動き出す歯車
「遅かったわね、ハク。私をこれだけ待たせたんだから、ちゃんと買ってきてあるわよね?」
はいと言わなければ今すぐ殺すという意志がひしひしと伝わってくる。それに口元は笑っているのに目が笑っていない。
「いや、そ、それがですね、電話の後すぐに行ったんですけれども、ちょうど売りきれてしまいまして…」
そう言った瞬間、俺の保護者である如月 蘭の顔が鬼のような形相になった。心なしか角も見える。
「売りきれたですって? そんなんで私が納得するとでも思ってるの?」
「思っておりません」
「明日絶対買ってきなさいよ」
「承知いたしました」
今日は案外早い段階でお怒りが静まった。なにか他にいいことでもあったんだろうか。ていうかそもそもそんなに欲しいなら自分で買いに行けばいい。どうして俺が行かなくては行けないんだ、面倒くさい。
「今なんかめんどくさいとか思った?」
「とんでもごさいません」
「そうよね。この間、どうしても欲しいって言ってたゲームのソフトを発売日に買いに行けないからって、私に買いに行かせたのはあんただもんね」
「感謝してます」
「その借りを返すって言ったのはあんたなんだから」
先日発売された新しいゲームソフトを発売日に買うつもりだったのだか、運悪く試験日と丸被りしてしまい、どうしても発売日に入手したかった俺は蘭に頼んで買ってきてもらった。それも結構並んだらしい。
その見返りとして蘭が俺に求めたものは数量限定で発売されるいちごタルトだった。なんでもそのいちごタルトは1年でたったの2日しか販売されず、その1日が今日だった。つまり、いちごタルトを買うチャンスがあるのはもう明日しか残っていない。
「それで、なんで買えなかったのよ。忘れてゲームしてたんじゃないでしょうね」
それもないとは言えない。実際放課後友達とゲームをしていたときはすっかり忘れていた。でもちゃんと思い出したし、今回は俺のせいではない。
「変な奴にあったんだよ」
「変な奴?」
「あぁ、手紙も渡された」
俺はあの時少年から貰った手紙を蘭に渡した。
「まだ読んでないの?」
「なんでもそれを読むと俺の人生が変わるんだと。今までの生活は送れないって」
「なにそれ。意味わかんない」
俺にだってよくわからない、後悔するとも言われたし。でもなんだか俺はこの手紙を読まないといけないという気持ちがしてならなかった。
「これってイージス学院からの手紙じゃない?」
手紙をまじまじと見ていた蘭が突然そんなことを言い始めた。
「イージス学院?」
「ほら、この紋章。あんたたちに来た入学の招待状と同じ。まぁあんたは行かなかったけど」
「それってレンの行ってる?」
「そうそう、でもなんで今さら手紙なんて寄越したのかしら」
イージス学院、それは俺の双子の弟である如月蓮が通っている学院だ。超名門で優秀な人材を育成するための学院らしいが、その学院が何処にあるのかは学院関係者しか知らない。
1年前、俺たち双子が中学3年生だった頃、この学院から招待状が届いた。なんでもこの学院は招待状が届かないと入学できないらしい。蓮はせっかくだからと入学することを決めたが、俺はそんな名門性に合わず辞退した。
「ハクは入学を辞退したし、招待状関連じゃないとしたら、レンのことなのかしら」
「レンのこと?」
「だってそれぐらいしかないじゃない、それとも今さらまたあんたに入学の招待状が届くわけ?」
「まぁ、それはないと思うけど」
「ならこの学院から来る手紙なんてレンのことぐらいだと思うわよ」
蓮のことと言われて一気に嫌な予感がした。あの時少年は手紙を読まなければ後悔すると断言していた。このまま手紙を無視して内容を知らずにいれば、俺は蓮のことでなにか後悔するのだろうか。
1度そう思ってしまったらいてもたってもいられなくなり、蘭から強引に手紙を奪い取って無造作に手紙の封を開けた。まだ、蓮のこととは決まっていないし、今ある平穏を失うかも知れないけど、俺は手紙を読むことをやめられなかった。
「なんだよこれ……」
「なんて書いてあったのよ」
その手紙の内容を俺は信じることが出来ず、気付けば家を飛び出していた。
「ちょ、ハク!?」
蘭の声に振り返ることもせず、無我夢中に走っていた。手紙の内容から目を背けるように。
宛もなくただ走り続け、気付けば随分遠くまで来ていた。誰もいなくてたださざ波の音だけが耳に届く。この静けさがより俺の心を不安定にする。その時、こちらに向かってくる足音が聞こえてきた。
「その様子だと手紙読んだみたいだね」
足音の正体は夕方会ったあの少年だった。
「あぁ、読んだよ。なんなんだよあれ。レンが行方不明ってどういうことだよ!」
手紙の内容は、1ヶ月ほど前から蓮が行方不明になっているというものだった。捜索は続けているがいまだ見つかっていないらしい。
「そのままの意味だよ。レンは今行方不明だ。任務中に大きな事故に巻き込まれて、そこから消息がわからない」
「任務ってなんだよ、そもそも学院に入学しただけでなんで行方不明になんかならないといけないんだよ」
蓮が行ったのは名門とは言ってもただの学校だ。高校生が通う普通の学校。軍に入隊した訳じゃないのに、任務だの行方不明だの訳がわからない。
「うちの学院は表向きエリートを育てる名門校だけど、実際はそうじゃない」
「そうじゃない?」
「これは実際に来て自分の目で確かめたほうが早い。君はうちの入学条件をクリアしている。招待状も届いていたでしょ?」
確かに届いたけど、条件ってなんだよ。
っていうかそんなことより……。
「そんなことより早くレンを見つけてくれよ!」
「こちらとしても早くレンを見つけたいと思ってる。レンはうちにとって必要な人材だからね」
「なら!」
「でも簡単じゃない。なにせ場所が場所だからね。それに生きてるかどうかもわからない相手にそんなに時間を割いている暇はない」
「ふざけてんのかてめぇ!」
頭に一気に血が昇った俺は少年の胸ぐらを思いきり掴んだ。時間を割いている暇はないだと? こいつはいったいなにを言っているんだ。
「レンはお前らにとっても必要なんだろ? だったらさっさと見つけろよ!!」
感情に身を任せて少年に強くあたりながらも、心の中では自分が一番なにもできないことに酷く絶望していた。
「僕たちだけじゃ難しい。だから君にも手を貸して欲しいんだ」
「え?」
「手紙にはこうも書いてあったはずだよ。学院に来て力を貸して欲しいと」
行方不明の文字をみた瞬間頭が真っ白になったから、最後まで手紙を読んでいない。だからそんなことが書いてあったかどうかわからなかった。
「その顔、もしかして最後まで読んでないの?」
「う、うるせーな。仕方ないだろ」
「まぁいいけど。最後まで読んでいようといまいと君に残された選択肢は2つ。レンを救うために学院に来るか、それとも無視して今まで通りここで過ごすか」
あの時少年が言っていた今まで通りの生活が送れないとはこの事だったのかと今理解した。学院に行けば確かにここでの生活を失う。しかし、ここに残っても蓮の行方不明を知らなかった自分には戻れない。無視してしまえば俺は現実から目を背けたことになる。
「どうするの? まぁ選択肢なんてあってないようなものだと思うけど。レンは君にとって唯一の肉親だし」
こいつそんなことまで知っているのか。物心着く前に両親を亡くした俺たちは、母さんのいとこである蘭に引き取られて今まで生活してきた。なんでも父さんと母さんは駆け落ち同然で結婚したから頼れる家族がいなかったらしい。そんな時助けてくれたのが蘭だったのだ。
友達夫婦が亡くなって自分だって苦しかったはずなのに、残された俺たちのことを考えてここまで育ててくれた。蘭は俺たち双子にとって大切な家族だ。でも俺にとって血の繋がった家族は蓮だけだった。
「俺は……」
すぐに行くと答えられなかった。どうすればいいかわからない。蓮を助けたい気持ちはある。しかし、本当に俺に出来るだろうか。これらの思いが頭の中をぐるぐるしている。
「今決めなくてもいい。でもこれだけは渡しておく」
そう言って渡されたのは、古びた鍵だった。
「さっき会ったときこれを渡しそびれちゃってね。もし君が学院に来ると決めたら、3日後の午前0時この鍵を持ってまたここに来て」
「え?」
「それじゃあ、またね」
「あ、おい!」
夕方会ったときと同じようにまた突然去ろうとする少年の背中を追いかけようとした時、さっきもらった鍵を落としてしまった。
「なんなんだよこの鍵」
なんの変哲もない古びた鍵。いったいこれをどうしろと言うのだと思いながらさっきの位置に視線を戻すと、少年の姿はもうなかった。
今日は本当に訳のわからないことばかりだ。得たいの知れない少年、イージス学院からの手紙、蓮の行方不明、それにこの鍵、俺の頭で処理できないことばかりだった。
「とりあえず帰るか」
誰に言うわけでもなくそう呟いて、蘭がまた怒って待っているだろう家に帰った。