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行幸

 源氏はこれまで以上に目立たないように振舞っていたが、美しい装いのせいでますます光り輝いていた。大宮が久し振りに会うと、この世のものではない気がして気分の悪さも吹き飛んでしまった。脇息にもたれて弱々しかったが言葉遣いだけはしっかりとしていた。


「それほど体調は悪くはなかったと思っていましたが、夕霧が心配して、大袈裟に嘆いていましたのでどうしているのかか心配していました。私も内裏にも特別のことがない限りは参らなくなり籠るようになり、優柔不断になり面倒くさがりになりました。私よりも年上の人が腰が曲がるまで宮仕えする例が昔からありますが、私の場合は元々が怠惰だからでしょう」


「年を取ったら自然になる病気と思いながら、日々を過ごしていましたが、今年になってからいよいよ老い先が長くないと思うようになりましてね。あなたと今一度お会いして話すこともできないのかと、心細く思っていましたが、今日は少し余命が延びた気がしますわ。今は命も惜しくないですよ。親しい人たちも亡くなって、世界に一人だけ取り残されるのは嫌なので、急いで旅立ちの準備をしなければと焦っていました。でも、夕霧様が本当に真心こめて世話をして心配してくれるので引き留められてしまいまして今まで生き長らえていました」


と、大宮が声を震わせて号泣する姿はとても哀れだった。




 大宮と源氏の話は、昔のことから今のことにまで及んだ。


「そういえば頭中将は、毎日ここへ来るでしょうから、その時にお会いできればどんなに嬉しいことか。何とかして彼に伝えたいことがありますので。こんな機会でめなければ会うこともないので、どうしたものか」


「内裏の仕事が忙しいのか親不孝なのか分かりませんが、あまり見舞いには来ません。どんなことでしょうか。夕霧様のことですが、『初めのことは私も知りませんでしたし、いったん立った噂が元に戻せる訳でもないですし、かえって世間体が悪くなってしまいます』と説得したのですが、あの方も一度決めたことは昔から曲げない性格でして、私も納得はできないですがどうしようもないのです」


と大宮が夕霧のことを案じているのを源氏は笑って、


「もうそんなことは言ってもしょうがない。彼が夕霧を許そうとしていると聞いたこともあり、私もそれとなくお願い申し上げましたが、たいへん厳しく諌められたらしいです。本当に申し訳ない。何事にも、けじめがありますので、どうかして冤を雪すすいで汚れを洗い流そうとしましたが、ここまでひどく濁ってしまっては汚水を浄化する清水はなかなか出てこない世の中です。何ごとも後手後手に回るほど段々と悪くなっていくようです。頭中将はお気の毒です。こんなところであれですが、実は、本来なら頭中将が世話すべき人がいまして何の因果か、私の元へ来たので引き取りました。その時はそれが間違いだと分かりませんでしたので、特に事情は調べませんでした。自分の子が少ないのを口実にそのまま大して世話もせず、月日が経ちましたが、どこから聞いたのか、帝から


宮仕えする女がいなくては、内侍所の事務に滞りがあり、女官が仕事をするにも大変で、仕事が進まないそうだ。今は帝付きの高齢の典侍が二人いるだけで、募集はしているが、適任者がいないのだ。家柄がよく評判も悪くなく家事をしなくてよい人が昔から選ばれていた。しっかりして頭が良ければ、家柄を問わず、年功序列で昇進することもあるが、そのような人もいないとなれば世間一般の評判で選ぼうということになったのだ。それで年齢などを聞いたら、頭中将が引き取らないといけない人だと分かりました。そのことについてはっきり事情を申し上げたいのですが、機会がなくては会えない。そのうち、はっきり申し上げようと思いまして、文を出したのですが、大宮様のご病気を理由にお断りされました。病気が理由とあれば折が悪いと思いましたが、今はご気分も良いようですし、こうして決心しましたので。そのように頭中将にお伝えください」


「一体どうして、そんなことが起こったのですか。頭中将の方では、娘を名乗る人を全員集めているのに、玉鬘はどういうつもりで間違えたのかしら。引き取ったのは最近のことですか?」


「それには深いわけがあるのです。詳しい事情は、頭中将も自分で玉鬘に聞くでしょうし、身分の低い者たちの間にはよくある事ですから。事情を明かしてみても、世間に下世話な噂が広まるでしょうから夕霧にもまだ言っていないのです。決して人には言わないで下さいね」


 源氏はそう言って大宮に口止めした。




 頭中将も三条の宮に源氏が見舞いに行くことを聞いて、


「あの方がどんなに人手が少ないなかで、あの源氏をお迎えになるか。前駆たちをもてなす御座を用意する人も十分にいなさそうだ。夕霧は一緒にお供しているだろうし」


と、息子の君達たちや親しい殿上人たちなどを向かわせた。


「果物や酒などをさりげなく持っていけ。私も行くべきだが大事にはしたくない」


 そんな時に、折良く大宮から文が届いた。


「源氏の君がお越しになっていますが、人手も少なく、人目も気になります。恐縮ではありますが、この文のことは知らない風にさりげなく来てください。源氏の君があなた様にお会いして話したいこともあるそうです」


(何の話だろう。雲居の雁と夕霧のことかな?)と頭中将はあれこれ考えながら、「大宮様も余命少ないくずっとこのことばかり気にかかっていらっしゃるし、源氏も穏やかに例のことについて言ってきたら、反対するのはもうやめよう。夕霧が辛さをこらえて平気なふりをしているのを見るのはこっちも嫌だし、何かの機会に二人のお願いに折れたことにして許してやろう)と頭中将は思っていた。


 とはいえ、屋敷で二人が待ち構えているのを考えると、断るのが難しいなと思う一方で、簡単に許してしまうのもなあ、と考え直すのは実に頭中将らしかった。「しかし大宮様もこうおっしゃり、源氏も待っているのは恐れ多いな。行ってからその時の雰囲気で決めよう」


と、装束の襟を正して出発した。




 頭中将が息子たちを大勢引き連れて参上する様子は堂々として貫禄があった。背丈もすらりと高く、肩幅や胸筋も大きく、老成した威厳があり、大臣というに相応しい風貌であった。


 葡萄色の指貫に桜の下襲を着て、裾を長く引いて、ゆっくりと改まった頭中将の所作は、実に立派である一方、源氏の方は桜襲の唐風の綺の直衣に濃い紅梅色の袿を何枚も重ねた余裕ある皇子のような姿で、比類なく美しかった。源氏の光り輝く様子は頭中将の大仰な装いとは比べようもなかった。


 息子たちも次々と集まって、本当に美しい兄弟だった。藤大納言、春宮大夫、蔵人頭、五位の蔵人、近衛の中、少将、弁官などの豪華な面々が十人以上集まっていたおり、酒の盃が何回も回ってきたせいで皆酔い、口々に大宮の特に幸せで優れた生涯を語り合うのだった。




 頭中将も久し振りの源氏との対面で昔のことが思い出された。離れていると些細なことでも競争心が起こるが、サシで話すと互いに懐かしい数々の思い出が浮かび、昔のように壁なく積年の昔話に花が咲き、すっかり日が暮れていった。


「お招きがなかったので遠慮して本当なら参上しないつもりでした。あなたが来るのに参上しないので叱られても仕方がないことです」


と頭中将が言うと、


「いやいや、叱られるのはこっちの方です」


と、源氏は意味深に言った。頭中将は例のことだと思い恐縮した。


「昔から公私問わず包み隠さずに大事なことから些細なことまで話して一緒に朝廷の補佐にあたろうと思っていたのに、長い年月が私たちを変えてすれ違ってしまったようだ。でもそれは個人的な家同士のことです。最初の気持ちは昔と少しも変わっていません。漫然と年を重ねるにつれて昔のことが恋しく思い出されます。それでもあなたとお会いすることも滅多になくなってしまいましたし、立場上そうした振る舞いも必要かもしれません。とはいえ、どうか親しい者にはその権威を出すのを少し控えめにして訪ねてくださればと思う時もありました」


と源氏が言った。


「あなたの言う通り、昔は毎日のように会って、失礼なくらい親しくしていただき、隔てなくお付き合いしました。朝廷に勤め始めた当初はあなたと同列とは思わず、その後大した才能もないのにありがたくお引き立ていただき、ここまでこれたのもあなたのお陰と思っております。本当にあなたの言う通りで、年を取ってから傲慢になってしまいました」


と頭中将は酒に酔ってはいるもののかしこまって言った。そんな昔話をしながら、源氏は玉鬘のことを仄めかした。頭中将は驚き涙を流しながら、


「何ということだ。そんなことがあるのですか。当時からずっとあの娘がどうなったのか気になって探していました。あなたには昔何かの時に話したことがありましたよね。今はこうしてあちこちにいた子供たちを集めているのはあなたもご存じで、体裁が悪くみっともないでしょうが、そんな子どもたちでも大勢集まりますと可愛いのです。そんな中でも行方不明のあの娘のことが真っ先に思い浮かびました」


 あの昔の雨夜の物語の時に打ち明けた話を思い出して、泣き笑いして、二人はすっかり打ち解けたのだった。




 夜がひどく更けて別れの時になった。


「こうして来ただけでなく、昔のことも思い出し、すっかり懐かしい気持ちになってしまった。なんだか帰る気が起きないな」


 源氏は気弱ではないが、酔ったせいか涙を流し塩をかけられたナメクジのようにしおらしくなってしまった。大宮は葵の上のことを思い出し、源氏の姿や勢いが当時よりもいっそう立派になったのを見て涙がとまらず、しおしおと泣いていた。年を取った尼の姿は格別なものがあった。


 このような宴であったが、源氏は夕霧について言及しなかった。源氏は頭中将のやり方は大人げないと思っていたが、自分がしゃしゃり出るのもどうかと思い、頭中将の方は頭中将で、源氏が話出さないのにこちらから言うのも気まずいと思い聞くことが出来なかった。それでも流石に夕霧と雲居の雁のことは胸のしこりとなった。


「今宵はお供しすべきところですが、急に来て騒がせてしまっても迷惑でしょう。今日のお礼は日を改めていたします」


と頭中将が言うと、


「それでは大宮の病もよろしいようですので、必ずお伝えした日を間違わずにお越しください」と、約束したのだった。


 二人の機嫌の良さに、君達の供の人たちは、


「何があったのだろう。珍しい対面だし、機嫌もよくなったのかな?」


「きっと何か政治の話だよ」


などと的外れの勘違いをして玉鬘のこととはだれ一人思わなかった。




 頭中将はさっそく玉鬘に会いたいとそわそわしていたが、


(しかし、いきなり言って親の顔をするのもよくないだろう。第一、あの源氏が手出ししないわけないだろう。 他の妻たちに遠慮して同列に扱うこともできないし、そのままでは厄介なことになるから私に本当のことを明かしたのだろう)


と思ったが、どうしても悔しいので、


(待てよ、娘を源氏にやるのはそんなにまずいことかな。あえて源氏の側室にさし上げたとしても問題はないのではないか?宮仕えをさせると女御なども面白くないだろうしな。とにかく源氏の決定にはこっちが否定できないだろう)


とあれこれ思案した。


 この話が持ち上がったのは二月の上旬の頃であった。十六日は彼岸の初めで吉日であった。占いによると、その前後に吉日はない上、大宮の病状もよかったので源氏は急いで準備をし玉鬘のところへ行き頭中将に打ち明けた時の様子などを詳細に話して、当日の心の準備を教えると、


「行き届いた心遣いは、実の親でもこんなにないだろう」


と玉鬘は思い、父との対面が待ち遠しかった。夕霧にもこっそりとこうした事情が説明された。


「道理で怪しいと思った。そういうことだったのか」


 一件の真相を聞いてつれない雲居の雁よりも玉鬘の様子が思い出して無知だった自分の馬鹿さ加減が思い知らされた。自分には雲居の雁がいるのに他の女のことを気になってしまうなんて、私はなんてダメな男だ」と胸を締め付けてしまうのがいかにも夕霧らしかった。


 大宮はそれから一ヶ月半後、夕霧と雲居の雁への思いを残したまま薨去した。

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