【9】風馬颯人は掃除する
ここから第2幕。いよいよお世話がはじまります。よろしくお願いします!
翌日の早朝。俺は掃除道具一式をビニール袋に詰め込んで、天城さんちのマンションへ向かった。
仕事の連絡はチャットアプリで行われることになった。
天城さんもチャットグループに入っており、何かあればすぐに連絡がつく。
約束の集合時刻は朝の6時だった。
毎朝登校前に朝食(母さんにとっては夕飯)の支度と掃除洗濯をこなしているので、早起きは苦ではない。
「お待ちしておりました」
エントランスロビーのオートロックは千駄木さんが解除してくれた。
俺は部屋の中に案内してもらいながら、ビニール袋に入れた掃除道具を見せる。
服装は学校指定のジャージだ。制服だと汚れるからな。
「家で使ってる便利グッズを持ってきました。どのアイテムもすごい効果で、ボロアパートに巣くう頑固な汚れも一発で取れる優れものなんです」
そう言って俺は袋の中からメラニンスポンジを取り出した。
「この万能スポンジなんて、ひとつあるだけで台所や洗面所、トイレや玄関のフロアタイルの汚れまで綺麗に落とせてたったの100円なんですよ! すごいでしょう。お買い得ですよね」
メラニンスポンジを手に熱弁していると、メイド服姿の千駄木さんは口元に手を添えて上品に微笑んだ。
「ふふっ。風馬様は本当にお掃除がお好きなんですね。通信販売の売り文句みたいです」
「あっ、すみません。趣味をバイトに活かせると思ったらつい……」
「労働に意欲的なのはすばらしいことです。親御さんの同意も得られたようで何より。頼りにしていますよ」
「はい。よろしくお願いします」
俺は千駄木さんに頭を下げる。
バイトを開始するにあたり、昨晩のウチに脳内トレーニングを重ねた。
何をするにも挨拶からだ。天城グループのご令嬢を相手にするとなれば礼儀も必要だろう。
「そうかしこまらないでください」
しかし、千駄木さんは苦笑を浮かべて首を横に振った。
「お嬢様に対しても無理にへりくだらなくて結構ですよ。今まで通りに接してください。お嬢様もそれをお望みです」
「千駄木さんがそう言うなら……」
「千鶴です」
千駄木さんは人差し指を自分の唇に当てて片目を瞑る。
「わたくしのことはどうぞ、千鶴とお呼びください。その方が打ち解けた感じがするでしょう」
「だけど、年上の女性を下の名前で呼ぶのは失礼じゃないですか」
「かまいません。お嬢様に何度も呼ばれて慣れています。わたくしもファーストネームで呼ばれた方がしっくりくるので」
「千駄木さんがそう言うなら……」
「千鶴、ですよ?」
「……わかりました。それなら今後は千鶴さんで」
「ふふっ。よくできました」
俺が照れながら名前を口にすると、千駄木さん改め千鶴さんは満足げに目を細めた。
初見では冷たい印象を人に与える美人さんだったが、話せば茶目っ気のある女性だとわかる。
面倒見もよさそうでフォローも上手い。天城さんが気を許すのもわかる気がするな。
◇◇◇
それから俺は千鶴さんと協力してゴミ出しを行った。
廊下に積まれていた段ボールを畳み、ペットボトルを潰して袋に詰める。
足の踏み場と視界を確保したあと、ダイナソー掃除機で埃を吸い込んだ。
それから水拭き、から拭きをして廊下を綺麗に仕上げる。
廊下を攻略した後はリビングに突入。同じ要領でピカピカに仕上げると……。
「やっぱり広いな。リビングに俺んちがまるごと入るんじゃないか」
綺麗に片付いたあとのリビングは、必要最低限の家具しか置いておらず殺風景に見えた。
部屋の中央にはガラス張りのローテーブルが置かれ、その周りを囲むようにコの字型にソファーが設置されていた。
壁には大型のテレビ(4K? とかそういうのだ)がボルトで固定されており、テレビ台がないのに宙に浮いていた。テレビはもちろん『天城電機』製だ。
目立つ家具はそれくらいで、観葉植物や絵画といったオシャレな内装品は見当たらない。
あるとすれば猫のヌイグルミくらいなものだ。掃除を行う際、大小さまざまな猫グッズを見つけた。
「これでよし……と」
ヌイグルミはソファーに並べ、小物はテーブル上に置いたりしてそれっぽく見せることにした。
ここは彼女が普段使いするリビングなのだ。あとで天城さんにチェックしてもらおう。
(さすがは会長の娘さんだな。数は少ないものの家具や電化製品はどれも高級なものばかりだ)
高層マンションの最上階には部屋が2つあり、そのひとつを天城さんが借りていた。
掃除を行いながら寝室以外の部屋も見せてもらったが、天城さんちは3LDKの床暖房つきで全室自動空調機能付きだった。
台所はシステムキッチンで、備え付けのオーブンレンジやディスポーザー(生ゴミ処理機)までついていた。
(オーブンやディスポーザーが使われた形跡はなかった。外食がメインなんだろう)
使い終わったダイナソー掃除機を納戸に収納しながら、天城さんの私生活について分析する。
すると千鶴さんが声をかけてきた。
「ご苦労様でした。お部屋があっという間に見違えましたわ」
「ゴミ山のインパクトが大きかっただけで、言うほど汚れてませんでしたよ」
部屋にあったゴミは段ボールとペットボトルがメインだった。
家具も少なかったため、潰してまとめてしまえば掃除そのものは楽だった。
引っ越して間もないのだろう。ワックスがけをする必要もない。
ゴミ出しをする際に驚いたのだが、各階にゴミ置き場があった。
24時間いつでもゴミ出しができる。カラスがゴミを漁りにくることもないだろう。
日頃から意識して分別さえすれば、ゴミ出しは苦にならないはずだ。あとで天城さんに伝えておこう。
「えっと……これで俺の仕事は終わり、ですよね」
手持ち無沙汰になり、俺は困ったように頬を掻く。
依頼内容は部屋の掃除だった。思っていたより早く終わってしまった。
口には出さないが拍子抜けだ。せっかくお気に入りの掃除道具も持ってきたのに。
「はい。お掃除”は”終わりですね」
俺の問いかけに千鶴さんはこくりと頷き、おろしたてのタオルを手渡してきた。
「汗を洗い流してください。遠慮はいりません。お嬢様もそれをお望みです」
◇◇◇
千鶴さんのご厚意に甘えてシャワーを借りることにした。
ゴミを運んだ際に汗をかいたし、埃まみれのまま学校に行きたくもなかった。
着替えは制服を持ってきている。
ありがたいことに替えの下着は千鶴さんが用意してくれた。
(そういや天城さんの顔を見てないな……)
天城さんはリビングに一度も顔を出さなかった。
挨拶くらいはしてくれるかと思ったけど、まだ寝てるのかな。
――ガチャリ。
そんなことをぼんやりと考えながら、バスルームのドアを開くと……。
「!!!!!!!???????」
「!!!!!!!???????」
一糸まとわぬ姿の天城さんと鉢合わせた。