、絶対に無くさないように気を付けてください。身分を証明するものはそれしかありません。」
そこまで話すと、グラビスはやりきったという表情で口を噤んだ。その姿を見て話は終わったと三人にはわかった。しばらくの間、誰もしゃべらなかった。
グラビスが何を考えているのか三人にははっきりとはわからなかったが、負い目を感じているように見えた。それを見て、ティアは「今さら何なんだろう」、カノンは「後悔するくらいなら初めからしなきゃいいのに」、フウカは「なんだろ」と三人三様のことを考えていた。
気まずい沈黙を破ったのはティアだった。
「ありがとうございます。でも「必要最低限の措置」っていう割にはずいぶんいろいろなことするんですね。」
「それだけ「転移」の影響は大きいということです。」
ティアは皮肉で言ったのだが、グラビスにはまったく通じなかったようで、わたくしも大変なんですよ、と同情を引こうとするように言うが、
「自分の楽しみのためにやったんだから自業自得じゃないの。」とティアにバッサリ切られて落ち込んでいた。
「そう言えばなんだけど、異世界転移とか転生の場合、チート能力とか高い地位とかをもらうのがお約束だと思うんだけどそういうのはないの?そういうのがあればエンタメの普及だってお茶の子さいさいだと思うんだけど。」
期待できるとは思っていないものの、カノンがグラビスに尋ねた。グラビスは開き直っていた。
「ありませんよ。わたくし神様じゃないんですよ。生存のために必要な最低限の措置っていったでしょう?チート能力とか高い地位なんて最低限の訳ないじゃないですか。」
「あんたにはがっかりだわ。」カノンは言い捨てた。なかなか剣呑な雰囲気になってきた。
そんなことをしている内に転移のタイミングがやってきて、グラビスはようやくこの三人から解放される、とほっとして
「そろそろです。心の準備はいいですか?」と声をかけた。
ふざけんな、そんな簡単に心の準備ができるわけないじゃん、異世界転移だよ、転移、と三人は思ったが口には出さなかった。口に出していたらまたグラビスを凹ませていたことだろう。
「それでは転移させます。どうか頑張ってわたくしの世界にエンタメを根付かせてください。」
グラビスがいい笑顔で言うが、三人は「はいはい」と流した。
その瞬間、三人の目の前の空間がぐにゃりと歪んだように感じ、直後、周囲の様子は一変して、三人は舗装されていないまっすぐな田舎道に立っていた。
三人がいなくなった空間でグラビスはやって行ってくれた、と安堵した。そして、自分が転移を申し出たときにモンドスが拒絶してくれてたらこんな目に合わなかったのに、今度痛い目に遭わせてやる、などとまたしても身勝手なことを考えた。少し落ち着くと今度は、あの三人がうまいことグラビスニアにエンタメを根付かせてくれるだろうか、と不安に駆られていた。