中途半端な記憶が邪魔すぎて非常に困る件
『中途半端な記憶ならいっそ無い方がありがたい件』の続き
【これまでのあらすじ】
ウキウキしながら某有名ハンバーガーチェーンの新作メニューを手にした帰宅途中、異世界転生のド定番中のド定番、トラックにはねられるというベタな展開でレイレ・ガルシアという少女に転生した〈私〉
どんな世界に転生したのかまるでわからないまま二年が経ち、ようやくここが何の世界か判明する。そして私はこう言った。
「だから記憶がなかったのね……だってモブだもん」
そんな私が物語にちょっと足を突っ込む話。
*
王宮からの緊急招集の詳細は、結局よくわからなかった。そしてよくわからないまま当日を迎えてしまった。
あの日、父は上司のもとへ馬を走らせたが、明確な回答はもらえなかったとのことだ。随分含みを持たせた言い方をされたようなので、もしかすると第三王子に何か問題があるのかもしれない。私が知る限りではそのような噂は聞いたことがない。しかし、子供の耳に入らないようにしているだけの可能性があるため、断定はできない。
私の持っている中途半端な知識はここでも役に立たなかった。本当に無駄知識。
(第三王子の話なんてまだほとんど出てきてなかったもんなあ)
私が知っているのはせいぜい名前くらいだ。
とにかく悩んでいても仕方がないので、モブはモブらしく目立たずお茶会をやり過ごそうと思う。同行者が両親ではなく兄というのが唯一の不安要素ではあるが。
「そんなにむくれないでくれよ、レイレ。ただただ可愛いだけじゃないか!」
今日も兄のシスコンぶりは絶好調だ。この二年で私もずいぶん慣れたもので、このくらいなら軽くスルーできるようになっていた。というより、こんなことをいちいち気にしていたら、兄とは会話ができない。スルースキルを身に付けたというよりは、諦めの境地に近かった。
「どうして同行者がお兄様なのですか?」
「こればかりは僕に言われても困るよ。王家の希望だからね」
「そうなのですか?」
「だからジークフリート殿下にはヴォルフガング殿下がついてくるそうだよ」
「………そうですか………」
なんだろう。意図せず物語の中に入り込んでしまった感覚だ。
例の小説は第二王子がメインヒーローだ。その第二王子であるヴォルフガング殿下が登場するというだけで、少しだけドキドキする。先に言っておくが、決してときめいているわけではない。どちらかといえば恐怖に近い。可能な限り物語とは無縁でいたいというモブ心だ。
「どうやらただの婚約者選びというわけでもなさそうだしね」
「じゃあ一体……?」
「どうやら異邦人を探しているらしい」
「いほう、じん?」
異邦人といえば、前世で有名だったあの曲が脳内を駆け巡った。たぶんそれじゃない。絶対に違う。違うけどもう頭から離れない。
「そう、異邦人。どうもそういう予言があったみたいだよ」
「……予言、ですか」
「きな臭さ全開だけど、上位貴族たちはその予言を信じているみたいだ」
「妙な伝承とか好きですよね、由緒正しいお家柄の方々って」
「呪いとか占いとかに頼って生きている人も多いしね」
前世でもそういうので政権を占うという話はよく聞いた。いつの時代でもどの世界でも呪いだの占いだのは重宝されるようだ。
「その異邦人とやらを探してどうするおつもりなのでしょうか?」
「さあ? そこまではわからないけど、王族絡みではあるんじゃないかな」
「新興貴族まで集めるということは、その異邦人はどこかの貴族と養子縁組をしているという情報があるのでしょうね」
「おそらく………というかさ………」
馬車の中、兄とは向かい合って座っていた。私は小窓から外の風景を眺めながら「久しぶりにまともに兄と会話ができているわ!!」とひそかに感動していた。兄は私が何をしても褒めたたえ、すぐ記念日にしようとする節がある。だから私がレイレに転生してからほぼ毎日、なにかしらの記念日になっていた。兄は逐一手帳に記載しているようだったが、もちろん私は何ひとつ覚えていない。
「どうされたんですか、お兄様?」
急に黙り込んでしまった兄を不思議に思い、兄に向き直ったのは失敗だった。ガシッと両肩を掴まれ、前後に揺さぶられる。ああ、いつものが始まった。私は死んだ魚のような目 ── をしている自覚はなかったけれど、侍女や執事がそう言っているので間違いない ── で兄を見た。
「すごいじゃないか、レイレ! 七歳とは思えないすばらしい知識だ。今日はレイレの……」
「記念日にしないでください! 多すぎて私ちっとも覚えられません」
「心配しなくても大丈夫だよ。僕がこうやってきちんとメモしているからね!」
そう言って見せられた手帳は記念日だらけだった。予定を書き込む隙間などどこにもない。
「お兄様……もしかして手帳を二冊持っていらっしゃるのですか?」
「当たり前じゃないか! これはレイレ専用だよ」
「そうなんですね……」
お兄様、お兄様の常識は世界の常識じゃないですからね。なんてもちろん言えなかった。不仲よりは全然マシだ。私はそう思うことで兄のシスコンぶりを呑み込んでいた。
真面目な話はここで終わった。あとはシスコン全開の兄の相手をしている間に王城に到着してしまった。
「王城までの道のりってこんなに長かったかしら……」
まだなにも始まっていないのに、私はすでに疲れ切っていた。慣れたと思っていた兄の扱いもまだまだのようだ。
「やはり王宮は大きいですね……圧巻です」
「僕もたまにしか来ないけれど、いつ見ても驚くよ」
「迷子になりそうですね」
「安心して、レイレ。僕は絶対にレイレの手を離さないから!」
「………そ、それは頼もしいです………」
会場内でも手を繋いだままだと、他の参加者に揶揄されないだろうか。正直、貴族社会のことはよくわからない。しかし前世の感覚が強く残っている私は、どうしても「まだママから離れられないのかよ~」みたいな感じで男子に馬鹿にされるイメージしかなかった。
それに、私自身はモブキャラだが兄はとにかく目立つのだ。そしてモテる。最大にして最強の問題がシスコンであることだけど、優良物件には違いない。
このお茶会は、表向きには第三王子の婚約者探しとなっているが、本来の目的は〝異邦人〟を探すことだ。そのため、付き添いの保護者的役割を年若い令息や令嬢が担っていた。つまり兄にとってもチャンスなのだ。妹として、このチャンスは見逃せない。決して兄のシスコンぶりが鬱陶しいとかではないし、まだ見ぬ兄嫁にそれを押し付けたいわけではない。嘘ではない。
「さあ、行こうか。レイレ」
「はい。お兄様」
私は並々ならぬ決意を胸に、会場へ足を踏み入れた。
*
「皆様、今日は我がウェンザー家、第三王子ジークフリート主催の茶会へようこそお越しくださいました。この良き日のために美味しいお茶とお菓子をご用意いたしましたので、有意義な時間をお過ごしください」
ヴォルフガング殿下の挨拶とともにお茶会は始まった。
主催だと紹介されたジークフリート様は用意された豪華な椅子に座ったまま、立ち上がることはなかった。それでも王家と繋がりを持ちたい野心の強い家の子女は、ためらいながらもジークフリート様にお声を掛けに行っていた。
「……こういう場がお得意ではないのでしょうか?」
「どうだろうね。人見知りだという話は今まで聞いたことはないけどね」
「ジークフリート様の婚約者探しはついでで、異邦人探しが本題ですもの。気乗りもしませんよね」
「それもあるかもしれないね」
ジークフリート様はなかなかの強心臓の持ち主のようで、人がわんさか押し寄せていても立ち上がる気配は全くなかった。しかし、話しかけられた時はきちんと受け答えをしており、兄の言う通り人見知りということもないようだ。面倒くさそうな顔もしておらず、そういう教育はきちんとされているように感じた。
「大変ですね、王族の方々は」
「そうだね」
「お兄様、私もご挨拶に伺ったほうがよろしいでしょうか?」
「今日はそういう形式ばったお茶会ではないから大丈夫だと思うよ。向こうの目的もはっきりしているし、失礼には当たらないだろう。あちらで好きなお菓子でも食べておいで」
「ありがとうございます、そうさせていただきます」
先ほどから私が、テーブルいっぱいに並べられているお菓子をチラチラと見ていることに気がついていた兄が、そう促してくれた。だから私は心置きなくお菓子を食べに行くことにした。
「なんて美味しいの!! 前世でもこんなにおいしいお菓子は食べたことないわ。ああ……それにしても、いまだに悔やまれるわね、エビなんちゃら……」
有名ホテルのアフタヌーンティーのような高級感と、スイーツビュッフェみたいな品揃えに私のテンションは爆上がりした。緩む口元を悟られないように私はスイーツを選んでいく。
テーブルの上にはスイーツ以外に軽食も用意されており、私はつい前世の記憶の中で一番印象に残っていた例のサイドメニューを思い出した。さすがに同じ料理はなかったので、エビのフリットを手に取った。
「フリットはフリットで美味しいけど、パン粉をまとったあのスタイルがいいのよね。サクサク触感が恋しいなあ」
そもそもこの世界、揚げ物が極端に少ない。フリットのようなスタイルの揚げ物が主で、サクサクの衣をまとった料理は見たことがなかった。
パン粉自体はパンが主食のこの世界にはあふれているのでどうとでもなる。問題なのは私が貴族であり、子供であるということだ。簡単に料理をさせてくれる世界じゃないのだ。
前世の私は、自分で言うのもなんだけど料理が得意だった。ずぼらではあったけど、節約と美味しいものを食べるために日々研究をしていたくらいだ。
「今から根気よく頼めば料理くらいさせてくれるかしら? 我が家は新興貴族だし、平民になることもあるものね。将来の幅を広げるためだと言えばなんとかなるかもしれないわ」
私はそんな想像をしながら、目の前の料理に舌鼓を打った。正直、ここが王宮なことも、第三王子の婚約者探しのことも、異邦人探しのこともすっかり忘れていた。なんなら令嬢にあるまじき勢いで食事とスイーツを平らげたうえ、次は何を食べようかなんて考えていたくらいだ。
君に決めた!と目の前のアラカルトに手を伸ばしたとき、背後から悲鳴のような大きな声が聞こえた。そんなことより目の前の料理だと思う心の方が強かったけれど、さすがにそれは人として、一貴族令嬢としてどうだろうかと思い直した。ひとまずお皿をテーブルの上に置き、声がする方へ視線を向ける。
そこにあったのは…──
「……一体どういう状況なのかしら、あれは……」
ジークフリート様は相変わらず豪奢な椅子に座ったままだったが、その右腕には筆頭公爵家のご令嬢ベルナルダ様(十三歳)、左腕には筆頭侯爵家のご令嬢レオナルダ様(十四歳)がしがみついていた。互いにジークフリート様の腕を引っ張り合っている。
このふたり、名前も似ていれば性格もよく似ていて、加えて好みまでも似ているという、貴族の間では有名なおてんば令嬢だった。
「嘘でしょ……王子様にあんな振る舞い……」
とはいえ、見ているほうは非常に愉快だ。何が面白いかって、こんな扱いを受けていてもジークフリート様は立ち上がることはないし、表情筋も全く仕事をしていない。無表情を通り越して能面のようだった。
もちろん、こんなことを口にしようものなら我が家は一瞬にして平民に逆戻りしてしまうので、お口はしっかりチャック。
「お兄様……あれは大丈夫なのでしょうか?」
「ヴォルフガング殿下は何も言わないし、一応ギリギリ大丈夫……なのかもしれないな。自信はないけど」
私のほとんど役に立たない前世の記憶を頼りにすると、あの二人は例の小説『行き遅れアラフォー女が異世界に転生した件について』に登場する悪役令嬢だったはずだ。なるほど、子どもの頃からしっかり悪役というわけか。
小説では第二王子であるヴォルフガング様にまとわりついていたが、年齢的には第二王子でも第三王子でもどちらでも良いのだろう、きっと。
「面倒ごとには巻き込まれたくないわねえ」
あの騒ぎに係わってはいけない。私の本能がそう言っている。そう言っているのになぜお兄様、その面倒ごとに首を突っ込もうとしているのですか? 騒ぎの中心に向かって歩く兄をつかみ損ねた私の腕が宙を舞う。
変な正義感は出さないでほしいという私の願いは、兄に届くことはなかったのだ。
そもそも我々は平民上がりの男爵家だ。申し訳ないが兄の身分ではご令嬢たちに話しかけることはできない。
「ああ……余計なことはしないでほしい……平和、平和が一番。健康が二番、そして三時のおやつ」
悪役令嬢がいるお茶会なんて、今すぐお暇したい案件だ。
私の持っている小説の知識が中途半端すぎるため推測の域を出ないが、このお茶会は小説に出てくるはずだ。なぜなら〝異邦人〟を探しているのだから。おそらく〝異邦人〟というのは異世界転生してくる行き遅れアラフォー女のことだと思う。そういう設定だったかどうかの記憶がないので、絶対にそうだと言い切れないのが悲しいところである。
「マジで役に立たない記憶ッ……!!」
なにも知らないほうが人生楽しめるよ、確実に。料理がしたいので前世の記憶はこのまま持っていたいけれど、この小説の記憶だけ本当に要らない。都合よくこれだけ消えてくれないだろうか。無理か。
「いい加減にしないか!」
凛とした艶のある低い声が会場中に響き渡ると、それまでの喧騒は嘘みたいに消え、衣擦れの音すら立てられない緊張感に包まれた。
ついに見かねたヴォルフガング様が、令嬢たちの間に割って入ったのだ。
「ベルナルダ嬢、レオナルダ嬢。我が弟の腕を持って帰るおつもりか?」
言い訳すらできない雰囲気に完全に飲み込まれた二人は俯き、そっとジークフリート様の腕から手を離した。その際、小さな声で「大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ございません」と謝罪を述べたのが聞こえた。きちんと謝ることのできる悪役らしい。
という騒ぎは私にとっては些細な事だった。ストーリー的には重要なのかもしれないが、私は所詮モブだ。モブには関係ない。
それよりもヴォルフガング様のすぐ側に、ピンクブロンドの髪をなびかせる可憐な少女を見つけてしまった。その顔にはすごく見覚えがあった。
(小説の表紙の女の子……)
間違いない。彼女が〝異邦人〟だ。
兄に彼女の素性を聞いたが、兄は初めて見る人だと言った。仕方がないので、彼女の隣にいたご令嬢にこっそり話しかけてみた。
「彼女は最近、魔法の才能が認められてハーシェル伯爵家の養女になったマリー様よ。私と同じ十四歳なのだけど、すごく勤勉なの。尊敬しちゃうわ」
「魔法が使えるのですね! すごい……」
「でしょ? 私なんかが友人でいいのかしら」
興奮気味に語る彼女はカーター子爵家の三女セイラ様だ。
彼女は王都の路地裏で途方に暮れていたマリー様を保護し、親戚筋であるハーシェル伯爵家に紹介したそうだ。その関係でマリー様とは親しくなり友人になったのだと言っていた。貴族社会に慣れていない彼女のために、侍女として伯爵家にあがり一緒に暮らしているとのことだ。
「子爵家の三女ともなると縁談は自分で探さないといけないからね。私にもメリットはあるのよ。でもそれ以上に友人としてマリーの力になりたいの」
まだ小さい貴方に言ってもわからないかもしれないわねと、セイラ様は笑った。その笑顔はとてもキラキラしていた。
「私もそんな友人に出会いたいです」
「きっと出会えるわよ」
心がほんのり温まるようなやわらかな雰囲気のまま、私はセイラ様と別れ、帰路についた。
そして…──
「ああああああああああッ!!」
帰りの馬車で雄たけびを上げた。
兄はすかさず手帳を取り出しメモを始めたので、何かの記念日になったのは間違いないが、今はそれどころではない。
思い出してしまったこのタイミングで、例の小説2巻の最後を。
小説2巻のラストは衝撃的だった。ヒロインを庇い侍女が一人刺されたのだ。名前は出ていなかったけれど、子爵令嬢だったと記憶している。
「まさかセイラ様……」
彼女が助かったかどうかは知らない。なにせ3巻は読んでいないのだ。
というか、なぜこんな衝撃的な終わり方をしたのに過去の〈私〉は続きを買わなかったのか。本当に知識が中途半端すぎて困る。
こんな物騒な出来事など思い出したくなかった。当然のことだが、ここは物語の世界ではなく現実なのだとちゃんとわかっている。だから小説の通りになるとは限らない。それでも気になってしまう。
「………うん、忘れよう。アレはあくまで小説の話だもん。現実は違うよ、きっと」
私は自分にそう言い聞かせ、今日食べたメニューを思い出していた。家に帰ったら早速両親を説得しよう。
ただそれだけを考えることにした。
end.(2024.5.8)
ヒロインは意外と努力家なちゃんとした人なんです。
王子も無能じゃないんです、たぶん。
続きはいつだって書いてくれていいよ←