5:喧嘩自慢のバイク乗り・鬼塚龍一
鬼塚が目覚めると、そこは見憶えのない部屋だった。
手足が動かない。見ると、台の上で大の字にされ、手首、足首、腰、肩を枷で固定されている。
「えっ…… 何だこれ?」
状況が分からない。確か、蓮也を探しに繁華街へ行って……
「ぅぐっ……?」
ひどい頭痛がした。よく思い出せない。何があったのだろうか?
「って、これ…… まさか!」
それでも、蓮也に連絡がつかない事と、自分が見知らぬ場所にいる事実が、頭の中で繋がるまで時間はかからなかった。
冷や汗が溢れ出すように流れる。
「おっ、おい! 蓮也! いるのか!? いるなら返事してくれ!!」
「池口はいない」
返答は蓮也の声ではなかった。
声のした方に首を回すと……公治が立っていた。
白いツナギを着て、鋸を持った、異様な姿だ。
「っ……! てめぇ! 何してやがる! 蓮也をどうした!」
「復讐した」
公治は事も無げに言うと、鬼塚の頭の傍まで歩いてくる。
「次はお前の番だ」
「復讐だぁ!? っザケんなよ! 変態ドクズのコソドロ野郎が調子コイてんじゃねぇ!」
鬼塚は正直ホッとしていた。
蓮也がいなくなったのは、このダサボッチの逆恨みのせいらしい。大事じゃなくてよかった。
こんなザコに何ができる。
「さっさと放せやコラ! こんなことして、後でどうなるか分かってんのか!」
……鬼塚がイキがっていられたのは、そこまでだった。
公治はツールベルトからハサミを取り出すと、鬼塚のシャツの袖を切り裂いたのだ。
「おっ、おい!?」
そこで初めて、自分が何の抵抗もできない状態にあることを理解できたかのように、鬼塚は狼狽した。
「てめっ…… ちょっ…… な、何する気だよ!?」
威勢が弱まっていく鬼塚を無視して、鋸の刃を剥き出しになった腕の肌に当てる公治。
直に触れる鉄の感触はあまりに冷たく、鬼塚の血の気が一気に引いた。
「てっ…… てめぇっ! こら…… おぃ…… まさか……」
声を上ずらせる鬼塚の前で、公治は押し当てた鋸を引いた。
「ぎぃぃぃぃいぃぃぃぃいいぃいぃいいい!!」
傷口を抉られたような激痛に、鬼塚は絶叫した。
あさりのついた鋸刃で挽かれるのは、カッターや包丁で指に切り傷を作るのとは訳が違う。左右から切り出された肉が中央で削り取られ、文字通りの挽肉が鬼塚の腕から木屑のように飛んだ。
公治はそのまま鋸を往復させる。さも当然のように。
「げぇぇぇぇっ! ごぇっ! おげぇぇぇぇぇっ!!」
痛すぎてワケが分からない。吐き気がしてきた。鬼塚は拘束された体で悶え、何度も後頭部を台にぶつける。
「あー」
公治が鋸の動きを止めた。
「俺は2回目だけど、お前はこれが初めてだったな。正直、同じような話をしても仕方ないんだが」
そして、思い出したように、鬼塚の顔を見下ろす。
「なんか言いたいことあるか?」
「……ごっ、ごめ…… ごめんなさいッ」
鬼塚は迷わず降伏した。
悪ぶってる連中には悪ぶってる連中で、それなりの紳士協定があるのだ。喧嘩や決闘はファッションの一つに過ぎない。本当に大事にしてたまるものか。
なのに、目の前でノコギリを振り回すキチガイは、どう見ても、そういう暗黙のルールを守ろうと言う気が全くない。
たまに見張りやお届け物を頼んでくる、ガチでヤバい先輩と似たような空気を纏っている。
形振り構ってる場合じゃない、と、はっきり分かった。
伊達に修羅場は潜ってない。反逆者のプライドなんて、本当に怖い奴らとモメるリスクを背負うくらいなら幾らでも捨ててやる。
「自分、調子コイてましたッ! 格も分からない半端者でしたッ! 本当にッ、本当に失礼しましたッ!」
ああクソ! 俺としたことが、しくじった!
ちょっと脅しただけですぐ言いなりになるビビリを見つけて、利用するのは得意だった。
財布として、サンドバッグとして、ダッチワイフとして…… 何より、自分のワイルドさを引き立たせるためのアクセサリーとして。
本職がバックにいるような方々に下っ端扱いされて、ヘコヘコ頭を下げるストレスを、ずっとそうやって解消してきたのだ。
今回も、いつも通りのやり方で、この底辺野郎を食い物にして遊べるはずだった。
それが…… 美花のポイントを稼ごうとして、目が曇った!
鬼塚は見張りでしか関わったことがないが、間違いなく断言できる。拉致監禁、しかも拷問など、高校生が一人で易々と出来るようなことじゃない。
間違いなく、協力者がいる。おそらく、かなり手慣れた、複数の支援者が。
「ナメたマネして済みませんでしたッ! 改めて金持って詫び入れさせて頂きますんでッ! どうかッ、どうかこの場はこれで勘弁してくださいッ!!」
住田公治は、一般人じゃねぇ! あっち側の人間だった!
「はぁ」
公治は無表情のまま、ため息を漏らす。
「本当にお前らって、許されることしか……自分のことしか考えてないんだな」
そして鋸の往復運動が再開した。
「がぁあぁぁぁああぁぁぁああああああぁぁぁああぁああ!!!」
裏返った悲鳴。
肉を挽き裂いた鋸が、やがてガリガリと骨を削り始める。
「お前らの言うことなんて信じられるわけないだろう…… 物理的に手を出せないようにしないとな」
「やめっ、ゃべっ、いぎっ、ぎゅるっ、だずっ」
骨から伝わる、臓腑を抉るような震動。
今まで触れられたこともないような敏感な部分を、これ以上ないほど無遠慮に蹂躙される感触は、鬼塚の知っている痛みとは全く違う、悍ましい何か。
喉から搾り出される音は、もはや、悲鳴とか泣き声とか、そういう形容ができるような類のものではなくなっていた。
「やってもいない罪で責められる気分を教えてやろう」
どう見ても話ができる状態ではない鬼塚を見下ろし、公治は半ば独り言のように呟いた。
「もしここで見逃して、お前が誰かを傷つけたら、俺は一生後悔する」
腕の動脈が血を噴いた。
公治は鬼塚の肩を拘束する鉄の輪を、ネジを回してギリギリと締め付ける。
骨がミシミシと鳴り、流血の勢いが弱まると、公治は作業を再開した。
白いツナギに赤い点が散る。
床のブルーシートに赤い円が広がっていく。
脂の混じった血糊で切れ味の鈍った鋸刃を、公治が力に任せて強引に前後させ始めた頃には、鬼塚の血走って真っ赤になった白目が剥き出しになっていた。
やがて、
ゴトリ、
と、鬼塚の腕が音を立てた。